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INFP×9ハウスのキロン=「人の気持ちが分からない」?


わたしはある時期まで、確実に人の気持ちが分からなかったが、今現在の自分については、全くそう思って無かった。そもそも、前提として、わたしは「人の気持ち」というのが分かると思っていない。そして、「自分の気持ち」というのを自分で理解するのは、非常に難しいことだと思っている。だから、「わたしの気持ちが分かる人もほぼいない」という風にわたしは思っている…。自分の脳と他人の脳が、肉体で物理的に分離して存在している以上、推測することは出来ても、全く同じ現象を体験することは出来ないし、「意識」が深層心理を適切に言語化しているとは限らない。自分の心からの意図が、「相手に伝わってるな」と実感することは、わたしの人生の中では、限りなく少ない。

しかし、そういったこととは別に、もしかしたらわたしと違うホロスコープの配置の人は(アセンダントが獅子座とか、太陽が獅子座とか)、「自分の気持ちが、これだぁあああああ!!!!」という、確固とした「俺感」を、持っているのかもしれない、と思った。そして、それを持っている人は、「お前の気持ち、分かるぜぇええええええええ!!!!」という、これまた確固とした、自分が獲得している「人の気持ち」に、リアリティがあるのかもしれない、と思った。

そう思って、旦那くんに訊いた。

「わたし、人の気持ち、分かんないと思う?」
「・・・そうだね!!」

わたしが人の気持ちが分からなかったある時期とは、妹が自殺してしまった時である。妹は努力しても出来ないタイプで、わたしは努力しなくても出来るタイプだった。まず、「努力して出来ない人もいるのだ」という、そういう人が存在することが分かっていなかった。当然、気持ちも分からなかった。わたしは友人に、「いつも死にたいと言っていた妹が、本当に死んでしまった。まさか本当に死んでしまうとは」と言った。「本当に死にたいと思って言ってるって、あんた、思ってなかったの?」と友人はわたしに言った。わたしは「思ってなかった…」という言葉を飲み込んだ。わたしは、本当に!一緒に暮らしていた家族の気持ちを!分かっていなかった!

まず、わたしは、そもそも自分の気持ちが分からなかったのだ。「どうしたい?」と訊かれて、自分がどうしたいのか、自分で分からなかった。思う通りに生きて、人と違う仕事をしてきたつもりだった。分からないのか…。25歳。そこから始めた。そこまでのわたしは、常に頭の中が思考でいっぱいで、いつでも、「どうすべきか」「何が正しいか」「一番効率の良い方法は」「どうすれば良く思われるか」という「べき」論でぎゅうぎゅう詰めになっていた。自分の進む「べき」道のためだけに必要なことを必要として、それで完結する世界だった。個人的な希望、好み、は、思考の中心に置かれなかった、わたしの「好き」は、ほとんどいつでも「正しくない」と思っていたからだ。

その状態の自分から、まず、自分の観察することを始めた。その頃あたりから、自分が、セルフイメージと反した、ままならない感情的な反応をする、ということが起き始めていた。どうしてそういう反応が起こるのか、根底でわたしは何がしたいのか。心理学をさらーっと学び、心理機能をさらーっと学び、カウンセリングをさらーっと学び、観察し、観察し、分析し、言語化し、観察し、

そして、今、わたしは大分人の気持ちが分かる。

「あの人はどうしてこういう発言をして、こういう行動をとったのか」が、分かる、

…が。

それは…!

