見出し画像

Samsungのビデオと、BTSをカップリングしたい心理、下からみるか、横から見るか

ほほい!パクチーです。

最近毎晩飲んじゃって…朝トイレに座りながら、ぼーっとしている瞬間、寝坊して、「幸せだな…」と思っているパクチーです。時間がある時はいつもマンガ読んでるか思考の呂律が回っていないので、ここのところ込み入った事が書き上げられない…。

しかしな。わたくし、いつもこのnoteという文系の国にあって、毎回暴力的な文字数を投げ散らかしてしまうので、いつもそのことを皆さんに済まなく思っていたので、たまには内容の無い日があっても良いよね!

さて。Galaxy x BTS: Galaxy for the Planet | Samsungのプロモーションイメージ動画が公開されました。ジンくん!フリップをめくるスピードが少しゆっくり目なんだね〜〜ド正面で、少し上から見下すんだね〜〜わ〜〜〜すてき〜〜〜〜〜の気持ちと同時に、見て最初に思い出したのはこのMV。

若い人は知らんだろうなーーー!わたしだって前のボスに仕事で見させられたくらいで。金字塔的な、有名な、世のミュージックビデオの走りと言われる動画。この後あらゆるパクリ動画が作られたが、極端にシンプルな演出ながら、妙に影響力のある、高度に成立した芸術的な作品。

前回のnoteで触れたVaundyくんの音楽が、わたしには往年の流行曲のコラージュミュージックに聴こえる感があり、ここのところ「時代がひとまわりしたんだなあ…」としみじみ感じていたところでした。このSamsungのプロモーション動画も、見る人が見たらすぐ分かる。にしても、自分が10代の頃に聴いていた音楽、周囲が聴いていた音楽って、曲の存在自体を忘れてたくらいなのに、深いところにぐっさり刻まれていて消えないんだなぁ…!ワンフレーズで当時の情景まで思い出すわ。わたしの世代が音楽作るなら避けるフレーズ(元ネタがすぐ思い浮かぶ)を、使ってしまえるあたり、「聴いて育ってない世代か」…と、しみじみ思ってしまった。

わたしの若い頃はビートルズおじさん(流行曲をなんでもかんでもビートルズにつなげて語るおじさん)がいて、「なんでもビートルズにすな!こっちがオリジナルじゃ!」と鬱陶しく思ったものだったけど、ビートルズおじさんはある意味正しかったのかもね…と思って。ビートルズをリアルタイムで聴いて青春を過ごした世代からしたら、20年後くらいのポップソングにビートルズ的フレーズが一瞬でも埋め込まれていたら、元ネタの曲と一緒に青春の一ページが蘇っちまうんだな、こっちに歴史と体験の層がないだけで。ビートルズも仕事で全曲聴きました。いかに偉大かということも含めて。その後当たり前になる商業音楽の録音技術は、彼らが発明したようなもんだったのでありました。

今回のSamsungのイメージ動画が社会派な内容なこともあり、海洋プラスチックについてとか(一番環境に対する影響の把握が難しい一次マイクロチップは、化学繊維の服を洗濯する度に毎回海に流れているんだ〜よ〜)、ボブ・ディラン、ビートニクあたり、若い方々がお調べになると面白いと思います。ヒッピーカルチャーとかも、今は、もう…都市化した日本じゃ化石みたいなものなのでしょうか…それともコミューンとして別の形に進化したのかしら。謎。

先日ふと、見たことのない人気のBTSブロガーさんのブログを覗き見て、ついついいくつも記事を読んでしまったのですが、「きっびしーーーーーーなーーーーーーーーっっっっ(涙)」というのが読後の感想でした。ショービズ業界、そんなタイトさで誰も仕事してないよぉ…そんな厳しいこと言って、自分が作る側のスタッフになったら、その細かい高度な要求レベルに応えようとしたら、何も実現できないし、頭おかしくなんで…?このブロガーさんが推察するように影の動きまで整合性を持たせて計算して作られているとすれば、クリエイトにその余地を持って精密に作れる可能性があるのは、公式MVと公式音源くらいだろう。そんなことまで誰も考えて仕事してないって〜…大目に見てあげて…と、涙が出そうな、出ないな、複雑な気持ちだった。

「タレント」の語源をご存知だろうか?「タレント」とは、通貨の単位であり、与えられた「1タレント」を増やす能力を転じて「タレント」、すなわち能力や才能のことを指し、やがて能力や才能のある人を「タレント」と呼ぶようになる。その「タレント」的要素…ショービズの第一線で活躍するような人たちは、インプットしてからアウトプットするまでの回路が、常人と桁がちょっと違う。彼らのしているアウトプットが、普通の常人がノーマルに考えるプロセスと、異次元の回路を通っている。…これは目の当たりにしないと理解が難しいことなのかもしれないが…。

