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そのシルエットは完璧に少年漫画の主人公の少年だった

こんにちは!パクチーです。暑さ寒さもお盆まで。毎年呪文のようにこの言葉にすがって夏を生きていますが、毎回「おお…本当だった…!」と思ってびっくりする、8年目の島暮らし、in Summer、2022。

先日、改めてj-hopeくんのライブを試聴しました、 in Lollapalooza、2022。

これ、ライブ当時はPCの内蔵スピーカー拝聴したのですが、公開されたYouTubeのフル動画をちゃんとヘッドホンして聴き直したら、驚くほどとても良く音質調整されているライブ映像でありました。お試しあれ。

わたくし、ここひと月ほど、自宅のピアノを割合一生懸命弾いているのですが、まー!上手くならない!しかしわたしは本気だ。何が、どうして、どこに繋がる本気なのかは不明だが、ついに10年振り?くらいの勢いで調律までしてもらったのです。

…あれ?これ、調律、なってる?

初めてお願いした方が、なんかしこりの残る調律師さんでして…「プロ」にもレベルが色々あるんだなあと思った次第…。これまでと違う、経験したことのない新しい響きで………狂ってる?な仕上がり。

自分で編曲した曲(BTSの)を弾いているのですが、自分で編曲しておきながら、自分で難しくて弾きこなせない。その時、ふと、

「なんでこんなことしてるんだろ…」

と思います。思いますよ。そして弾けたら弾けたで、

「どうしてこんな潰れた音しか出ないんだろ…」

と思い、基礎練的な曲、足りないところを補うような違う曲を弾いたり、細かく部分で分解して弾くなど、いくつかのアプローチをとるが、そのやっていることに対して出来るようになる部分の満足のあまりのささやかさに、

「なぜわたしはこんな苦労をしているんだろう…」

と、思う。

その時、

Lollapaloozaのj-hopeくんの姿が浮かんで、それは、

「希望だ…!!」

彼は希望だった。希望以外のなにものでもない。まさしく希望。希望に満ち満ちている。希望そのものだ!!と、思ったのであった。

報われるかどうか分からない、地味な努力を選ぶ万人にとっての。

Lollapaloozaのj-hopeくんのライブは、見終わって思い返すと、わたしに強く「希望」を残すものであった。誰も見る人のいない陰日向で、こつこつと努力し続けた膨大な時間の蓄積。苦しくて、もどかしくて、自分に辛抱しながら、自身に鞭打って、積んでは崩し積んでは崩し、それでも諦めずに、自分の目指すある「状態」に向かって、そこへ至ろうとする。

1曲目を歌った時、正直わたしはひやっとした。「これ、最後までもつのかな…!」、2曲目、3曲目…、……そして問題なくライブは終わった。全く、声質を下げることなく、変化はむしろ良い方にあって、喉に関しては全く消耗している風がなく……。BTSのライブの時と、格段に違ったレベルで、歌うことにかけた時間の気の遠くなるような長さと過酷さが、ふわ〜〜〜っと目の前を覆った。

「どうして、何のために自分はこんな苦労をしているんだろう」。そこまでやらなくてもきっと人には気付かれない。しかし自分には分かる。手を抜いたら抜いた分、目指す形とのギャップは埋まらない。「ちょっとくらい楽をしても、体裁は変わらないんじゃないか」。誘惑に乗るか退けるかは、ほんの小さな自分のさじ加減。誘惑を退けるなら、再び茨の道を匍匐前進する行程が待っている。息を整え、それでも茨の道の方へ進めるのは、望む自分の形が手に入った時、その状態の自分を体感したいからだ。

歌手を目指して、ダンスを続けて、BTSとして、バックステージでの苦労の日々があって、彼はどれだけの長い時間、自分以外の誰もいないインナースペースで、自分に自問してきただろうか。限界と可能性と向き合ってきただろうか。

それは、全て、「あるステージ」を実現させるために積まれた努力だったのだ。彼にはきっと、幼い頃から、歌手を目指した頃から、目指している自分の状態があった。いくつもの自分の曲、自分が中心にステージを歩き回って、自分の声に応える聴衆、ひとつのステージをライブで成立させること…そのために必要な歌唱力、ダンス、体力、表現力、これまでの全ての努力は、いつかくるかもしれないそのステージを実現可能にする自分になるために積まれているもので、

Lollapaloozaでのj-hopeくんは、ずっと想定して来たその像が目に見える形になったものだった、

と、そんな気がした。

【P.O.P(Piece Of Peace) Pt.1】のイントロで、彼はこうMCをする。

Even if we speak different languages, I hope you listen to my story.

