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入試と大学とクライテリオン

おはようございます。フェニックス髙橋です。
相変わらず大学受験界隈が騒がしいので、元関係者として思うことを書いてみようと。

各論に関しては、今更の議論ばかりなので置いておいて、今回はそもそも論をしてみたいと思います。
つまり「大学入試とは?」ということです。

それは「大学に入るための試験」って事なんですが「何のために実施するのか」という視点が忘れ去られているのでは無いかと思うんです。

世の中は「高校生がかわいそう」という論調一本です。
それは確かにそうです。およそ4ヶ月くらい学校が無くなって、夏休みで挽回するかと思いきや、最近の感染拡大で、結局夏に授業は設定しないというところもあるらしい。
まさに未曾有の危機です。戦後ですら学校はやっていたらしいですから、近代国家になってから初めてと言って良いのかもしれない「教育機会を失った世代」でしょう。
その世代に対して補償をしてあげようというのが世論で、試験範囲を狭めろとか、一部範囲を除外するべきだとかいう話になっています。
一面的には正しいと言うことでしょう。高校生からしたら知らないことを問われるのは「アンフェア」だと思うのかもしれません。

でもこれって「入学ありき」の議論ではないでしょうか?
そこで改めて考えたいのは「何のための入試」かということ。

本来、入学試験というのは「大学で困らない程度の学力があるかを測る試験」なはずです。
学生がかわいそうという話は分かるのですが、だからと言って大学で困る程度の学力ではまずいわけです。
大学は教育機関であるかもしれませんが、「知の拠点」としての役割があります。
そんなところが「公平性を担保」したために、結果高校の補習をしていますとかになったら笑えない話だと思います。
そもそも大学というところは「勝手に学ぶ」ところですから、そんな手取り足取りしなければいけない学生を入学させるのは根本的におかしいと思います。
大学の役割については論じるとキリがないので別の機会に譲りますが、とりあえず自分は「入試は大学主体でやるもの」だと思いますし、習っているいないは根本的に関係ないと思います。

元予備校校長として、高校生の大変さも十分分かるのですが、根本を外した議論が進むのはやはりおかしいと思います。

学生たちが大学に入学して困らない学力を、これからどうやって身に付けさせるのか?
こういった視点の議論が進む事を祈念しつつ、学力向上に寄与できるようか活動をしていきたいと思います。

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