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j-hopeくんのおかげで胸がいっぱい!

こんにちは!パクチーです。パクチー、今後しばらくポジティブワードだけでnoteを書いてみたいと思います!いえ、大した理由はないのですが、やっぱり今変革の時ですかね…フォローしている人数は片手で数えるほどのTwitterで、タイムラインがここのところずっとヘビーなので、せめて自分が発するものは気分の良いものにしようか…と思って。

さて!

j-hopeくんのソロアルバムのリスニングパーティー、どうしてかそのバックステージを見せてもらえると思っていなかったので、わたくし、歓喜しました!

[BANGTAN BOMB] j-hope 'Jack In The Box' Listening Party Event Sketch - BTS (방탄소년단)

アルバムリリースに合わせた公式からの凝ったVLIVEにて、わたしはある思いを持ったのだが、自粛して言わなかったことがある。アルバムリリースって、結婚式に似てない…?衣装を用意したり、メイクにこだわったり、ペーパーアイテムにこだわったり、映像を用意したり、いや、そりゃ規模とか色々、当然内容とか、違うには違うんだけど、凝ればどこまでも凝ってしまえるところや、時間と予算との戦いだとか、自分でやりたいタイプの人は何から何まで自分で、自作したり手配したり、するでしょう?「自分がこういう人だと知って欲しい」という思いと、「好き」なものへの愛、へとへとになっても手を抜けないところなど。

リスニングパーティーも、まさに「ザ・披露宴」そのもの…。

サウンドチェックしてたね。
パクチーも舞台の音楽の仕事をしていた時、こういう役割がままあった。

BTSのメンバーたちは同じ部屋でセットしてもらったようだけど、

さながら、親族控室…!

そして、この、傍らで進行を気に掛けるたたずまいが、「ザ・親族」、まさに、愛情と喜びで見守る、半分お客、半分主催、わたしはひたすら胸が熱かったんだよおうおうおう…。

ポージングの瞬発力、息の合い方、さすが、それぞれの組み合わせでどれも見事だったね

弟たちにとって、安心して遊べる場所を作ってあげたj-hopeくんが、むちゃくちゃ格好いいな、とパクチーは思ったんですよ。


そして続いてこちら。

[IU's Palette🎨] j-hope In The Palette (With j-hope) Ep.14

IUさんのコンテンツにゲスト出演したj-hopeくんなのですが、

これも、全編通してもう胸熱だった…!!!

IUさんを、お名前と、韓国で「国民の妹」と呼ばれていることくらいしかわたしは存じ上げないのですが、会話の内容から、会話の運びまで、何から何まで良かった。

j-hopeくんの幼い頃の夢、「歌手」。今ここに来て「歌手」としての自分を完全に打ち立てて、歌手であるIUさんと同じ土俵に立って、それが彼が望んだ彼のあり方だったのが見て取れるので、はにかむj-hopeくん、一生懸命話すj-hopeくん、練習室に行くj-hopeくん、どれもこれも胸がいっぱいになって、動画を見ながらわたしは終始笑んでいるのだった。

さすが、なのか当然、なのか、生バンドのクオリティが相当良い

そんでもって、何より。特に「Safety Zone」、

ライブが上手すぎんか………!!!!

もちろんLollapaloozaのライブを準備している最中だから、というのもあると思うけれど、歌手としての自力みたいな、底力みたいな、声色のコントロール、じっくり聴かせるj-hopeくんにくらっとしたよ…!IUちゃんも胸に刺さった表情で聴いていて、その切ない感じも良かった。

IUちゃんのレポートによると彼は、かつ、「良い人」なんか…。

すごいな…、「良い人」…。


Give me a minute|Ep.1 j-hope #jhope #ZICO

そしてこちら。

ZICOさんこそ、わたしはお名前を聞いたことあるくらいで何も存じ上げないのですが、この、自然体でぐいぐい行く頭の回転の早そうなZICOさんと、メンバーに対して見せる表情とはちょっと違うj-hopeくんの、青年っぽい感じ、予想外の展開、普通に一緒に笑っちゃったしね。素晴らしすぎる。

本当に…。

何と言うか…、

ふたつのコンテンツでj-hopeくんが見せる表情が、これまで見慣れてきた彼のトーンと若干違っていて、それがとても新鮮でもあり、等身大なようでもあり、そわそわして、どきどき、わたしはするのですが、