「人の気持ちが分かった」んではなくて、単に、人間の心の、万人に共通する心理のメカニズムを学んだだけのことであって、わたしが、他人を良く観察したことの、ただの結果の蓄積であったのか…!←イマココ

…。そうか…。妹を亡くした時と変わってないのね、わたし、相変わらず人の気持ちが分からないし、自分の気持ちも分からない。今までずっと、分かった気で、分からないままだったんだ…。←ココ、底が抜けた時

「人の気持ちが分かる」というのは、「自分の気持ちが分かる」から、人の気持ちが「ある」ということにリアリティを持てるんです。「人の気持ちが分からない」のは、つまり、「自分の気持ち」について、確固とした輪郭を掴んで認識していないから。

なんですが、

かと言って、「無い」わけではない。

INFPさんの、「人の気持ちが分からない」

ここでわたしのMBTIである「INFP」さん達を、道連れにしてしまおうという暴挙なんですが、「無い」わけじゃない。ただ、あまり意識化されない。と、そういうことなんじゃないか。

ここで一つ注なんですが、INFPさんは、頭の中がかなりひっきりなしに言葉でいっぱいになっているタイプだと思う。しかし、この時、頭の中でひとり語られているのは、「思考」であって、「感情」じゃない。

これ、わたしの「いろんなきもち図」です。気持ちは、無いわけでは無い。動かないわけでも無いし、快とか不快とか、そんなレベルでは把握してるんです多分。で、「人の気持ちが分からない」と言ってますが、「人の気持ち」の、分からない部分の気持ち、とは、「打算・かけひき・損得勘定・人を陥れる」などの、人間社会の中で、適当に空気を読みながら、上手く先手を打って立ち回らなければならない部分、の、人が人に対して持つコミュニケーション、の、その「動機の部分」、が分からない。「必要か・不必要か」は分かる。それ以外の動機が、良く分からない。

他のINFPさんが一緒か分かりませんが、わたしの場合、「額面通りに、言葉通りに受けとる」、というのがデフォルトの設定になっています。一見、問題は起きていないように見える。これが、皮肉だったり、そうとは見えない嫌がらせだったりすると、多分気付かない。気付かないので、耐えちゃう。その手のストレスが、一番回避出来ないのが我々INFPなのではないか?例えば、仕事に行くために、必要だから満員電車に乗る。ある時から気持ち悪くなるとする。自分で理由が分からない。「寝不足かな」「仕事の責任が増えたしな」「大したことない」。それが、「満員電車=気持ち悪い」という構図に気が付いた時、体はもう満員電車を拒否している。そわそわする。落ち着かない。汗を大量にかく。体温が下がる。震える。じんましんが出る。足が動かない。体が硬直する。声が出ない。悪態ばかりつく。過食。お腹を下す。それが続いてやっと、「あれ?なんかおかしいな?」ということに気付く。身体に反応が出ることで、初めて「嫌…!」と気付く。頭で認識されずに、体の反応になって現れる。…のが、我々INFPではないか?

もしもそうなる前に、「満員電車嫌いだなあ、苦手だから乗りたくないなあ」ということが自覚されていたら、空いてる時間に乗るとか、通勤手段を変えるとか、色々手段が取れたはずなのに、「嫌だ」という自分の気持ちが認識されないばっかりに、居続けてしまう。苦手な場所、苦手な人の所に居続けてしまう。回避出来ずに、全部のストレスを、ストレスとして受け続けてしまう。…そうなる前に気付くことが出来ればぁ〜、そんなになるまでぇ〜、耐え続けなくても済むのによぉ〜…!

つまり、言語化されない部分では、かなりはっきりとした強度の「気持ち」が、あるのであろうと思うのです。体に出る反応は、これ、結構強力だよね(←同意を求める)。でも、「言語化されない」=「意識に上らない」ために、自分で「ある」ことになっていない。無いわけじゃ無い、むっちゃある、ただ、自分で分かるように認識されない…!

「楽しい」とか「嬉しい」というポジティブな気持ちも、割合そうかもしれません。例えば、パーティーに参加して、「今、楽しい?」と聞かれて、多分、自分が楽しいかどうかって、あんまり分からないんじゃないかな…?皆んなが楽しそう、は、分かる。そして、後から振り返って、「まあ…楽しかったかな」も、思う。INFPがその瞬間に分かるのって…やっぱり…「快・不快」のレベルに留まるんではなかろうか…。ただし、自分が好きなことや話に、熱中する、ということはあり、その場合、それは「楽しい」というより「興奮」、その瞬間の「興奮」に対する、身体的な「快感」とか「喜び」の方だと思うんですよね…もちろん、それを「楽しい」と言っても良いんだけども。

