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GWとコロナとクライテリオン

おはようございます。フェニックス髙橋です。
GWも絶賛労働中で、不道徳の極みな生活をしています。
今日は短めに。というかいつも短めですね。
今日は朝から半日出勤で、現在帰宅途中ですが、健康のために少し散策をしてきました。
実際は最近できたモールにあるビストロがテイクアウトやってると聞いて、オムライス買いに行くのが目的でした(因みに臨時休業で買えませんでしたが)。
モールに着いて驚いたのは、人通りがソコソコあったこと。というか、自分が住んでいる多摩県は皆さん結構普通に外出しています。

「国の言いつけを守れないのはけしからん。」と言うのは簡単です。実際にマスクをしないで外出している子供がとても多い。
子供はかかったとしても重症化するリスクは極めて低いからマスクをしなくていいと考えているんなら、それは止めてほしいです。マスクは自分のためではなく他人に移さないためのものですから。
マスクは暑いですから、したくない気持ちも分かりますが、他人にに移さないために外出するときにマスクをしないのは不道徳だと思います。

ただ自分が気になるのは、なぜ「今」人が出歩いているのか。ということです。
昨日・一昨日位から、全国一律で緊急事態宣言を延長すると報道されています。是非は置いておいて、なぜそんなタイミングで外出するのか?というのが疑問なんです。
「自粛疲れ」という話もあるでしょう。特に子供は飽きているであろうことは容易に想像できます。それは仕方がないと思うんです。実際、精神衛生上あるいは人格形成の上で多感な時期に家に籠って同級生と関わらないと言うのは良くないことだとも思います。
でもモールには子供連れ以外もたくさんいました。カップルが会いたくなるのも分かります。でもそれは家でやれば良い話で、日本では少人数の集会は禁止されてませんし、別に避難されるリスクを背負ってまで外にでる必要は無いでしょう。
自分は教育関係者ですから、この現象は「目標がない(=ゴールがはっきりしていない)」から起きているのではないかと思っています。
つまり「勉強しろ」だけでは勉強は続かないということです。
勉強しろと言われれば、最初は始められると思います。でも普通は続かないんですよ。実体験からいっても、せいぜい二週間持てば良い方でしょう。大概はこう思うんです。「何で(何のために)勉強してるんだろ?」とか「何処までやれば良いんだろ?」とか。
そんな中「まだ足りないから、とにかく勉強しなさい」と言われたら「やってられるか」となってしまっても直感的には「しょうがないかな」と思うんです。
今現在はまさにその状況で「まだ足りないから、とにかく自粛を続けましょう」と言われている。「馬鹿馬鹿しい」と思う人がいても(是非はさておき)しょうがないのかもしれません。

だからといって「政府のいうことなんか聞く必要はない。俺達は自由に生きるんだ。自由最高だ」という自己中心的(世紀末的?)な思想に与しようとは思いません。
話が飛びますが「大切な人と会うために、今の自粛を頑張ろう」的な運動がありましたが、コレは大分自己中心的な発想ですよね。要するに「自分が良ければそれで良い」という個人主義的な側面が強いと思います。
閑話休題、では何がないと続けられないのか?簡単に言えば「目標」ですが、それも「大目標」と「小目標」が必要だと思うんです。
今回の自粛に関して、小目標はあります。「8割削減」です。でも何のために8割削減するのかは曖昧ですよね。
もちろん「大目標」と言うのは曖昧なものだと思います。

先ほどの勉強で言えば「慶応に受かるために勉強しよう」は分かりやすいんですが、慶応に受かるのは「大目標」ではないですよね。慶応に受かったら終わりとか、自分が関わった人には、そんなしょうもない人生になってほしくはないです。「楽しい人生を送る」為に「慶応に受かる」ことを目的にして勉強するんでは無いでしょうか?
でも「楽しく生きる」と言うのは曖昧です。人それぞれ違うでしょう。だから全員が「慶応に受かる」事を目的にしないわけです。ただその為に「勉強が必要」位ならコンセンサスがとれると思います。

話を自粛に戻します。「8割削減」は当然ながら「大目標」にはなりません。「医療崩壊を防ぐ」も曖昧な表現ですが大目標にはならなそうです。
自分が考えるに、恐らく2パターンあるのではないでしょうか。
「生きる(=命を長らえる)ため」と
「活きる(=社会が元気になる)ため」。
両方とも発音すれば「いきるため」ですが、意味は全く違います。両方とも満たせるのが理想ですが、バッティングすることもしばしば。
自分は、コロナ禍の「自粛」における最も根元的な問題は「いきる」ことの議論をしていないことだと思うんです。
自分は「いきる」といえばもちろん「活きる」ですが、様々な立ち位置があって当然だと思います。だからこそ「議論」を尽くして「基準(=クライテリオン)」を見つけるのが大事でしょう。
もう一点大事なことがあって、それは「大目標」を達成するための「小目標」は「状況に応じて変わる」はずだと言うことです。
日本より厳しく「ロックダウン」している欧米でも感染者数はそれほど減っていません。自粛に本当に効果があるのか?これは「生きる」上でも重要な事だと思います。

こう言った議論の必要性を国民が要求しないとと思います。
日本にとって良い選択ができるような議論する環境を作っていければと思います。

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