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2022年のBTS

そうかもしれない。わたしが舞台の人たちといて、何か大きく救われたというか、何か大きく変化したのは、自分に起こる喜怒哀楽を感じていい、そのまま心を動かしていい、そしてそのまま体を動かしていい、そういうことだったのかもしれない。誰かがそのようにわたしに言葉で言ったわけではなかったけれど、そして当時のわたしはそのようにははっきりと頭で理解していなかったけれど、舞台を生業にして表現で食べて生きる大人たちを目の当たりにして、多分わたしは自分が自分に起こる感情を、そのまま損わずに自分が感じることに、初めて文字通り掛け替えのない、代わりのない価値を知ったのだった。しかし20代のわたしはまったく感情がねじれていて、自分の感情をいくつもいくつも係数にかけて、見目心地よい形に書き換えてでしか受け入れられなかった、自分が純粋に感じている感情は、世界で唯一ここにしかないなどとは思わなかった、自分の感情を素直に自分で感じて受け入れられることなんて、全体のほんの10%くらいだったのじゃないか。

2021.11.29のSUGAくんのVLIVEを見た時以来、SUGAくんの最近のことばは、何が起きたか、何を感じたか、あんまりにもノイズ少なく話してくれるので、その伝える能力、分かりやすさのレベルの高さに、ものすごく驚いている。

正月帰省して、普段読むことのない新聞を手に取ったら、小栗旬さんが大きな写真で載っていた。よかったな…。わたしは小栗旬さんと同い年で、24歳の彼が蜷川幸雄さんの舞台に出演する時、わたしは音楽スタッフのアシスタント(の代理)で、数回だけ稽古場に通った。出番以外の時間、彼の座る椅子と長テーブルの後ろに、音楽チームの長テーブルと椅子があり、ノートPCと機材を持ち込んで稽古を見ていたわたしに、「電源いっこ貸してもらえますか」と尋ねられたことがあった。「どうぞ!!!!!」。それが唯一の会話だ。

わたしは20歳の頃から5年くらいの間、音楽大学に在学中から、芸能人の出演するような舞台の音楽の作曲を補佐する「音楽アシスタント」、小さなアヴァンギャルド系の舞台を作るカンパニーの「演出助手」、そのカンパニーが音楽ライブをするときの「出演者」、の、3つの面から舞台に関わっていた。ギャラは交通費と昼飯代でほとんど消えたので、実家暮らしだったからこそ可能だった。小さなカンパニーの演出助手をすることで、舞台に必要な音楽以外のさまざまな役職の人たちと関わることがあったせいか、小栗さんのお父様が舞台監督であることを他の舞台監督から聞いたり、小栗さんの実家がわたしの実家の割合近くにあったことを知ったりした。でもやっぱり一番は同じ年の生まれだったことだと思う、会話は上記の一言のみだったが、わたしには「ちょっとだけ知ってる」ような一方的な親近感がある。

しかしわたしはそもそも、あまり演劇が好きではない。お芝居、演技、特にストレートプレイと言われる、シンプルに「演技だけ」の舞台作品は特に、自分の中で自然ではないような違和感があった。演じすぎている、濃いようなくどいような、洗練されていないような。わたしはもっと、訳の分からないものの方が好きだった。だからアヴァンギャルド系のカンパニーにいたのであるが。

家族が自死し、心機一転、舞台とはまったく違う方に進もうと思って、そこから今までに15年くらいが経った。音楽は手元にあるが、それでどうこうとは今のところ思っていない。東京を離れた島の暮らしで、島の奥様方のコーラス会の伴奏で、代理が必要だと泣きつかれたら仕事の合間に役に立とう、というくらいで。

あの時、舞台の上と周りにいたわたしと同世代の名のない人たちの中で、40代を迎え、あるいは40代を過ぎて今も同じ仕事を続けている人が今、その業界の中堅のようになっている。続けるって、すごい。辞めずにいることがすごい。とにかく辞めずにやり続けることこそ、本当に難しいことだったのだ、と今ようやく分かる。彼らに才能があったのか?15年前わたしの目の前にいた彼らは、才能の輝きもあったが、余分なものも多く、そこに辿り着くまでに遠回りも多く、アドバイスも多く必要としていた、ように見えた。継続して一番変わるのはその部分だったかもしれない。わたしの知らない「中堅」の今の彼らが表現するもの。天賦の才能はそれはすばらしいが、それがあろうと離職の危機はいくらでも訪れる。本当にすごいのは、分かりやすい若い才能がなかろうと、それこそ言葉の通り、継続は力なり…食っていくのが難しい職業で、山があっても谷があってもその道に20年ほど居るという継続は、蓄積された経験は、ポジションや信頼という力に否応なくなるのだろう。

