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備忘録 22-09-18

年五十にして四十九年の非を知る

――年五十而知四十九年非

『淮南子』

むかし衛(えい)の国の重臣に、蘧白玉(きょはくぎょく)という人物がいた。孔子と同時代の人で、よくできた人物であったらしい。『論語』のなかで孔子は、「君子なるかな蘧白玉」とたたえ、その理由を「有道の時代には官にあって活躍したが、道が失われたと判断するや、身をひいて才知を外にみせない」と語っている。また、ある日、孔子のもとに蘧白玉の使者がきたとき、孔子の問いに答えて、「主人は過ちを少なくしようとつとめておりますが、まだその甲斐がなさそうです」と蘧白玉の修養ぶりを伝えている。

蘧白玉という人は、ふだんから自分の修養に意を用いた人物であったらしいが、その様子を端的に伝えているのが「年五十にして四十九年の非を知る」というこのことばである。 過去四十九の生き方を全否定するほど、五十歳の現在をベストに生きたということだ。だからこそ、進歩向上にも見るべきものがあったにちがいない。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日がんばりましょう。

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