INFPの、「気持ち」と「思考」

「打算・かけひき・損得勘定・人を陥れる」。そういうのが分からないならば、あんた、よほど綺麗な人間か?という疑問が湧くでありましょう。

つまり、人間関係の「打算・かけひき・損得勘定・人を陥れる」の部分は、「言語化された気持ち」の部分で行われている。んですよ。

INFPは…かどうか分からないが、わたしの場合、思考の中に、明らかな打算的な思考や人間関係の計算も大いにあった。のですが、常に、打算は全て、「自分のため」オンリーで働いていて、他人の都合は考慮していない。それが他者のために動くこと、は、無い。かつ、自分のために打算を働かせている時、相手について、「好き」「嫌い」を、基本的にまず考えない。

つまり、自分以外の他人の事情には、ほんと〜〜〜〜にすこ〜〜〜〜んと意識が無かったのです。だから、他人が、誰かの足を引っ張ったり、悪口を流したり、お金のために何かをごまかしたり、自尊心のために徒党を組んで誰か一人を貶めたり、決定的で無い嫌がらせや、強制力のない細かいルールでやんわりと構成員を精神的に支配したりする、人たち、の、モチベーションが、全く理解出来なかった。そんな感じのことをモチベーションにして、会社に行って、そうやって生きなければならないほど、そうまでするほど、人生って価値、無くねぇ…?って感じだった。

本当は、人と人の間に起こるドラマも、駆け引きも、それはそれは面白くて、たくさんの気付きがや喜びが、あるものなのかもしれない。お金を稼ぐことを通して、世界の秘密に通づる、成長する人生が、いくつもあるのかもしれない。

つまり、人々が当たり前に社会の中心に存在させて、生活の中心において、生きるモチベーションにしているものの魅力が、社会を構成する大多数の人が、生きていける、理由が、分からなかったのだ。

つまり、「人の気持ち」が、分からない。

え…

これ、すごい問題じゃね…?!??

「生き辛い」「社会不適合」に解を

しかしながら、わたしは今、この大問題が、問題になっていない。なぜかと言うと、一つは、一般的な心理のメカニズムついて、ある程度の知識があって、それを通して他人の行動を腑に落とせるからだ。INFPは常に思考している。自分に起きたことを、観察して、分析して、分類したものに適切な名前をつけて、一定以上の認識を得ることが出来る。経験したことなら分かる。歳を取ればその分、世界に対して親和性が増える。対応出来る場面が増えて、困る回数が減る。これは、強みにすることも出来る。

そして、もう一つは、「愛とか感謝とか」。

そして、「考えるのを止める」。

…はい!そうです!INFPの解は、ここです!既出の図を再掲、「愛とか感謝とか」、です。ここ!重要なんですけど!「気持ち」のうち、「愛とか感謝とか」だったら分かるんですよ!言語を超えたエネルギー、「愛とか感謝」だったら、仮に適切に言語化出来なくても、自分で「ある」という実感が持てるんです。INFPの解はここ。愛が何かを解れ。

パクチーの「いろんなきもち図」

「愛とか感謝とか」は基本姿勢で、しかし、社会生活を送るなら、自分が理解出来ない「人の気持ち」の中に入って、何かを選択しなければならない事もありますね。「あの人」や「この人」や「みんな」に良かれという選択を、時にしなきゃならないじゃないですか。でも、何を選択するのが正解か、分からない。人の気持ちが分からないんだから。自分の気持ちだって分からないんだから。

INFPは、ず〜〜〜と思考し続けているが、この「思考」は自分のためだけに成されているので、他の人をも満足させる解は出てこない。

そこで、思考を「止める」。

思考しないで、直感で閃いたことを正解にする。

ここには、瞑想のスキルが要ります。瞑想して、インスピレーションをキャッチするんです。上達すると、質問して、その答え、という風に実用出来ます。INFPが生き残るには、瞑想は、マストですよ!!!練習じゃあ!練習するのじゃああああ!!!!!