若かったわたしは、才能の方に魅かれて継続の力を軽視していた。でも本当に堅牢なその人の魅力を作るのは、継続の力の方だった。クリエイター、表現者、アーティスト。自分に何があっても続けられる人は、続けた先に何者かの形になるのだ、と、紙面の大きな小栗さんを見、また久しぶりの帰京でわたしが代理をした音楽スタッフの先輩の現在の風評を聞き、最近ではそういう風に、強く思う。

有名税を支払わなければならないような人たちが、実に実に不自由であることを知っている。わたしは「演劇」というスタイルには個人的になじまなかった、が、しかし、わたしが「自分は、自分に起こる喜怒哀楽をそのまま感じていい」と感覚的に知り得たのは、彼らのおかげだった。

彼らが舞台上で自由になる、ほんの小さな瞬間、純粋な感情が空間全部を埋め尽くすのを、幾度か見た。それはそんなに多くは起こらない。けれど、それがなければ、ステージの上に生み出される世界はおそらくきっと保たれない。

J-HOPEくんのinstagramで、ちょっとした長文が投稿されていた。英文の方をDeepLで翻訳した。

2021年は私にとってどんな年だったでしょうか。
新しいこと、違うことにたくさん挑戦した1年。
チョン・ホソクという人物とその人生を振り返る1年。
もしかしたら、j-hopeもBTSもフィナーレを飾る華麗な炎のような1年だったのかもしれない。

探せば定義が無数にある。
2021年を振り返り、その意味を考える機会を得た私は、初めて自分らしく年末を過ごしている。
"自分のための時間 "とは、こういうことなのだと、今、感じています。

限りない愛と期待と励ましに、改めて感謝し、感謝し、2022年にはいただいたものをお返しできるような、そんな一年にしたいと思います。

大きな終わりと新たな始まりの中間点。
今、私が感じていることはただひとつ! まだ、ワクワク感が残っています。

不測の事態が起こらない限り、大好きな音楽と演奏を続けていこうと思います。
そうやって、自分の幸せへの一歩を踏み出していくんだと思います!
すごく大変だったけど、楽しかったし、幸せでした。
アデュー~ 2021年 😝

https://www.instagram.com/p/CYI1KhMJqK4/
  • 自分にフォーカスして年末を過ごしたら、自分を定義するものはたくさんあった。

  • 2021年が、BTSとj-hope の最盛期だったのかもしれない。

  • そうだとしても、自分がやるべきことは分かっているし、そのことにまだワクワクしている。

ジンくんがコメント欄で3行に要約することをお願いしているが、わたしなりに彼のテキストを読み解いて要約すると、こうなった(しかし相変わらずDeepLの訳はすごい)。

彼が「自分を定義するもの」をこの投稿の他の写真に語らせていると考えると、チョン家の長男としての自分、グラミーに出演するアーティストとしての自分、ダンサーとしての自分、UNのプレゼンターという世界の若者に影響力のあるスピーカーの自分、モデルの自分、などなど、を、伝えているのかなと思う。

彼がこの投稿の他に投稿している写真をひとつひとつ見ていくと、彼が、自分のことをとても丁寧に扱っているのが伝わって、愛おしくて、なんだか泣けてくる。「映え」で身の回りのものを選ぶと、その基準とは自分の外側にあるものだ。でも彼は、自分が自分を愛おしめるものに包まれているように見える。「自分」と「モノ」に対する愛情がシンプルに伝わる。見ているわたしは単純に嬉しく、胸が温まる。

RMくんのinstagramの写真は、見ると、ほとんどの写真の光、自然光の美しさに共通点があると思った。

光を、彼は光にフォーカスして世界を見ているんだなあ、という気持ちになる写真群。このnoteのヘッダーの写真もRMくんのinstagramより。ほう…きれい…。本当だね。世界は美しいね。

彼は「BTSというアイドルとしての自分」、以外の自分の世界を、instagramで伝えてくれているような気がする。彼の中で高く調和する世界。静謐なサンクチュアリのような。

2021年が、J-HOPEくんの言うBTSの「フィナーレを飾る華麗な炎のような1年」だったとしても、彼の生きていく時間は続くし、彼のサンクチュアリはどのようにも拡張し続ける。変わらずにはおれない。だって世界はまだ、こんなに美しくあるのに。

自分自身の喜怒哀楽を、世界でそこにしかない唯一のもの、自分だけが味わえる自分だけの味、だからそのまま感じていい、そのまま身を委ねていい、感じるままに体を動かしていい、シンプルに、素朴に、素直に…SUGAくんの語り口、J-HOPEくんや、RMくんのinstagramの写真群、彼らは今持っている自分が感じる感じ方と、それを表現する素直さを、この先どんな場面の、どんな職業の、どんな生き方でも失わずに持ち続けるだろう。それは最初から持っていた表現方法ではない。今までの時間をかけてそこに到達したのである。

このことの何がすごいかって?