つまりこのブロガーさんは、メンバー同士がカップルに違いないと考え、パクチーはこの深度のコミュニケーションをタレント同士は通常取るという思いで読んだ。わたしが芸能界の端っこでスタッフをしていたのは、もうずいぶん前のことなのだが、一般の人の要求のあまりの高さに、つい目の前がさーっと暗くなってしまった。メンバー同士のコミュニケーションを細部まで深読みする熱い情熱のベクトルの方向と、パクチーが持っていたなけなしの現場感覚とのギャップに、ちょっと腰が砕けたのかもしれん。

ここ一ヶ月くらい、わたくしすごく熱心にTLをはじめとするエロ漫画を読んでいたんですが、なんで?自分でも分からなかったのだが、どうして?わたしは、慢性眼精疲労に苦しんでまで、こんなにエロ漫画に一体何を求めているんだ?その理由が自分で分かりそうになった時、以前から一定数おられる「BTSのメンバー同士をカップリングしたい心理」について考えてみた。

古くはギリシア古典文学を紐解けば、そこには男性の同性愛こそ、至高の愛の形であると説かれており、その愛憎はなかなかに濃ゆい。ヘテロ(男性×女性)の関係は「子孫が残せる」。であるから男性×男性(若い)の「子孫を残す」目的のない愛こそ、本来の愛であるという考え方であった…(と、中学の世界史で先生が言ってたけど、記憶合ってるかな?)。日本も小姓との男色の文化があって、愛憎濃ゆい場面もあったようだ。

時代が変われば、地域が変われば、考え方も変わる。BTSのメンバーを、メンバー同士でカップリングさせたい方々において、「カップルだったらな〜」程度から「カップルに違いない、なぜならー」というところまで、思いの強さは個々にあろう。

しかし、とりあえず、けしからんとか、こういう風に考えるべき、べきでない、という風にはわたしは思わない。

ただ、この系統の思考を持つのは基本的に女性なのではなかろか?

パクチーは中・高女子校で、授業中に出回る漫画の中にBLも半数くらい含まれていたので、「男性×男性」のカップリングの「ものがたりとしての魅力」について、ヘテロの物語で物足りない時、BLによく描かれていると思う場合もある、そこに魅力があるのは合意する。

一部の女性にとって、「男性×男性」の物語はどうして魅力的に映るのだろう。

そこには、「夢とか、希望」がある。

そして

「女性」が不在である。

パクチーは「女性が不在」というところが重要なのではないかと思った。あるいはそこに女性(自分)が不在だからこそ、「夢とか、希望」が持てるとも言える。

約一ヶ月の間に読んだ膨大な量のエロ漫画のストーリから、我が脳内に、エロスの黄金律とも呼べそうな新理論が組み上がりつつある頃、それを完成に押し上げるきっかけとなる、ある動画を見た。

漫画じゃないんかい、というのはさておき、わたしはこのお二人とも存じ上げなくて、この動画で初めて見知ったのですが、かなり熱く胸を打たれた。エロス…とは…そうか…そういうことだったのか…。

男性の高度な「心・技・体」…。

そして

女性の「女神性」…。

男性の集中、ストイックさ、才能、表現、高い技術、それを目の前でばーんと打ち出された時、受け手の女性が、感動して、惚れ惚れして、魂が昂る、安心して、自分自身を高みに押し出し、自分の中の未知の扉に手を伸ばす。

女性はコアのところに女神的なパワーを持っている。

それは発動させると全ての周囲のものを強く鋭い光で照らすのだが、その光とは、あまねく瑞々しさや活力を与える、そこにあるだけで循環を生む力なのではないか。しかし「女子」がその「女神性」の未知の扉を押し開けるのには勇気がいる。自分でないもののようになるのと同義だからである。

その勇気を後押しするのが、「女子」を「女性の女神性」を持つ者に変えるのが、心と体を伴った高度に完成された男性の技術であるのではないか。女性が、自分がゆらぎの中にあっても安心できる、自分が未知の状態になることに勇気を出せる、一歩踏み出して解放できる、解放した自分をこの人になら預けていられるという「信頼」。それが高度に担保された状態を体感している状態が「安心」で、それを安定して保つのは、男性の本質的な実力のある「心・技・体」なのである。

女性が自分自身を超えたもっと高次のエネルギーを、自分から発することを受け入れるのには、相手にそのレベルの「信頼」と「安心」の組み合わせがセットなのだな、と、その相互の関係を、ライブで見ている…見ちゃってて、いいんですか…。と、この動画はそういうように見えたのだった。終盤感極まってる女の子が無茶苦茶良い表情をしていて、余韻の抜けない2人も、見ちゃってて、いいんですか…。という。

…ところですっかり酔いも抜けていつものパクチーだよ。ごめんよ、またいい文字数だよな、おいってな感じで。素面でよく書けるなって内容ですが。

そう、つまり、まず、

高度に極められた「心・技・体」が、どのシュチュエーションでも安定して繰り出すことのできる男性がいる。

その表現に胸を打たれること。その表現に、自分も高まること。

相手の表現の上に、安心して自分を開いて、新しい自分の側面を解放し、表現できること。

その両者がが響きあって、互いが、自分が知っている自分を超えた状態に一緒に押し上げられること。

どうでしょう。これ、まさにBTSのメンバー同士の状態と言えるのでは無いでしょうか!人と人の間における至上の黄金律の状態、究極のエロスの状態であると!!