と、こうして、「人の気持ち」が分からないのに、「正解が分かる!」ということで、問題が、問題として起こらない。また、「人の気持ち」が分からなくても、「愛とか感謝とか」が分かっていれば、ほぼ、100%の人間関係に有効です。…この!両方持ってたら!ほ〜ら、もう!大丈夫だ〜!

はい。ということで、やってみよう瞑想

はい。そうね。それにしても、そもそも、前提として、パクチーさんの言う、「思考を止めて、瞑想すると、直感で正解が分かる」、それ、何で、どういうつもりで言い切れるの?と思うかもしれません。そこにどうやって同意すればと?どういう現象?スピリチュアル?

そう…ですね…。でもまあ、それをスピリチュアルと呼ぶかは置いておいて、概念自体はずっと昔からあるわけですよ。愛も感謝も瞑想も。この現代社会が、ぱっと見「言語化される気持ち」をメインにして、「俗世利益」で動いているものだから、我々INFPにとっては把握し辛い、適応し辛い感じになっちゃってるんですが、そもそも世界ってのはそういうスケールで存在していない。本当はもっと大きいスケールで存在している。んで、その中の、抽象レベルが高くて言語化されない、「空」「無」「愛」「感謝」「魂」、らへん、を理解出来たら、「言語化出来る社会」の部分は、もう、だいじょーぶなんです。共感しないまでも、対処出来るんです。そして、「空」「無」「愛」「感謝」「魂」らへんは、紀元前からむっちゃ一生懸命、人類の一部が理解しようと努めてきた概念だよね。古典。だいじょーぶ!INFPにとっては、そんなに難しく無い!いけるいける!今やっとこ!

というわけで。世界の基本構造。

入門編にして、バイブルという解説を目指しますよ!

はい!

じゃーん、
これが世界だーーーー!!!!

個々の魂ってば、最終的には全部ひとつにくっついてるんですね、ほれほれ。だから、自分の魂を辿って、みんなが集まるところに、自分から意識的にアクセスすれば、解が入ってるんですよ。それを捕まえて来れば良い…と。…何ともシンプル〜。

魂は、死んだら全部集まるところに吸収される。ここでは「ソース」と書いています。ところが、実は、「死んだら」吸収されるんじゃなく、実は、眠っている時も、魂はこの「ソース」に戻っていると言う。そして、実際は、いつでもつながりは途切れずにあるのだという!ここで!これを意識的に、ここと繋げるのが、「瞑想」です!

世界が始まった時、最初にそこに生まれたのは、「存在」、であったそうな。ヘブライ語だと「ありてあるもの」。日本語だと「あめのみなかぬし」でしょうか。英語だと「Great Spirit」だろうか。スピリチュアル界の人は、それを「ソース」と呼びます。「ソース」とは「愛」です。「光」でもある。「愛」と「光」は同じです。

わたしたちは一人一人、つまり、「愛」というでっかい存在から分派して、分かれて存在する、文字通り、「わけみたま」なんですな。人間に限って言えば、地球製の使用限度一回の肉体に、分け御霊をひゅっと入れてもらって、それで「オリジナルの体験」=「人生」を味わえる「個」が完成します。生きとし生けるものは、独自にした経験を、全て魂にプリントして、「ソース」 に還元する。生まれた瞬間はただのプレーンな「存在」だった「ソース」が、個々に分かれて、それぞれに異なる経験をし、「ソース」に持ち帰り、そうやって「ソース」は拡大していく。「ソース」がある場所は、わたしたちの肉体生より上の次元なので、そこでは「時間」の縛りがありません。過去も未来も、いっしょくたに並列で存在している。だから、現在の自分には分からなくても、未来の中には解がある。瞑想で、「ソース」にアクセスできれば、「未来」の解を、引き出すことが出来る。

「ソース」も自分自身の「魂」もベースが「愛」で出来てますから、「愛とか感謝とか」をモチベーションに「ソース」に繋がると、通りが良いんですなー。「自分や相手が、最も良い状態になるように」、という気持ちで発するパスは、最適解が素早くやって来ます。この時、考えや計算は要りません。

というか、考えること自体が要りません。

はい!

