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RMくんの置き土産と、ジンくんのハグ(軽)に共通する、

最近、自分にしてはめずらしく多読で、読書が楽しかったので、インターネットから遠のいていた。BTSが、FESTA期間なのにも関わらず!

RMくんの公開されたアルバム『Right Place, Wrong Person』が、わたしにとって何かを考えさせる、結構大きな事象だったみたい。RMくんの、彼のアルバムの数曲に込めた怒りに触れて数日、兵役を終えるジンくんが直後に、「ファンと会って軽いハグをするのだ」と言って、ARMYをピンクのハピネスの渦に巻き落としたことの、真逆と言っていいくらいのエネルギーのコントラストに、

「これぞ、このキャラクターの分担と担当の振れ幅よ、さすがBTS…」

と思ったりしていた。

さて。

「結局RMくんは、あのアルバムで何をしたかったのか?」

それが気になって、本を読んでいると分かるような気がして、それもあって読書が楽しくて。

わたしはK-POP界に全然精通していないけど、兵役を終えたアイドルがビジュアルを戻すのには、それなりに準備期間がいるという一般論を見たことがあったので、ジンくんの兵役明け翌日のオフラインミーティング開催は、実はものすごい事なんじゃないかと(まあ当然っちゃ当然という気もしなくもないが)。でも、どういうビジュアルにせよ…もしかしたらガチムキで短髪のジンくん…かつてないし、ものすっごおぉおおおぉいレアで貴重だぉね…!!とある兵役へ行った青年が、帰りを待っていてくれた人に、何はともあれ、四の五の言わずに、まずハグ!!!ハグじゃ!!!というところに、ジン氏の、かつてないくらいの素の男っぽさを感じて、正直で、どこにも嘘ないなぁ!情熱と愛情だぉ!素敵だぉ!!…と思ったぉね…!

でもふと、制作側の気持ちになって、「安全か…?」。このご時世、タイミング、社会情勢…イベントを開催するにあたって、制作側の頭に最初に浮かぶのは、まず、当然、絶対のアーティストの安全の確立、であろうよ。「握手」の方が…まだ…万が一に対応できる…そして、仮にそんな触れ合いがないオフラインミーティングだったとしても、このタイミング、ファンは間違いなく限りなく嬉しい…。

ジンくんは、ARMYとハグが「出来る」と思った。

そうか…。

そこにあるのは、「信頼」だ。

ジンくんは、ARMYを「信頼」している…。

安心とは、「相手のせいで自分がひどい目に遭う」可能性を意識しないこと、信頼は「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を自覚した上でひどい目にあわない方に賭ける、ということです。

「手の倫理」伊藤亜紗:著

そして、そうであるなら、ファンが彼の信頼に応えられる部分は、「倫理」だ。

ここからは倫理だにゃん

「体育の授業が根本のところで目指すべきものって、他人の体に、失礼ではない仕方でふれる技術を身につけさせることだと思うんです」

「手の倫理」伊藤亜紗:著

倫理とは何か。ここで眠くなってくる人が、いますか…?上記の引用は、わたしはとても興味深いと思ったんだが、この、「失礼ではない仕方」が何であるかを考えるエリアが、「倫理」であると。

人とのコミュニケーションには、形式があって、理想があって、方法が分かっていたとしても、「失礼でない仕方」は、毎回「自分」と「相手」とシュチュエーションの組み合わせで、変わる。それこそ千差万別に変わる。その都度、「失礼ではない仕方」を、創造するのが倫理だ。クリエイションの余地を持つもの、自分で考える努力をすること、それが、なんと、倫理で、あるらしい。

ジンくんの「信頼」に応えるのは、ひとりひとりが、考えて、創造するのだ。何が相手に失礼でないか?傷つけないか?それは、じゃあどういう行動か?どこまで許され、どこから許されないか。どういう態度で、どういうモチベーションで、どういう気持ちでいるか。倫理。

「他人の体に、失礼ではない仕方でふれる技術」。

なぜなら、それは、手から、伝わってしまうから。

そして。

RMくんがアルバムで怒っていたのは、この「倫理」の部分ではないか?