これがなんでエロいのかって?自分の知らない自己という領域に足を踏み入れるのが、他者の介入によって初めて叶うって、エロくない?

どういう条件が揃ったら、自分の知らない自分の中の女神性が発揮されるのか、BTSを画面越しにして見る者が目の当たりにするのは、まさに、この!答えそのものだ、「BTSの前にもし自分がいたら、それが自分に向けられていたら、わたしは自分の女神性が解放できる状態になれるだろう」。生きとし生けるものに差別なく循環する光を与える、人を超えたエネルギー。そう思いながらBTSをただ見ているだけの状態の自分はなんて「夢とか希望」でいっぱいなんだろう!

でも現実には、おそらく、BTSのメンバーたちの間に生身のリアルな女子がひとりいたら、つまり自分が彼らの密な関係の中に混ざっていたら、そうものごとは上手くまい。「信頼」「安心」「解放」、ただお互いが自分自身をすっかり発揮する、それだけのシンプルなことなのに、自分がそこに至るまでにはたくさんのノイズ、クリアしなければならない雑音が数多くあるだろう、自意識とか、エゴとか、自分に対する自信のなさとか、自分は誰の子供を産むのかどうか…家と家同士に問題はないかなど…。

女性がが女神性を発揮するために、本当はクリアすることが必要な「自意識」「エゴ」「自分に対する不信」「適齢期」「子孫を残すことについて」、それはつまり打算を捨てるということだが、「メンバー同士」、男性同士だけを見ている限りは問題ならない、立ち上がってこない、自分の打算は無いものとして扱うことができる。

「現実の自分」は振り返らなくて済む。

見なくて済むから、夢とか希望がいっぱいなんである。

メンバー同士がカップルかどうか、その方々には夢とか希望とかを持っていて頂きたいので、パクチーの私見は述べない、が、ただ、カメラというのは間違いなく、非常〜〜〜〜にものごとを良く映すメディアだと思う。

「だから映ってるでしょ!」と、映像から熱愛を読み取れると言われるならもう何も言えないのだが、そしてあからさまに映ってない場合、「カメラの前だから自制しなくては…」と仮にメンバーが思っているなら、相反する感情をも含めて見ている側にはエロスなんだろうが、

繰り返すが、カメラってのは、非常〜〜〜〜〜〜〜に良くものごとを映すんですよ〜〜〜〜〜〜〜。

でも、パクチーは、少なくとも、一部のファンの人たちに「恋愛関係なのでは?」と憶測される人と人との関係のある理想のようなものが映っているように見えるなら、それはどちらかというと「良いこと」なんじゃないかと思っている。「メンバー同士が不信を持ち合っているのでは?」と憶測されるものが映っている場合よりずっと、比べようもなく、掛け値なく、良いだろう。そこに見出している深く親密なエロス、自分の女神性が解放されてしまう予感が持てるくらいの、夢とか希望のある理想の愛の関係を目の当たりにすることができるのは、それを知らなくて、ビジョンすら持てない場合よりも、ずっと良いことだと考えるからだ。

もしあなたのご両親が、互いに愛し愛され、信頼しあっているご夫婦だったら、それを目の当たりにして育った「知っている」状態は、それだけで財産であろう。もしそうで無いならば、愛し愛され信頼し合っているケースを知っていることが財産になる。BTSは財産になりうるのである。そういう関係はあると知っていることが、「自分は他者から、大切に扱われるに値する」と思うことのできる「自己肯定」の部分に、必ず影響を与える。

わたしの結論は、「メンバーたちが一番影響を受けるのは、メンバーだろうなあ」というところと、「彼らはタレントである」。人と人との間の、通常時に流れる交流の深さが、深く、濃く、代替不可。カップルであるかどうか以前に。

しかしメンバー同士の関係をどう定義しようと、わたしが読んだブロガーさんのように、出てきた情報の一切を保管して留めて、隅々まで細かく細かく繰り返し見尽くそうとする態度は、一般的に、メディアや報道や出版やSNSのお仕事をされている方々にしてみたら、終わった仕事が終わった端から過去になっていく感じは、諸行無常さを、一切が空的な感覚を持ったりするものだから、他にはありえない、ありがたい存在であると言えると思う。間違いなく。

BTSの休暇明けが発表されないのには、世界のさまざまな事情がからんでいるのではないかと個人的には思っています。だとしてもアーティストがやることって変わんないんだよね。いい曲を作って世に出す。その部分に関しては彼らは徹底していると思います。それ以外のところは会社全体で組織で人々が関わるから、パクチーの考えは及びもつかないですが。

と言うわけで、思った以上に重くなってしまった今回のnote、大丈夫かな!気楽に読んで欲しくて始めたんだけど…。むしろ自分が、いつも自制していることを気楽に解放してしまった感あり…っと…ぐびっ(白ワイン)。

それでは、またっっ!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?