BTSジンくんの中の子
以前も時折写真作品で見せくれることがあったけれど、「Abyss」以降彼がしばしば見せる、磨きのかかった目の暗さに、わたしは、もう、すみません、どうしたらいいのか、本当に、暗い目の男に弱い…!
2020年の年末。ジンくんが彼の誕生日に自作曲「Abyss」とメッセージを公開して、それ以来「あまり食欲がない」ということを彼が言ったりすると、やっぱりわたしはつい「どういう状況なのかな」「元気かな」と気になってそわそわした、彼の本意ではないと思いつつ。Weverse Magazineのインタビューによれば、彼は今現在バーンアウトの渦中にいるわけではないにしても、そのことから自由になっているわけでもなく、今も向き合おうとし続けている最中なのだろう。
分からない…。彼がどんな精神状態で、どんなことを考え、どういうモチベーションで、何をビジョンして、わたしたちの目に触れる日々の仕事と向き合っているのか。
それはもちろん、もともと、わたしにはどうしたって分からないことであるのだが…。
8月26日付で、ビルボードのインタビューが公開される(そのうちオフィシャルに日本語訳が公開されるのだろうか?)。その終盤、読んだ人誰もが「おっ」となったであろう部分。
そう。2018年、彼が涙を堪えて語った解散の危機があったことについて、わたしの中では何も終わってないし、まったくフレッシュなまま置いておかれているんだが、最近になってちょいちょい触れられる度に、そうであることをひりひりと思い知らされるんだが、それはそうと、わたしはDeepL翻訳ツールにかけて読んだんですけど、 DeepLさん、ほんまでっか…、
クソくらえって、言いました?彼?
ま、だからDeepLの翻訳がちょっと衝撃的だったのはある。
相変わらず核心については語られないので、当時彼らが活動を続けることを困難に思った最大の理由は具体的には分からない(「契約更新をめぐ」ってなのか?果たして?)。そればかりでなく、とにかくオブラートに包まれまくってこれじゃ何が何だか分からない上に、分からせるつもりもなく、読み手が振り回されて終わる、ただほんのちょっとのスポイル(しかしこのインタビュー全体を引き締める大変効果的な)であった。ぐぬぬ。もっと…もっと!くれ!!
まぁそんなこと言っても仕方がない。長文を読み終え、わたしはパチンと画面を落とす。わたしは日常の動作に戻り、しかし数十分経った頃、ふいにぐっと頭が最後の一文に引き戻った。何かがぱちっと光った気がした。
ものすごい、戦っている。彼は今、ものすごく戦っている、深淵のぎりぎり淵のところに立って、時折嵐のようだとしても、その場所で答えを見つけようとしている、自分の中から。
そうか…。
そうだよな…。
これは単なるわたしの閃きなので、だから全く何にも基づいていないのだが、この閃きをきっかけにして、わたしは、もう一度彼の言葉、彼の表現しているものから自分が受け取る印象を、感じ直してみることにした。今彼がいるのは、彼の、全てを手放す寸前のところから「もう一度」精神面で這い上がって取り戻した場である。
わたしの心配の仕方は、もしも彼が苦しく思っているのなら、苦しくないためにはどうしたらいいんだろう?その解決の為の、休む、休息、温かい食事、わたしはそのようなことしかイメージできなかった。
それは「心」を保護してくれ、という気持ちで、究極的には「逃げてくれ」、に近い。
「逃げてくれ」。何がどのようにどのくらい彼の心に負担をかけているのかは分からないけれど、逃げるべき時に逃げられないのは、魂の形を歪めるような辛いことだから。魂が歪んだら、心を撓めてしまったら、次第に心は何も囁かなくなってしまう。心が壊死していくのと体の機能が健全さを失っていくのは比例する。壊れてしまった体と心が元に戻るのには、悪くなったのと同じくらいかそれ以上の時間がかかる。
しかし、「逃げていいよ」が救いにならない時もまた、当然あったことを思い出す。
それは答えは自分の中にあって、自分が見つけるしかないことを充分既に分かっている時。逃げてこそ、魂の形が歪んでしまう時。自分からは逃げられない。自分以外のところを探しても答えはない。それでも辛いよ。こんなこと続けられないよ。そんな時は少しの間距離を置き、空間を保ちながら、でもそれは体勢を整えるための準備であると知っている。
自分が得たい答えを得るためには、この壁を乗り越えるしかないのだと分かってしまっているなら、しんどくても、傷ついても、周りに泣き言を言いながら、甘えながら、助けてもらいながら、癒してもらいながら、自分を叱咤しながら、弱さを受け入れながら、諦めないで希望を持ち続ける、挑み続ける、望む答えを見るまで。ここの見極めは難しいんだが、逃げても、逃げた先で、また再び同じ壁は現れる。新しい場所に慣れた頃、忘れた頃、同じことがまた問題になる。同じ理由でまた立ち止まる。その先に進むためには、どこかの段階で壁を超えなくてはならない。自分がまだ見つけていない自分を隠している壁。自分の知らない可能性。白紙の自分。未知数のエリア。