僕ら、違う言語を話しているとしても、僕のストーリーを聞いて欲しい。

そして歌が始まる。

If I 
누군가에게 힘
누군가에게 빛
I wish, i could be a
Piece Of Peace


もし僕が
誰かにとって力
誰かにとって光なら
僕が
平和の一片になれたらいいのに

【P.O.P(Piece Of Peace) Pt.1】より

そうなんだ…。

これが、j-hopeくんのストーリーなのか…。

この曲の歌詞の意味するところは、難しい…受け取り手によって異なるんじゃないだろうか?「I wish, i could be a Piece Of Peace」の訳し方ひとつでさえ、「Peace」を平和とするか平穏とするかでさえ、印象も違うし、意味も違う。わたしは意味じゃなく、楽曲から丸ごとパワーを受け取るような感じで聞いているので、だからこの曲の真意は、願わくばそれぞれ皆さんが曲から受け取って下さったらと思うが、

わたしは自分のための理解として、「I wish, i could be」の訳が何がいいか考えて、それはあらゆる訳が可能なんだけど、中学校で習った公文通り「I wish, I could〜/〜だったらいいのに」を当てはめた時に、号泣した。それを当て嵌める前は、もう少し決意めいた思い、「いつかなりたいんだ」的なニュアンスで考えていたので、それと比べるともっと淡く、もっと曖昧で多難、そして切望を感じた。希望を持ち続けることだけだって難しい。でもそれが実現されるためのささいな1ピースに、自分が主体的に加わろうというアイデアは、「チョン・ホソク」に「j-hope」が始まる根元の動機だったのだろうか。

簡単(a piece of cake)に、誰もが信頼で心が満ちていて、平和でいることが、ケーキを食べるように、簡単で、当たり前に得られる、世界。

彼は自分の努力の先に、そういう世界をビジョンしてきたのだろうか。

自分の歩む道が、人々と自分をそこに至らしめることが出来るように。

既得したものを失うかもしれない恐怖と、プライドと、未知に踏み出す恐怖と、プライドを失うかもしれない恐怖と、プレッシャーで痩せちゃうくらいに葛藤して、戦って、「何のためにここまで」「止めてしまえば楽になる」がよぎる数えきれいない瞬間、の、先、「ソロステージ」を実現した先に彼は何を見ているのか、と言えば、彼は一歩一歩「Piece Of Peace」に近づいている。

だから歩みを止めずに、前へ踏み出せる。

Lollapaloozaのj-hopeくんを見ると、どれだけ孤高だろうと歩み続けられるのだ、ということを見ているような気がする。可能なのだという気がする。誰も見ていない、誰にも求められていない苦労を、「なんのために」「なぜわたしが」、をいくつもいくつも超えたところに立っている人がいる。誰も訪れない、山のふものと耕作放棄地を、ひとりで、鎌で草刈りするようなこと。途方もない、意味があるのかも分からない、求められてもいない、なぜ自分がそれをするのかも分からない、やった先に何があるのか?やり遂げた時、誰も見たことのない何かが起こるのかもしれない。でも何かを起こしたくてするのでもなく、何かが起こるのを期待して行動するのでもなく、ただ、やりたいからやる。何かの良いことを期待せず、苦悩、葛藤、恐怖を淡々と味わい、

そういう時、ゴールは、もしかして「Piece Of Peace」なんじゃないだろうか。

それでも「やる」「わたしはそれをやったほうがいい」と分かっている時。目的のない努力、答えのない苦悩。

みんな、大丈夫。あれが指針だよ。

希望。

7月31日は、私にとって最も偉大で忘れられない瞬間のひとつになりそうです。ロラパルーザは、ジャック・イン・ザ・ボックスの最も重要な挑戦の一つでした。私を前面に出した1時間のショーの準備は、恐怖に満ちた瞬間が次々と訪れ、私は何度も何度も自分に鞭を打って前に出て、ショーのための練習をしました。そして何より、細部にまで気を配りながら準備することで、自分という人間を知ることができました。

昨日はその集大成。だからこそ、より一層、私の人生史に残る大切な思い出になるのです。そして、より大きな意味を持つことになります。

ロラパルーザのために一生懸命働いてくれたスタッフのみんなに感謝したい。バンドやダンスクルーの仲間たち、特別な存在感を示してくれたベッキーG、遠くから応援に来てくれたジミン。