怒りは正義なの悪なの?

RMくんのアルバム『Right Place, Wrong Person』でわたしは、正直、RMくんの怒りに新鮮な驚きがあった。彼はもう、手放してしまったのかと思った、高まり過ぎてしまった地位のために…。鉈で掘りこんだようなこっくりした深い怒り、まるでデビュー後しばらくや、Mixtape『RM』と同じくらいの強度で、熱量で、清々しいくらいの、全くもって!変わらない!懐かしい!怒り!

パクチーは原始仏教を独学中なので、まあ、そりゃ怒りは手放した方が良いよね、と、普通に、思う。思ってたよ。ゆくゆくはね。やがてはね。だが、しかし、じゃあそもそも人はなぜ怒りを感じるのか。それは執着があるからである。「これが自分だ」と思っている輪郭の部分に執着があって、そこが「損なわれた」と感じる時、人は怒るんである(多分)。

RMくんの場合、その輪郭とは、倫理なんじゃねえかどうも、と今のパクチーは思っているところです。彼は、「真実を見たい」「本質を知りたい」「真理を追求したい」ということを根源的なエネルギーにしている、そういうタイプの人間だとパクチーはすごく、すごーく思っているが、そういう人が「これが自分の輪郭」と思っているアウトラインがあるならば、それはもう「人として尊重される範囲」じゃないのかな。つまり、損なわれてはいけない部分とは、倫理の範疇ではないか。

「倫理」、つまり、「これをしたら、相手は傷つくかな、どうかな」という配慮を含んだ行動。彼らの身体そのものについてもそうだし、個人情報についてもそうだし、自分がこうしたいなという欲求に対して、相手への行為を踏みとどまらせるのは、倫理です。人というのは、どうしても、どうしても人の「感触」というのは、「欲望」というやつは、時に簡単に「倫理」を担保する理性の部分をバーン!と捨てやって、予測なく、動物的な衝動に乗っ取らせてしまうことが、無いともないわけですよ、ご存知の通り。わたしたちはいつ何時も、まず、「相手を傷つけないために…決して理性は捨てないゾ…!ハァハァ」、と、固く決意して、注意しながら、強く意志を保たねばならないわけですよ。そして、それから、倫理が、行動基準になるわけです。

RMくんのアルバムに出てくる、数種類の倫理観の欠落した人間、業界人なのか、自称ファンなのか、一般人か、行政の人間か、富裕層か、実業家か、政治家か…そのどれもなのか、

RMくん、BTSのリーダー、彼は、次から次と、どんどん大きなトラックをあてがわれて、荷台が呆れるほど肥大して、それでも彼は出来る限り、与えられた役割を、誠実に、完璧に、全うしようと、し続けたのだった。自分ではもはや見回せないような荷台に、それはもうたくさんの人が次から次と便乗してきて、駆け込んで、乗り込んで、そこで都合よ〜〜く彼に乗せてもらった人たちの、倫理の欠落した様を、彼は、本当によく観察したんだと思う。最後の最後まで、出来る限りのところまで、丁寧に、誠実に走って、トラックを、彼は降りた。

許せない、倫理観のない人に傷つけられた人々、自分を含めた、を見て感じる怒り…。でも、大きなトラックを担うことは誇りでもあり、それが巨大になって任されるのは、期待をされているからであるのも、心から理解している。応えたい。精一杯やってみよう。重荷に耐えた時間。イコール、怒りに耐えた時間。

…だが。

彼は、怒りの対象を、断罪しているだろうか?

怒り。狂ってる。こっちが狂いそうだ…それは、そう、だけど、非倫理的な人間、彼らが処罰されろ、罪を償え、間違った仕組みは正されよ、傷つけられた人々に補償をすべし、我は正義だ、と?言ってない。言ってないんだよ!彼らがどうあるべきか、彼は何も言ってないんだよ…!!