そういえばわたしは思い出した。
2021年のFESTA、ARMY万屋で、ジンくんは「逆立ちしてシャワーを浴びた」話をした。
この話には、のちに本人より真面目なフォローが入る。
無為の時間が癒しのために機能することについて全くアグリーなんだけど、真面目にフォローされたとて「ふむ…なるほどね。それでシャワーを逆立ちで…ですね!」とはならんのよ。ならんかったよね。「ふむ…?ふぅむ…、いや…」理解しようとて、理解を超えていた。だってやっぱり自分の中をどこをどう探しても、シャワーを逆立ちで浴びたい動機が、出てこないよ、ジンくん!ただもう、危ないし!よほど速乾性のある、カラッとする素材の床でしょうか。うん。そんな気はする。
けれど「クソくらえ」の一文を見たことで、わたしは、「ライフハック」という言葉が浮かんだのだった、このシャワー案件について。
ちなみに「ライフハック」、パクチーは正しく理解はしておりませぬ。でも生活の小知恵みたいな意味ではなく、日常のルーティーンを、人々の生活の当たり前の解釈を、考えるまでもなくシステム化された日々の動作を、ぶっ込む。異物を。そしてその意図を崩壊させる。そういうハッキング的ハック、のイメージでライフハックという言葉が浮かびました。
どうしても自己啓発せざるを得ない彼と同世代の韓国の若者や、休息でさえ、趣味でさえ、生産性を求めてくる現行の社会の、人生競争、人格競争、選別社会がある。その既成概念に対するハック、アンチズムとして、真面目な彼は、「そうじゃない」と言う代わりに逆立ちしてシャワーを浴びて見せるのであった。ほんまかいな。
しかしただ「生産的なことを何もしない」受動的な範囲にとどまるのなら、それは「休息」で、周囲の人は彼のするべきこととして容易に納得するでありましょう。でもそうじゃなくて、彼の周囲の人ほぼ全てが確実に望まない「無駄」のクリエイト(=逆立ちシャワー)が、彼に満足を与え、心を安定させたのは、この行為にカウンター精神、アンチズムがあったからじゃないのか。
「その日がどれだけ情けなかったか」、「バカみたい」で、だから「楽しかった」、だから「充実した」。これは、世間一般が求めてくる期待、要求、価値観に応えてやらなかった、だから、楽しかったし、だから充実感があったのである。意味?意味なんてない。人生、意味のあることのみで構成されていなければなりませんかね?意味のために生命があるんですかね?意味のために俺の人生があるんですかね?意味のない命に意味はないんですかね?
そう、もともと人生に意味なんてない。
命にもともと与えられた意味なんてない。
ジンくんといえば、きちんとしたお辞儀をする、「超」礼儀正しい子。
ジンくんといえば、弟たちに好きなことをやらせて、自分は出来てしまった隙間を埋めるような、ハブとして機能することに自分を使える人。
Run BTS! - EP.148より
(この直後の「くれぇ…」と言う弱々しい声に注目)
ジンくんといえば、自己を主張することよりも、全体が調和していることを優先順位高く置けるような人。
と、思っていたんだが。
しかし…。
そうと見せながら、平和を愛し、スムースな進行を尊び、調和を優先し、そのようでありながら、かつその下の階層には、全てをひっくり返したい、すでにある秩序をぶっ壊したい、混沌に戻したい、そんなパンク的な、ロック的な、アナーキストなエネルギーを、奥に、体の内部に、実は飼ってる人なのだろうか?(Run BTS! - EP.149 インテリア後編では、リーダーの役職そっちのけで、楽しそうな方=J-HOPEとペンキ塗りの方へスムースに移行)。
別のエピソードも思い出した。
2017年のTV番組、歌謡大祭で司会の一人を務めたジンくんは、オープニングでたった一人、ハートの紙吹雪を散らかして自己紹介する。
キメ顔後の客席からの声援に、「ええ僕はイケメンです」と進行の合間に素の返答を挟む(どちらも2017 KBS Song Festival Part.1 | 2017 KBS 가요대축제 1부 [ENG/CHN/2017.12.29]より)。
Bangtan Bomで舞台裏を覗くなら、かなりのプレッシャー、かなりの緊張の中務めた司会業のようである。事前の司会を担当するアイドルたちのレッドカーペット(プレス用の写真撮影)も、足元を掬われないよう互いに牽制しながら始終張り詰めた緊張感があった。自身も防弾少年団として出演もする3時間以上の生放送、ふつーでいい、ふつーで!それで十分だから!!と全てのスタッフが思っていたに違いない。
彼がその頃、彼らのイベントで予想外に仕込んだハートでファンを喜ばせる、ということに凝っていたとしても、あのような類のステージで彼が異物を持ち込まざるを得ない衝動、動機はどこにあったのだろう。そこで起きている性質のことは何だったのか?
