オタク卒業までの記録3
第3弾。
「オタク辞めます!」って宣言したいわけではない。自分の気持ち整理用noteだ。
今回は、今まで応援してきた作品・キャラクターたちにどう向き合っていくかを考えていく。
前回はこれ↓
作品・キャラが嫌いになったわけではない
大前提は大見出しの通りだ。
作品やキャラに罪は無い。今でも好きな気持ちはある。
完全に「自分の生き方」が変わりつつあるだけだ。
作品は展開し続け、キャラクターは動き続ける。
止まりつつある自分と動き続ける好きなもの。
これらのバランスをどうやって取るか。
もう何年もオタクをやっているから完全に足を引くというのは無理だと思う。遺伝子レベルでそれが刷り込まれているから抗うだけ無駄だろう。
追うもの・追わないものを線引きする、ということも考えたが多分それは難しい。グッズは買うものと買わないものできっちり決められるが、大枠でそれをやるのは不自由だと思う。
ではどうするか。
''かつてオタクだった人間''として生きる
「オタクだった人」になれば万事解決だろう、というのが今考えられる中でベストな答えだと思う。
「オタク辞めよ〜」と言いながら、その直後に好きなキャラクターを見て「好き〜」となっているのが現状である。
「オタク辞めた」と言えば全ての縁が切れる気がする。
でも「かつてオタクだった人になった」と''過去形のオタク''になれば、「やっぱり好きだわ〜」という発言が自然なものになると思う。
かなり理屈っぽいこじつけ理論ではあるが、''過去形のオタク''という位置づけで自分をカテゴライズしてしまえば、現役オタクにならずに済む。情報を最前線で追いかける行為などからは身を引くことができる。「好き」の気持ちは保存しておける。
推したちに対する気持ち
もちろん𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬____
人生に救いと彩りを与えてくれた存在だ。
前のようには追いかけることができないけど、応援している気持ちは変わらない。
たまーに会ってたまーにお小遣いをあげる的な「親戚のおばちゃん」くらいでいたい。
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