それでは!

実践しよ〜!「ソース」に解を取りに行くためのメソッドを開始しますよ〜!慣れればシュチュエーションを選びません。でも「出来るぞ」という感覚を完全に獲得するまでは、同じ環境で練習することが助けになるんじゃないかな。

瞑想の手順

1.静かな環境であぐらを組もう
お尻に座布団を入れた方が良い人は、入れてどうぞ。半跏趺坐で良いです。手は、手のひらを上にして、軽く膝の上に乗せます。親指と中指で軽く円を作る。この辺、何かポリシーのある人は、お好きな手の形にして下さい。目は閉じて良い。部屋を暗くして、目は薄く開けるのでも良い。

2.静かにゆっくりと呼吸を繰り返す
鼻から吸って、鼻から細く吐く。ここで、悩みを抱えているような人、ストレスの多い人、体調の良く無い人は、深い呼吸が出来ません。「全然深い腹式呼吸が出来ないよ」という方は、以下の方法を試してみよう。意識すると腹式呼吸が出来ないという人も、割合多いです。

方鼻呼吸
右手を使う場合、右手の親指を右の鼻の穴に、右手の薬指・小指を、左の鼻の穴を押さえるのに使います。「塞ぐ!」は両方の鼻の穴をしっかり塞いで下さい。

1.右の鼻から吸う
2.塞ぐ!
3.左の鼻の穴から吐き切る
4.塞ぐ!
5.左の鼻の穴から吸う
6.塞ぐ!
7.右の鼻の穴から吐き切る
8.塞ぐ!
→1から繰り返す

要は、吸った方と反対から吐いて、吐いた方から今度は吸うんですな。吸って、塞ぎ、吐いて、塞ぎ、の繰り返し。「塞ぐ!」のところは、指でぎゅっと空気が漏れないように押さえながら、息が多少苦しく感じるところまで耐えるのが良い。そうすると、反射で深くたっぷり息が吸えて、腹式呼吸の感じが体得出来るようになってくるはず。空気の通り道がしっかり確保出来たな〜という感じがしたら、普通の呼吸に切り替えよう。空気が、首の後ろの方を通って、背骨の中、尾てい骨の方へ行く、とイメージすると、瞑想に入りやすい。

3.体が動く場合、自然に任せる
呼吸を繰り返していると、体の凝っている部分を伸ばしたくなってくるかもしれません。腰とか、首とか。そういう時は、好きに動いちゃって下さい。「自分」は呼吸に集中して、体は、体に任せちゃって好きに、動きたいようにさせておきましょう。場合によっちゃ、そのまま2時間くらいストレッチしてしまう人もいるかもしれません。そん時はそん時だ。

4.ぽかんとする
あぐらをかいたまま、顎の力も抜いて、眼球の力も抜いて、呼吸を繰り返していると、この辺の体感は人によって違うんだと思いますが、わたしの場合、くらっと貧血のような感じが来ます。眉間あたりからぎゅ〜っと吸引されているような、バーンと後ろに倒れそうな、という気になる。でも倒れない。この貧血みたいな感じ、これはこれで気持ち良い。この状態で瞑想を終わりにしても、あぐらをかいて深呼吸を繰り返すだけで、体全体の凝りって結構取れてるんですよ。