「アイドル」の表現とは、これまで真逆のものだったからだよ。プロダクションの会社があって、アイドルという商品があって、ファンという顧客があって、ニーズに合った表現がある。有名な芸能人は不自由で不自由で不自由だ。「ファンのニーズに合った商品価値のある表現」が公私ともにアイドルのするべきアウトプットの全てで、それ以外の全ては不適切だった。これまでは。きっとこれからも。だからBTSのメンバーが、「アイドルという商品としてプロデュースされた適正な表現」から、自分を切り離して、そのことを意識せずに、自分の感受性が受け取るものを肯定して表現している時、それはもう「BTSというアイドルグループのメンバー」である以上に、本人の存在の方が上回っている。肩書き以上に、自分の人生に自分でその責任を負っている。「BTS」という商品、「RM」「JIN」「SUGA」「J-HOPE」「JIMIN」「V」「JUNGKOOK」という商品を、仮に好まない人がいるとして、でもすでに自分の感受性を受け入れ、自分が感じるように感じることを完全に受け入れている人の前では、その人そのものの存在は動じないし、何も損なわれないし、何も変質できない。

続けることこそ、難しい。

BTSは続いていくだろうか。

山があっても、谷があっても、続いていくとその人にしかなり得ないものになっていく。彼らのそれは、どんな形だろう。

アイドルは、BTSは、さぞや肉体的には不自由だろう。圧倒的な不自由さ、しかしそのの中に、どこまでも拡大する精神の自由を目の当たりにしたのが、わたしは、演劇の舞台の上だった。自分でない人物、自分の服でない衣装、必要な段取り、決まったやりとり、決まった言葉、何一つとっても自由ではない。なのにそこに現れる自由。

SUGAくんの語ることばの分かりやすさは、絹の布のようだと思った。メンバーの中で最も「アイドル」向きでなかった彼のいくつかのアイデンティティを統合したのはことばだったのか。音楽面で、メンバー以外のスタッフとのやりとりが一番多いのはSUGAくんだったのかもしれない。しかしそうだとしても、彼のような語りは、あまりに稀有なんじゃないか、他にないんじゃないか、彼の語りは、自分の今感じていることを変質させることなくそのまま言葉に置き換えているように聞こえる。湧水のような純度と淀まなさ、誰に対してもすっと染み込む言葉の丸さ、穏やかさ、シンプルで過不足のない感じが、どこにも突起も雑なところもない感じが、例えるなら絹の布みたいだなと思った。

彼が言葉をにごらせないから、彼は彼の感じたものをそのまま受け入れているのだと言うことが分かる。自分が感じる感情に、何も圧をかけず、どこもねじれさせず、感じたままに感じることを受け入れた時、心は最も自由になる。感じたままに感じる。そのまま声に出す。そのままに体が動く。そこには肉体が自由であっても得られるとは限らない、精神の自由がある。

アイドルBTSは、ステージに立つ夢を叶え、ペルソナに苦しみ、自ら檻に入り、伝えるべきことをどこまでも探し続けた。富と名声とを引き換えに、強烈な不自由の中で生きている。その世界で、今、過去の延長線上にいる彼らが、精神を自由にして、今の彼らが見るもの、出会うものを語ってくれて、共有してくれるなら、わたしにとってそれは、すごく大きな救いであり、希望であり、わたしにとっては、大きな許しだ。

そんな気がする。

感じたままに感じることを自分で受け入れていると、そうでない人と話している時、異世界感を感じることがある。その人が目の前にいるのに、その人じゃない人と話しているような、実態のない時間を過ごしているように感じられることがある。そして、感じたまま感じることを受け入れている人のそばにいると、ことばを交わさなくても、時間がどんどん濃くなっていくような、世界には何も限界がないような気になってくる。光はどこまでも美しく、人の作るものは叡智に富み、自分の知らないレベルの調和を教えてくれる。人といると、ぐんぐん進む。その時間、それを体験するその瞬間のパートナーにお互いがなっているんだと、後から分かる。

BTSというペルソナ、アイドルという檻、それが長く長くテーマとして存在したステージを、超えつつあるように感じた。それを感じさせるinstagramってすごいな、それとも写真という媒体が持つちからかな?

ぎゅんぎゅん変化していく、BTSの次の次元はなんだろう。

「こんなもんじゃない!」

そんな2022年になる気がする。


それではまた!!



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