吉本 悪魔とつながってるような人は、男性ならモテるし、女性でもすごく綺麗な感じです。何とつながるかというのは好みですから、私は悪魔とつながっている人がいても否定はしません。力に憧れるということは悪いことではないと思うので。
 でも、自分が親しくしたいかどうかは別ですね。その人が悪魔っぽいものとつながっているなぁと思っても、「あなたは悪魔とつながっています」とは言いません。そういう人はたくさんいると思うし、基本的に、人間って本当に寂しいものです。
 力に憧れるのは人間の性というか常なのかもしれません。だから尊重します。
大野 人間はみんな孤独を感じています。
吉本 あとは「自分を本当には好きではない」ということ。その二つの要素が揃っている限りは、いつでもそういったものとつながれるし、つながってしまったから悪いということはなくて。
大野 それもまた経験ですし。

「そうだ魔法使いになろう」吉本ばなな×大野百合子

さて。パクチーは今年42歳なんですけど、振り返って人生を分けると、3つに分かけることができると思った。ひとつめは若輩の頃。東京で、自分の能力で、とにかく人を圧倒させたかった。そして他人への嫉妬に、とても苦労した。ふたつめは、瀬戸内の平和な島に移住して、成熟した大人にばかり囲まれて、他者から利他的に扱われることを初めて味わった。良い目にしか合わなかった。そして今。何も不都合ない満たされた生活の中に、「げぇっ、こ、こいつ合わねぇーなー!!!」という人が、自分の人生にちょいちょい絡んでくる、昨今。

その「合わねえな」の感じ、は、「悪魔とつながってる」と説明されると、これが、すとんとまっすぐ腑に落ちる。合わない彼らは、エネルギーをたくさん持っていて、「自分が正しい!」という確信に満ちている。だから、わたしが合わない違和感を言葉にして口に出したとしても、通じる感じがしないし、実際に彼らが間違っている、というわけでもない。わたしの思う通りにして欲しいと思わない。彼らは彼らなりに自分自身の選択を生きている。

RMくんらのいる世界、芸能業界には、このもっとアップグレード版、マジもんの悪魔と契約しちゃった人間のような悪魔がうわぁ〜〜〜〜〜〜〜っといるところだと思うんです。業界…も、出版…、政治…も…まあ、トップはどこにでもあり得るよね、きっと…。そこでは、そうなり得ることに必然があって、その場でそれは正義なのかもしれない。自分のことを本質的には好きじゃない。寂しい。だから嘘に嘘だと自覚なく、すっと残忍になれるが自覚はなく、モテるし、きれいで、力がある。

わたしの場合、だから、もう、この「合わねえな」は、わたしがどれだけその悪魔的なエネルギーにひっぱられずに、すでに持っていたQOL、生活の心地良さを保てるか、というトレーニングなのよ、多分。彼らのトーンを「受け取らない」。彼らのために、自分の良さを変化させない。失わない。いや、正直、すんごい苛つくんだよ、「何言ってんだ、あいつ、腹立つ〜〜〜!!!」と思って、しばらくの時間それに支配されるんだけど、

感情に圧倒されて、その中でのたうちまわるというのは避けたい、でも、のたうつのは大変だけれど、味わうというのは大事です。

「そうだ魔法使いになろう」吉本ばなな×大野百合子

そう。冷静になってみると、実は、わたしは彼らの悪魔的セルフィッシュなマインドが、自分の志向と違って腹が立つだけで、実際に、わたしは何も奪われてないし、傷つけられていない。彼らがわたしから損なえるものは何もない。あえて、その悪魔風味だけを、自ら味わってみているのだった。

RMくんは、怒りにのたうちまわったか?そうかもしれない。でも、その怒りを、それだけじゃなく、能動的に味わった。味わって、味わったまま、全て、そのまま、置いておいた。彼は、何も断罪していない。そして音楽にした。彼がしたことは、ちゃんと隅々まで、彼の経験できる限りの怒りを味わった。怒りは彼を変えただろうか?変わってない!環境は彼を変えたか?変わってない!彼は変わらなかった、倫理のない人間たちは、彼の持っていた、倫理も、正直さも、正義も、愛も、損なわせられず、

彼は持ち続けている、

多分、デビューした時彼が持っていたものと、同じ純粋さで、

見回せないくらいの大きな荷台のついたトラックの脇で、

狂った環境にいて、狂ってるとしか思えない人間がいて、そんな場所に10年いて、

それで、俺が持っている大切なものは、

ほら、変わらなかった。

今もある。

それが、このアルバムのエネルギーでは?