5.質問する
本当は何も雑念とか無い方が良いのでしょうが、いつも思考しているタイプの我々には難しいことなので、「自ら帰結点を探そうと努力をしない雑念」は良しとします。「良い感じの人と、明日初めて行くデートで、ランチはどこの店に行けば良いですか?」「腰が痛いのが治らない。なぜ?」など。問いを立てたら、自分が思考する代わりに、「ソース」を直接、脳髄に受け入れるイメージをして下さい。質問をし切る前に、もしかしたら答えが浮かぶかもしれません。それが、「ソース」の解です。もうね、大丈夫なんです。「自分の魂」=「ソース」ですから。どうあったって、全部まるごと受け入れられてる。オールOK。世界のエネルギーの根源は愛です。だからこそ、わたし達は、自己の人生が、どこでどんな風に染まるのも、許可されている。逆に、最適解ばかり選ぶことだって許されてる。その方が共振するものが多くなって、ソースが拡大するので、最適解を求められることをソースは喜ぶんです。後は、「ありがと〜ございました〜!」と感謝して、幸せな気持ちで眠りについて下さい。

さて。

このプロセスを、望む瞬間いつでもやってのける人がいます。決断が早いタイプの実業家やスター芸能人やアスリートは、その一瞬で何をしているかといえば、この状態なんだと思う。キーワードは、「ぽかん」「ソース」「安心」。この「安心」のところ、ここに「愛とか感謝とか」、が、入りますよ!自分も周りも、「ソース」がくれる解も、信頼して、安心して、オープンで、リラックスして、委ねる。「快」がある。不安じゃない。疑っていない。この精神状態が、瞑想で解を得ることの出来る状態です。

「不安」になっちゃう場合。とはいえ、「不安」は、なりたくてなってるんじゃない、選択可能なものじゃ無い、と思われるかもしれません。しかし本当のところ、実際は、「ソース」にとってすれば、「不安」も「安心」も、どちらでも良いんです。どっちにスイッチをガチャコン!と入れても、どちらも許可されている。つまりは、結局は、選択するものなんです。「不安」が不快な時は、「ソース」とのつながりを意識してみて下さい。「不安」を感じる代わりに、何か、別のものがあることに、気付かせてくれるはず…。

…ちなみにこの瞑想法は、パクチーのオリジナルです。これまで読んだいくつかの本を実践して、この方法に収斂されて行きました。瞑想のやり方は色々あるので、まずは、どんな方法でも、挑戦して見て下さい。

ものがたりの主人公たち

INFPが、と言っていいのか分からんが、わたしはプレゼントを選ぶのが下手なんですよ。下手すぎて、もう人にはあげないと思うくらい。そして、プレゼントを貰うのも下手です。自分が何を貰って嬉しいのか分からない。欲しい物も選べない。そもそも、モノを貰ってもあまり嬉しくない。

その代わり、「この人はプレゼントをくれた」「くれなかった」ということが、わたしは、人の評価に連動しません。「お礼の連絡がない」、とかそういことでも評価が変わらない。

いくつかの人気の漫画を読んでいるうちに思った。この主人公たちは、人の気持ちが分からない。自分の気持ちを言語化しない。出来ない。他の登場人物たちと、コミュニケーションに難がある。その世界で共有されている価値観とずれている。だけど、ある種の言語化されない情報については、理解能力が高い。…「人の気持ちが分からない」のには、何か、目的があるんじゃないか?と、わたしは考えた。そうである必要が、何かあるんじゃないか?外科医みたいに、精神科医のように、「人の気持ちが分からない」からこそ持てる適性のようなものが。でも、物語として魅力がある時、その主人公は必ず、「愛とか感謝とか」を知っている。INFPは、やはり、「愛とか感謝とか」が理解されるまでの道のりが、人生の肝なんですよ…!

INFPは芸術方面に適性があると言う。これはまさしく、「ある種の言語化されない情報」の一種だ。著名な芸術家は、サロンの交流、つまり社会活動が苦手だった人も多い。「打算・かけひき・損得勘定・人を陥れる」に、秀でなかった人たち。言語化された人間の気持ちが分からずじまいだった人たち。音楽、絵画は、「いろいろなきもち」の言語化されない部分が、「言語」以外を使って表現されたものではないか………!INFPは、作品を作ることが出来ても、売り込むことが出来ない、と言う。巷に売り込める作品、とは、つまり、「人が欲しそうなものを作れる」ということだ。「この作品、あなた好きそうでしょ?これ買ったら、ほら、こんなに生活が豊か」という提案が、的を得ているということである。その前提は、「人の気持ちが分かる」から成り立つのであって、つまり、それは、商業的なデザインとして優秀だ、ということになるんですよ。それは芸術じゃねーのよ。だから、それがINFPに出来ないっちゅうなら、そら、出来んわな。INFPに分かるのは経験済みの自分のことだから。