彼がこれまで発してきたBTSのコンテンツで、彼のエネルギーは、ある高さで緊張感を持ってハイクオリティに保たれていたのだけれど、今、ソロでひとりで背負って立っている、彼が打ち立てようとしている世界の真ん中で、彼はこれまでとは違った緊張感、違ったバイブレーションで、違う種類のエネルギーを発しているのかもしれない、と思い。

彼のソロアルバムが、これまであまり彼が見せてこなかった、BTSの世界とは明らかに違う要素を盛り込んでいて、彼がIUさんやZICOさんのコンテンツで、わたしが「これまでと印象が違う」と感じたトーンは、つまりj-hopeくんのアルバムに込められたトーンと共通するものなんだろう。

それとは、IUさんの言葉を借りるなら「重く、希望的」。

彼が内側に持ち続けていた。

ふたりのコンテンツにより、j-hopeくんのリスニングパーティーが、彼にとってどういうものであったかを、彼の言葉で聞くことができ、そしてセルフプロデューシングの丁寧さを、自分を大切に思う気持ちを、自分の世界を丁寧に持つ彼のあり方を、その実行する力と堅実さを知り、やっぱり稀有だね…と思う。

最近、わたくし「人見知り」か、そうでないか、ということについて考えていまして。

IUさんとj-hopeくんとの間でも話題になっていましたが、我が家では旦那くんとの間でも話題になり、リスニングパーティーでのジンくんを始めメンバーたちの各々のたたずまいも、何かわたくし想起するものがあったのかもしれません。

パクチーは子供の頃から全く人見知りしないんですよ。

でもこの今住んでいるこの島、引っ越して来て8年くらいになりますが、島の人たちがむっちゃ人見知りで、シャイで、デフォルトでまず自分から話しかけません。「普通に話してくれるようになったなー」と思うと、大体みんな知り合って4年くらいは経っている。わたしもそれに慣れたのか、影響されたのか、すっかり非社交的になりました。

でもそれが自然だと思うようになっているんです。人見知りの人のコミュニケーションには嘘が少ないというか、人見知りの人の「良い」は本当に良いと思っているんだろう、「好き」は本当に好きなんだろう、そんな、嘘で仲良くなったりしない誠実さがある感じがある。自分から発しないで、無言で相手を見ている。気安く話せるまでにそのくらいかかる。でもその人について何かが分かるのって、数年単位の時間がかかって自然なのかもしれないな、と。

ただ、そのあり方に少し停滞も感じてきたというか、新しい展開や発見がなかなか起きないのが物足りなくも思えてきて、最近は態度を変えようと思っているところです。

気に入られなくても、いい格好できなくても、期待に添えなくても、「わたしの形は減らないか」、と思えてきたのでした。そうであったら、自分はただ愛の状態で、社交的に、知っている人の中にも、知らない人の中にも、いられるかもしれないな。完全なる自分の主観で、ここからここは可、ここからここは不可、で、可の部分には自分の最善を持ち出しながら、それができない部分は線引きしながら、コミュニケーションが取れるかもしれないな。わたしは人見知りをしないのだが、興味の範囲がものすごーーく特殊な形で狭いので、自分が社交的でいる間、他人にたくさん期待されたり、たくさん時間をとられたり、何でも出来ると思われたり、何か救ってもらえると思われたり、何か実態以上に求められることを、そして結果応えきれない(応える気がない)ことに申し訳なく思ってしまうことを、ずっと苦しく感じていたみたい。

ところで、すごくいい曲と思って最近よく思い出す曲がある。音楽の仕事をしていた当時、「俺が最近一番いい曲だと思う」と言って先輩がデータを送ってくれた、微笑ましいエピソード付きなのだが。

ついさっきこの曲のMVを初めて見たのだった。ちょっと…苦手な人は苦手かも…、この曲の埋め込みには曲だけの動画を貼っておくが、わたしは先ほど初めて見たこのMVの後半で、胸がいっぱいになって泣いてしまった(公式MVはこちら)。どうという訳ではない。この曲は真菌と体内のミクロのメカニズムにインスパイアされて作られていて、ただ様々な形の、様々な有機的な微生物?菌?細胞?おそらく意思ではなく機能で活動しているのだが、それらが自分の体の隅々で、微細に連動して生命活動を続けているから生きていられるという、当たり前のことをしている機能たちの健気さに泣けたのだった。もちろん泣いた理由には大いに時世も関係あると思う。

それから、たまたま見つけた、Hania Raniさんという方の動画。

(冒頭で飽きちゃう人は、どうかグランドピアノを弾くところまで耐えてみて…)