ひとりひとりが自分の中につくる倫理

RMくんは、こんな狂った社会が、会社が、間違っていて、変わる必要がある、とは言ってない。『Right Place, Wrong Person』、確かに怒っている。この怒りは彼が個人的に感じる、嘘のない感情だ。だが、何も、裁いていない。「Right Place」「Wrong Person」、であるにもかかわらず!何かが、「悪」で、「正されるべき」で、正すことは「正義」だとか、そんなことは何一つ言ってない。そんなものは「分からない」と言った。

裁いていない。これは、最も重要な、肝だと思う。

仏教の祖であるゴータマ・シッダールタさんは、彼こそ真理を求め、本質を求め、そのために出家という一切の経済活動から離れた環境で生活せよと彼は言ったわけですが、この世の何もかも以上に、それが知りたいんだ、と思う人間は一定数いて、RMくんも、そのラインに入っているとわたしは思っている訳だが。

以前、RMくんに「大統領をやってほしい」みたいな表現、あったじゃないですか。ゴータマ・シッダールタさん、彼はもと王子で、王族である。だから、彼、そんなに頭良かったら、民衆を率いる義務だってあったんじゃないか、ってのは、見方によっては無くはない。

「統治」という題目であったかと思います。統治というのは政治の問題ですね。その内容をだいたい覚えておりますが、(略)たったひとりで小屋におられたときに、いろいろなことを考えられたらしい。そのなかに、いったい政治というものは、殺しもせず、殺されもさず、平和にうまくいかないものかなと言ったようなことを考えられた。ひじょうに簡単にしか書いてないからその程度にしかいえませんが、そういうことを考えておられたらしい。そうすると、そこにスッと出てまいりましたのが悪魔ですな。その悪魔が、それじゃお釈迦さまよ、ご自分で政治をなさったらよろしい、自分で統治なさったらよろしいだろうと言う。これはびっくりいたしましたね。お釈迦さまはそこで政治的な誘惑を受けておられるわけでしょう。(略)お釈迦さまもそういう気持ちがひょっと出たときに、それに対してスパッと裁断を与えております。

雪山を化して黄金となし、
さらにそれを二倍にしても、
よく一人の欲を満たすことを得ず。
かく知りて、人々よ、正しく行え。

「釈尊のことば」増谷文雄+奈良康明

ゴータマ先輩は、悟りを開き、物事を最適解で判断し、さぞや優れた統治者になれただろう。しかしこの詩を解説すると、雪山、ここではヒマラヤ、の山を、全部黄金に変えたところで、さらにそれを二倍にしたところで、つまり、どんだけ上手く完璧に政治をやったところで、決して人々は満足しない。幸福にすることができない。必ず不満を言う。それは、人は、自分で自分を満たしていなかったら、他人がどれだけ何をしても、満足を感じることがないからだ。

いやー!だから、これ!言い得て妙!さすが釈尊っち!!!なにをどうやったって、それがどう上手くいこうと、いくまいと、民衆が満足することなんて、ぜーーーーったいにないんだわーーーー!必ず、どんだけ小さなことでも拾ってきて、絶対に批判せずにはおれんだろう…そんな罰ゲーム、絶対にRMくんには味わって欲しくない…。何が、どれだけ、どうあろうとも、上手くいっても、いなくても、全っ然っかんっけーないんだわ、これ!