そして何より、昨日のステージをより一層輝かせてくれたARMYに感謝します。

そして、このような素晴らしい機会を与えてくれたロラパルーザのオーガナイザーに改めて感謝します。

@uarmyhope コメント(翻訳 DeepL)

【EGO】でスキップしながら歌うj-hopeくんは、不思議な生き物のようだった。歌って踊るj-hopeくんは、踊ってる時程、まるで今ライブが始まったかに見える程、エネルギーが無尽蔵に見えた。ジミンくんも驚いていたけど…人体構造的にあり得るのかね?もはや自分の身体以外のエネルギーを転化して使っているようですらあった。ここでさらにスキップしながら歌える?

前半、体を振り回すように歌うところで、めちゃくちゃに踊っているように見えてぐらつかないのは、体幹があるからで、プロのダンサーだからなのだが、体を振り回しながらもマイク捌きにそつが無いのは、やっぱりアイドルの年季ですよね。で、さらにスキップしながら声がぶれない、と。人間か…?


パクチー、見ていてとても強く思ったことがある。

このシルエット、だぶだぶの服に、やせっぽちの長い手足、長めにセットされたくしゅっとした髪の毛も全部、ごつい靴、手に嵌めたブローブ、

3次元と思われないほど、完璧に少年漫画の、主人公の少年、そのものじゃありませんか…!

そう思いついた時、「ああ、彼はチョン・ホソクという少年が見た夢を生きている」。だから少年の描いた世界の主人公で、そのまま夢そのものなんだ。シンプルで、権威をまとわず、華美でなく、何も持たずに、体一つを武器に「平和になる世界の物語」を始めて、恐怖と困難にに出会う度、自分に鞭打って、鞭打って、止まらない。決して前へ進むことを諦めない。物語の主人公。

だから、彼の見せたいイメージ。セルフイメージ。ステージにおけるビジュアル。どれもがトータルで一致していることが、完璧だ、と思って。彼が自分で認識している今の役割、今の階層、自己認識、ステージから読み取れるこれらが、完璧だ、と思って。


さいごに。

どぅっ…うぇ〜………(泣)

この細い体のどこに、こんなパワーが溜められているんだろう?どこも重くなく、固くなく、連日の長時間の練習が格段に肉体を研ぎ澄ました、そんな印象を受ける。体脂肪ゼロかって…そんな人間はいないが…フェアリー?フェアリーなんでしょ?!だって誰よりも軽く、フラットに、淀みなく、エネルギーがダンスになってる…。気体?もはや気体なの?

そしてこちら。すごく、すごくすてきなプレゼントだったよね…!(泣)j-hopeくんの名前を知らなくても【Dynamite】は知ってるかもしれないし、でもこの超でかいバッヂを、ただそのままぶら下げるんじゃなくて、違うバージョンで、j-hopeくんらしい、彼だからこそ出来るダンスで、すでによく知っているファン達にとっても、まさにサプライズギフト。

【Dynamite】でジョングクくんの声が聴こえた時、【EGO】のイントロでRMくんの声が聴こえた時、なんだかすげーほっとしたな…。その安心は、もしかしたらj-hopeくんもステージで感じたものなのだろうか。「BTS」はひとつの宇宙なんだな…、j-hopeくんとはまた違った。対比があったことで良くわかる。【Dynamite】はもはやそれが一つの生き物のような感じがした。ポジティブなパワーがぐっと吸い出されて花火の様に開く。よく出来てるな…。

「Dyna-na-na〜」のところで腕が上がっていく振り付け、ここ面白いと思って目を引くんだけど、なんだっけこれ、どこかで見たニュアンス…と考えて、フラダンスかな?夏だし、トロピカル remixだし、フラダンスの感じがちょっぴり入ってるのかな〜面白いな〜と思ったんだけど、どうでしょうか。

「That That」かな…!?

余談だが、このプラクティス動画のカメラワークが、すごい。素晴らしい。すごく愛がある…。

改めて、カメラって被写体に対する感度がとてもよく映るよな…と思って見た。じんわりした。シカゴにいるj-hopeくんをすごく愛情深く見ている感じがする。愛情を持って撮っている動画って、見ていて気持ちがいいもんな…。


さてと。


Let's love!地味な努力。


それではまた!




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