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Before BTSと、Post BTSで、世界は本当に変わるかもしれないな…

今回はパクチーの日記的な記録です。

パクチーがnoteを本格的に始めたのは約1ヶ月前。一番最初の記事は1年以上前に書いたものだったけど、自分のために書いた記事で、公開せずにいました。それがなぜか先月、突然気持ちが変わって公開し、続けて記事を書き始めた。このやる気がどこから出てるのか、自分でもよく分かりません。
note自体も、知っている媒体だったけどあまり読んだことはなく、でも文章メインで成立するあり方のサービスだから、わたしが書きたい書き方と馴染みがいいかな?という程度。
そしてnoteを始めたのをきっかけに、「Billbord Hot100」の後、BTSのファンダムが、凄まじく広がったんだな、と実感しています。
以前YouTubeで見た動画をもう一度見たいと思った時、もう見つけられなくなっている。ここ1、2ヶ月の間に、BTSにまつわる動画がものすごい天文学的数字で増えたんではなかろうか、世界中で。前はインターネットが、BTSの情報のオアシスのような感じだったのが、今はすっかり情報の海になって、ほとんど溺れかけてる。実はちょっと戸惑ってます。そこにパクチーも加担している訳ですが…。

そこで今パクチーは、彼らの一番最初のミニアルバムから順に、歌詞の和訳を読み返してます。『2 COOL 4 SKOOL』から始まって、今『花樣年華 pt.2』まで来ました。
BTSの後輩ポジションの「ENHYPEN(エンハイフン)」のMVを見ました。彼らはBTSが当たり前に存在してる世界、彼らが世界中に影響している後の世界でアイドルとして作品を打ち出さなくてはならないのか…と、それは大変なことだな、と思いました。今や世界はBTSの複雑なアルバムの持つストーリーに慣れているし、パラレルに展開するコンテンツの多様さに慣れているし、自己受容という内面の本質的な課題に馴染んでいるし、音楽の、ビジュアルの幅広いレンジのアウトプットに慣れているし、メンバーのこれ以上ないってくらいの素の晒し方に慣れている。
となると、新しいアイドルたちの中に、彼らの心の中に、作品を通して、自分を通して、何を世界に伝えたいか?というのが、BTSとの差異になってきます。そこに優劣はないからです。本質的な叫び。自分の中の、これ以上掘り下げられない、嘘のない声。
そう思ってBTSを見ると、BTSは最初から、明確にはっきりと、楽曲で自分の言葉をしゃべっているのです。強い訴えが、特にSUGAとRMの、どうあっても体の中から抜けていかない気持ちが、そのままメンバーの作る、歌う楽曲になっているのです。何を言いたくてここに立っているのか、それを言うために生きている、と。

Esquireのインタビューを読みました。ちょっと確信は持てないですが、「Spring Day」とセウォル号沈没事故をオフィシャルに絡めて話したのは初めてではないですか?厳密にはメンバーははっきりと特定していませんが、質問の意図を分かって、それを曖昧にしたりそらしたりすることをしていない。今までこの曲がセウォル号と関係するものだというのは、ARMYが独自の検証という形の共通見解になっていたと思います。わたしも、他のARMYさんきっかけで初めてセウォル号のことを知りました。「痛ましい」などという言葉を超えて、動揺するほど怒りが湧き上がりました。わたしは、この事件の一番暗い部分は、「大人が子供を助けなかった」ということと、人々に「人道的な責任」という概念を持たせないまま社会のシステムが機能していることのように思いました。人道的な責任なんて言葉は今考えましたが、人は、危機的状況において、精神的に自立していて初めて他者のために動けるんだと思います。精神的に自立しているとは、自己受容がされているということです。つまり、とうてい自分を肯定出来ないあり方で、人々は社会の構成員になっている、それが現行の社会のシステムである、という点です。

TIME誌のインタビュー動画で、J-HOPEの言っていることが気になりました。「韓国文化が成長し続けているのは良いことだと思う。自分たちが良い音楽やパフォーマンスを見せることで、拡大に何か貢献出来るなら、実はそれが自分は重要だと思っている(訳:パクチー。自信ない)」。

BTSに最初から、明確にはっきりとある、どうあっても体の中から抜けていかない強い訴え、それは「お前の人生を取り戻してくれ」ということです。そしてそれを取り上げようと準備されている社会の構造に対する批判です。