自分以外の何かに、自分を満たしてもらおう、と考える人がいたら、「RMくんが大統領になったら、社会が良く変わって、幸せになる」と考える人がいたら、それ自体が、どうあっても成就されない願いなんだよね。自分を幸せにするのは政治じゃない、自分だ。この社会は不完全だ、不正が蔓延る、不平等、不正義、不誠実、不理解、

だが、そういう環境に置かれても、どんなものをも、あなたの良さを損なわせられない、だって、あなたは、そこで、場違いな、美しい倫理を持つことができるんだし、ってのがこのアルバムじゃないのかな。

社会の不完全さ、それは良く変わる必要があるだろう。だけど、それが完璧に整ったところで、あなたを幸福にするのは、満足させるのは、自分以外にはいてくれんのだよ、と。だから、「社会の、会社の、ここが悪!ここを断罪せよ!こいつに謝罪させよ!」というエネルギーは、あなたの幸せに、結びついてはないんだよ、と。裁きは幸せに結びついていない。だからRMくんはやっていない。

彼がしたのは自己受容で、倫理の無い人間の行為に対して、怒りを感じる自分を受け入れた。

そして、怒りの対象は、現時点、放っておいてる。これ、実際に放っておいているか、今後も放っておくのか分からないけど…彼が選んで「裁かない」という行動をしているなら、本当に高度だと思うのですよ…。なぜなら、本質的に、他人を裁ける個人はいない。

これは、ひとりひとりに渡されているホームワークでもある。やってもやらなくても良い。何事かに怒りを感じて、それを裁きたいと思う、裁かれて欲しいと願う。そういうのが自分なんだ、と受容する。でも、いつ何時でも、倫理を保つ。目の前の相手を、自分のコミュニケーションの相手を、自分が傷つけない。そういう倫理を、ひとりひとりが、しっかり毎回自分のマインドに担わせたなら、それで社会平和は完成だ。そこに指導者も政治家も必要ない。

そして、それを倫理と呼ばないかもしれないが、倫理の範疇にも入るとわたしは思う、それを、ジンくんも完全に持っている。のよな…。ARMYに対する言葉の使い方から、言動、クリエイトの数々。彼はそこに、いつも、彼が込められる真実、以上の虚飾、は置いていない。RMくんと近しい環境にいながら、彼も変わらず、あるいはデビューしてますます磨かれた、純粋さよな…。ちっとも濁らされてない…。

さて。最後に。

わたくし、ゴータマ先輩のエピソードを読みながら、どうも真面目で厳しすぎる…と頭で思っていた。でも、真面目で堅苦しいだけの人物だったら、決してのちの仏教なるものを、当時たくさんの弟子に伝えられなかったはずなのだ。わたしはいまいち、ゴータマ先輩のスケール感について、うまいことイメージできずにいた。一体どういうパーソナリティの人だったんだろう…。

そんな時、本で得た新しい単語が、なるほど、そうか、と思った。

つまり、ゴータマ先輩が説いたのは、どこまでもどこまでも、自己受容した先に、あなたとわたしが溶け合って、許されている、そういう愛あるエネルギーを発する人の、丁寧で真摯な問答だったというわけだ。彼といると、そばにいる人が自己受容される。今のこのままを全部を許されてる、受け入れられてる、緩む、安心する。だから、自分自身を、そのまま全部、今、受け入れられる。姿が見えてなくても、存在だけで他者に影響を与える。内側の大きくて強いエネルギーを共振させる力。

このような意識の場は、お釈迦様も持っていらっしゃいました。ブッダフィールドとか第三フィールドなどと呼ばれています。
 お釈迦様が一つの村に行くと、村の人全員がお釈迦様に会わなくても、同じ村にいるだけで癒されてしまったと言われています。

「そうだ魔法使いになろう」吉本ばなな×大野百合子

このブッダフィールドなるものの真否を断言できる能力がわたしにはないが…。

ジンくんが事務所を通して「(軽い)ハグ」という単語を発して、SNS上が「ほぅわ〜〜〜っっっ」とピンクのハピネスの渦に巻き込まれた。

その単語を見るだけで、SNS上の民が癒されたという…伝説の…そのフィールドとは…、

…もしや、同じフィールドでは。


それでは、また。




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