人見知りって何だろう。社交的って何だろう。

余人の入る余地のない、突き詰めたその人の内側の世界。その奥行きと到達点、そこに至るのがたった一人で歩く孤独な道のりであること。だけど内側に、奥に奥に突き進んでいって、最後に内臓をひっくり返すように、内側が表側になるかのように、相対するものが反転して、無限に開かれる、無限の他者の意識の中へ。

j-hopeくんがIUさんのコンテンツの中で「名刺を渡す」と、リスニングパーティーついてそう位置づけしていて、ZICOさんとの会話で、「流行を追うのは自分ができることの一部だけれど」今回はそうじゃない、彼が自分の人生で、自分が何者であるかを打ち立て始めたかった、「自分」を始めたかった、その世界を提示して、理解して欲しいと思った、

わたしは、ただ「社交的である」という垣根が低いコミュニケーションのスタイルは、例えば人見知りの人にとって、「自分の深い世界を理解してもらえているなあ」という実感にはあまり関連しないのじゃないかと思って、人が人を理解したり、打ち震えたり、共感したり、愛を持ったりするのに、人見知りかそうでないかという、他人に対する表面的なアティチュードって、その段では問題にならないんじゃないだろうか?

つまり、自意識さえ整理されていれば、コミュニケーションは、ただ、自分の世界を追求する、そして一定の高さで自分を打ち出し続けている人たち同士の、理解できる、できない、共感する、しない、尊敬する、尊重する、というコミュニケーションになっていくのかな、と。発しているものがコアに近まると、その人自身が人見知りかそうでないか、そこにはお互い、さほど意味がなくなるような気がして。

そう思ったら、わたしはしばらくの間封印していた「社交性」を、開示しても大丈夫に思えてきたのである。


Lollapaloozaのj-hopeくんのライブが盛況で無事に終わり、そしてVLIVEをしてくれた。

語られない、彼が耐えたこれまでの重圧はどれほどであったろう、

j-hopeくんが、シカゴに来たジミンくんを見て、笑ったら、ご飯がたくさん食べれるようになった、と言うところで、2回見て2回とも泣いた。今文字を打ってても泣きそう。どこまでも交感神経を引き絞り続けることで、彼は重圧に耐え切ろうとし、ジミンくんは意図せずそれを弛めた。

j-hopeくんがジミンくんの顔を見た時、思わず笑っちゃったことを想像すると、それは至極簡単に想像できて、だってVLIVE中のジミンくんは福の神みたいだし…。人はショックすぎると笑ったり、びっくりしすぎると笑ったり、悲しすぎると笑ったり、自然と、笑うことで高まった緊張を中庸に戻そうとすることがある。ジミンくんの顔を見たとたんに弛んで、だから笑えて、笑うということは胸筋が弛んで、息がたくさん吸えて、たくさん吐けて、背中が弛んで、腹筋が弛んで…それを想像すると今もすごく泣けるんだけど、

家族だ…。それが家族か…。血がつながっているのが家族ではないね、第一、夫婦は血がつながっていないのだし。とにかく向き合って向き合って共同作業してきた、共有してきた、理解すること、理解してもらう努力をし続けた、ポジティブな気持ちをたくさん分け与えあった、そういう部分と、無垢さというプレーンな鏡のような、無償の部分とを、ジミンくんが彼の中に両方持っているから、ジミンくんに会ったj-hopeくんは、もとのもとの彼のトーンに一瞬で近づいたのだろう。重圧もタスクもプレッシャーも何もかもそのままの状態で。

ジミンくんの中に保存されていた、j-hopeくんが与え続けてジミンくんが受け取ってきた「オリジナルのj-hopeくん」が、シカゴでプレッシャーの闇に囲まれていたj-hopeくんの奥から、本来のj-hopeくんを引っ張り出した。

レスキュー。

サルベージ。

そんな絵が浮かんだ。

なんてすごいドラマだろう。

これまでもBTSは、その変化と成長と変容を見せてくれてドキュメンタリー的だったけど、この短い期間でのj-hopeくんも、たくさんの強いエネルギーをめぐらせて、言葉にならない刺激をたくさん与えてくれた。きっとメンバーたちも、わたしが受け取るのと異次元のレベルで、ありとあらゆる刺激を受けているだろう、

すごく、すてきな人だ。すごく、すごく。これまで彼について知っていたのと違った階層で、そう思った。実はもう一つ引き出しが付いてて、気づかなかったけど、別の引き出しを開けた、みたいな体感。

!!………

引き出し…

じゃなく……

Jack In The Boxか……!!!!




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