人々は、「教育」という長い時間をかけて、自分の可能性を育てるのではなくて、自分の人生を他人に売り渡すことを受け入れる準備をさせられている。他人が求める人生を歩むとどうなるのでしょう。心が死んでいきます。心が死ぬと、魂が死んでいきます。
現代社会は、効率の良い、物言わぬ納税者が人口のほとんどを占めていなければ成立しません。効率の良い、物言わぬ納税者を量産するのが教育です。「子供の可能性を育てる」「個性を育てる」というラベルは目くらましです。だってみんな個性がバラバラだったら雇う方は使いにくくてしょうがないもの。小学1年生が「夢はサラリーマン」だと答えたら「夢がない」と言い、大学3年生が「宇宙飛行士になりたい」と言えば「現実を見ろ」と言う。大きな夢を描く小学1年生に、大学までの16年間で「どんな会社でも良いから、お茶汲みでも良いから、就職出来ればいい」と言わせるのが教育です。
…というのが、パクチーの社会に対する認識です。2ndミニアルバム『O!RUL8,2?(Oh!Are You Late,Too?)』に、「N.O」という曲があります。パクチーこれを20年以上前に地で行ってるので、どうしても言葉がきつくなっちゃうの。パクチーは、都内の中高一貫の進学校に通っていて、高校で中退しました。女子高でした。級友たちの中の何人かは、例えば閉所恐怖症に、拒食症になりました。大学を卒業して大企業に就職して、心の不調で数年で退職した人が何人もいます。今、やっと分かるのですが、思春期のわたしにとって、優秀な、タレントフルな、若い魂たちが、目の前で死んでいくのを見続けるのは、本当はとても辛いことだった。
「学校教育というのが何やらわたしには合わんようだな」と感じ始めたのは中2でした。それから部活をしたり生徒会役員になったり、楽しい事やいい友人といられる努力をしつつ、出席日数ぎりぎり、成績スレスレで高2までの単位を取り、しかしそこが体の限界でした。魂が目に見えるなら、きらきら光る魂がぱたぱたと机の上にこぼれ落ちているのが見えるはずだと思いました。わたしはすっかり身体だけおばあさんのように動かない体になっていました。「このくらいの期間心が死んでいくのをそのままにしていると、このくらいで体がこうなる」というのを体感した今は、もう、2度と、自分のために「あんな風に体をダメにすることをしない」ということを教訓にしました。

つまり、「お前の人生を生きろ」と言われた時に、パクチーは自分の人生を奪われることも、奪われている時の感覚も、取り戻した実感も、その後の社会に対して感じる自分の欠落感も、体験として、わたしの中に言語化されて持っています。

果たしてこれは社会の問題でしょうか?

これらを解決するにはいくつか方法があるでしょう。
しかしどの方法を取っても、最終的に残る全ての問題を解決するのは、それぞれの人の「自己愛」です。「わたし」が「わたしの魂の輝きを尊重する生き方を許す」かどうかなのです。「わたし」が、「わたしの心の声を聞いて生きることを選択する」かどうかなのです。目の前に道があっても、なくても、「魂が望む方」へ進む背中を押すのは「自己愛」だからです。

セウォル号の事件と、それについて政府を批判した著名人に対してペナルティを課したことを、今や世界中の人が知るようになりました。子供の人生を搾取する社会の構造において、そこで人々が奪われるものの本質について、つまりSUGAとRMによって詞に書かれた社会の構造について、世界中が注視できるようになりました。つまりこれらの問題について、多角的、多様な視点が韓国社会以外の視点で持たれることになり、それは人々が「自己愛」について考え、「人々がより幸せに暮らすために社会はこうあるべきでは」というビションを人々の中から生む方向に作用し得ると思うのです。

もしかしたら、例えば韓国社会が社会として成熟するのに余地があるとして、BTSが社会構造批判をしたとして、もしそのことで韓国政府がBTSに何らかの圧力をかけるようなことがあったら、今や世界の方がBTSの味方をする可能性があると思ったのです。例えば「Spring Day」について、「あれはセウォル号の事件に対して作られた曲だった」とはっきり明言して、韓国政府がBTSに何らかのペナルティを課した場合、世界から批判されるのは韓国政府の方じゃないか、そういう意味で、政府の方が彼らにネガティブに影響できない、彼らの影響力が、韓国政府の政治力を上回りつつあって、それがすでに起こり始めているのでは?と思ったのです。

彼らが「変えたい」と願った社会を、本当に変えることができる力を持ちつつあるのかもしれない…。
それは決して権力者になるという意味ではありません。

「心が正しいと思うことを、言葉にすることができる」

という、本来誰にでも当たり前に許されるはずのことが、可能になる。その不可能を、可能にしようとしているのかもしれない。
それが可能かどうかで、世界はまったく別のものになる。
それがPost BTS、BTSが現れた後の世界。
これはファンダムの拡大があってこそ感じたビジョンです。

もしかしたらすごい転換に立ち会ってるのかもしれないな…。

パクチーは嬉しいです。






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