自分が、自分の世界が、どこにも嘘なく、細部までこだわって、満足いく通りに作り込んで、そういう、完全な世界を作品の中に作ることが出来たら、それ、売れたとか売れないとか、もう、考えなくていいんじゃないか?というのがINFPさんへの提案です。お金は大切だよ。って、そういう風に言う人がいるのは分かる。でもわたしは、「お金が大切だよ」の、「大切」の意味が…実は…ここだけの話…本当に理解出来ない…。人々に伝わって、売って、それがお金になって、というサイクルの中にあるもの=芸術じゃない。というのがわたしの今の考えです。資本から切り離そうや、一旦。…何でかと言うと、「資本価値」という「記号化された気持ち」が、「言語化」同様、わたしには良く、理解出来ないからだ。

INFPさんが、どういう手段かに関わらず、どうにか生きながら、目的なく、どこにも嘘のない世界を、日常の中で、作品の中にクリエイトして、生きる。それだけで、それって、ものすごく希望的な案件なんじゃないかな。売るあてなく、誰かに見せるあてなく、一般の人々が日常、人間関係の中で言語化した気持ちの波の中で進路を取るのを卒なくこなす代わりに、わたし達INFPは、ひとり自室で、自分が満たされる作品を、自分だけに分かることばで創造するんか。そういう人生。

自分を満足させる作品を作る時間、それを作る時の精神状態、作品を味わって感じるもの、その全部に恩恵があって、そういう時間が人生の中にあるというだけで、十分、「芸術」と呼ばれるものの真価は発揮されてるくない?

やがて、作品の中に、「愛とか感謝とか」が表現されたものが生まれてくるかもしれない。それを作る時間も、それが置かれた空間も、それを味わう時間も、ものすごく豊かだよ。そういう状態のあなたは、誰が意図せずとも、必ず他者に恩恵をもたらす。

そして、かつ、わたし達は、他の人が作品に込めた言語化されない気持ちも、隣人のように感じ取ることが出来るじゃないの。ここには友達がいっぱいいるぜ。現在過去遡ったら、優秀の粒揃いだぜ。ひとたびそこに深く潜ってみると、そこは「自分の気持ちは誰にも分からない」という叫びがいっぱいに詰まってる。でも、最終的には、「それでいいんだ、あなたも、わたしも」と言っている。だからこの音は鳴っている。色は形を作っている。

作品の作り手の魂を近しく感じる時、その時わたし達は「ソース」で繋がっている。わたしが経験しなかったことを経験した誰かの魂がそこにあって、それは引きで見ればわたしの一部でもあり、自分自身だ。「わたし達は分かり合えない」「だけどそれでいいんだ」「あなたとわたしは違う人生を別々に生きたから」「そしてお互い、自分の一部だから」。その仕組みの全部を動かしているのは、「愛」というエネルギーなのだ。

わたし達が、作り手を近しく感じ、作品を愛おしむ分だけ、その作品を後世に残す一助になる。

そして、SNSで世界中に認知されているのが芸術なのでも、高値が付くのが芸術なのでも、美術館にあるのが芸術なのでもなく、自分ちの庭で咲かせた花だって芸術だということを疑わない。それが自分しか見ないのだとしても。自分の日常に、「言語化された気持ち」に濁らさせない世界を持つ。どもにも、誰にも嘘をついていない、真実のみで作ったエリア。

それがINFPにとっての、創造活動なんじゃなかろか。

INFPのものがたり。

その主人公の日常は、日々の中から濁りを取り除いて、「ソース」に織る。


…それでは、また!





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