わたしには、彼の中に、予定調和、無機的な進行、考えることを止め思考停止してしまっていることに対して、一時停止したい、波紋を作りたい、崩壊させたい、ぶち壊したいという、インテリ且つカオティックな欲求が、あるように思われるのである。古いところを振り返ってみると、Run!BTSの最初の長距離遠足の最後に書いた詩が後半路線が変わることや(Ep.56 バンタンピクニック)、バラエティー番組「冷蔵庫にお願い」のジンくんの食レポのぶっとび具合や、一時期凝っていた親父ギャグが、それは一見、ユーモア、天真爛漫さ、の範囲に収まるかのように見えて、実はジンくんの無難な解決、予定調和に安らがない、もともと持っている彼の魂のアナーキズム体質によるものに思えてくるのである。「ファンの皆さんは、僕たちを見ることが趣味じゃないですか」然り、「イケメンということで食ってるので…」然り、彼が収められているパッケージは、「それはパッケージだよ」と自ら破るのである。
だから、もしも、もしもだよ。
彼の深淵にいる、まだ彼は海辺をちゃぷちゃぷしていて出会っていないという、その海底の奥底にいる彼、デビューして8年間、彼本体の育ちの良さや、儒教的道徳観が髄から体現されているような好青年、の皮下で、ずっと大人しくしていた魔物が、実はアナーキストで、もうむずむずして出掛けたくなってる、ちょっかい出したくて仕方がなく、見て見ぬ振り出来ないくらいに、振り返ればそこにいる、
その深淵の子が、
全てを混沌に還すことをご所望なら…
これは手懐けるのに手こずるだろうなあ…!!
と同情を禁じ得なかったのでした。
単なるパクチーのファンタジーでしょうか。
理不尽さに黙って頷き、長いものに巻かれて不条理を受け入れる、という青年の時代は終わっているということなのだと思う。自分がおかしいと感じることが現行まかり通っていることが、あの知的で優しい殿御(青年からアップグレード、適切な言葉が見つけられません)には耐え難いのじゃないだろうか。時に怒りを、やるせなさを感じさるそれは、時に彼から気力を奪いもするのかもしれない。
しかし、これらのことを知的でパワフルな表現に転化することは出来る。その一つが、わたしのnoteに以前も登場した「異化」であると思う。自身の強く大きな破壊的エネルギーに飲まれることなく、中毒性のある別のもので感覚を麻痺させて自己の衝動から逃げるのでもなく、受動的に過ごして考えないようにするのでもなく、自分に潜むエネルギーの属性を知り、適切で効果的な表現方法を知り、その為に学び、学び、研究し、研鑽し、実験し、そうしてきた歴代の表現者たちの後に続くのだ。
「アイドル」という容器から収まりきらない彼自身の強いエネルギー、それが今かたかたかたかた…と蓋を押し上げているようなのが、彼の状態であると、そんな気が致しました。それが彼のパワーある漆黒の目の中に住んでいる子、決して無気力でも、諦めているようでもない、彼本人が今出会う準備をしている「Abyss」の子。どうやったらあんな暗い目になるんだろうね?と思ってやってみたけどね。単に目つきが悪いか、眠い目(!)になっただけだったぜ!
命にもともと与えられている意味はない。「あらかじめ与えられた意味が無い」、ということが、全ての命に平等に与えられたギフトなのだ。
だからこそわたしたちは、自分で自分に意味を与えることが出来る。自分の命の役割を、自分で決めることが出来るのだ。
ではまた。
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