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Weverse MagazineのRMのインタビューを、もう一息理解したい

Weverse MagazineのBTS 『BE』 カムバック・インタビューが、どれもこれもすごく良かったのですが、RM(以下ナムさんとします)のレスポンスが、高度!ちょっと良く分からない!でも何言っているのか分かりたい…。そう思ってちょっと真剣に理解に取り組みました。やっぱりわたしの個人的な解釈になってしまうと思いますが、今回はその記録です。
(※引用は全てWeverse Magazine RMのインタビューより)


「今僕はどこにいるのか、よく考えます」というタイトルがまず難い。

とりあえず、インタビューに書かれている順に紐解いていこう。

RM:(略)画家が最も羨ましかった理由のひとつが、死んでからも、ある空間に、時には別の国の誰かにも、その空間にその絵がかかっている時の感覚を与えられることなんです。音楽も、曲とライブの映像が残りはしますが、時を超えてその空間で、変わらないまま、鑑賞者と遥か昔の芸術家が出会うということ、それは画家だから可能なことなので、羨ましかったんですね。(略)
展示会に行く準備をして、ギャラリーで作品を見る瞬間が与えてくれる、何かがあるからですね。
RM:それが完璧なんだと思います。(略)

まずここで言おうとしているのは、

絵画は、時代を超えて鑑賞者と完璧に対峙することが出来るメディアである

ということです。音楽は音が聞こえる「空間」と「時間」を構成する芸術です。自分の死後、「ライブ」という「空間」を再現することは出来ません。一方絵画は、「適切な光量と壁の色で飾られている空間(ギャラリーはその点に配慮されている)」と「鑑賞者」がいれば、作家自身の肉体と関わりなく、作家が作品に込めた意識と完璧に直接出会うことができる。

そのような(※ギャラリーで絵画を見る:パクチー注)経験が、音楽の作業にどんな影響を及ぼしていますか。(略)
RM:共感覚的に考えることができる能力を、とても伸ばしてくれたと思います。(略)今は自分の考えをさまざまな角度から見る方法ができたように思います。(略)音楽に直接どんな影響を与えたかは、ひと言で言うのは難しいですが、創作をする人たちの一生や、創作過程を通して、世の中を見つめる眼が養われるような気がします。画家はとても長い時間にわたりアート活動を展開するので、長いスパンで世の中を見つめられる眼を、持たせてくれるのではないかと思います。だから最近は、歌詞を書くのが、とても難しかったりもしますね。とても慎重になって。

共感覚的ってなんだ?
共感覚的(シナスタジア)…wikipedia
シナスタジアには色々あるようですが、特に音楽に関係ある要素を記載します。シナスタジアとは例えば、「色」から「音」を感じたり、「音」から「色」を感じたりすることのようです。ここでは、「絵画」から「音楽」を感じたり、「音楽」から「絵」や「色彩」を感じるということかもしれません。あるいは、自分や他者の「考え」を、色や音や温度や数字などの別の要素に置き換えて感じる、ということかもしれません。

「創作する人たちの一生や、創作過程を通して」どうして「世の中を見つめる目が養われる」のでしょう。

「創作する人の一生」
「創作過程」
「長い時間にわたるアート活動」
「長いスパン」

これらの要素から「世の中」を見た時、何が起こりうるかというと、

「青年・中年・老人という加齢に伴って変化する世の中の見え方」
「社会で問題とされるものが時代に伴って変化する」
「トレンドの変化」

などが考えられそうです。

そこで1つ前の要約に戻ります。
絵画は、時代を超えて鑑賞者と完璧に対峙することが出来るメディアである。時代を超えて現代に残されたものは、人々が残す価値があると考えた作品です。そこには、違う時代の、あるいは違う国の、違う価値観の人間にも共感される、琴線に触れるものが描かれている、ということになります。

「変化する世の中」
の対極にあるのは、
「不変的なもの」。

RM:最近はブロックひとつ積み上げるのもとても難しいです。(略)創作のスパンがだんだん延びてきている感じがします。だからジレンマが絶えず生じます。まだ数えで27歳だし、依然として迷い続け、打ちのめされたりしなければならないのに、あまりにも早く彼らの息吹を目に焼き付け、真似ようとしているのか?でなければ、逆にBTSが7年の間にあまりに多くのことを経験してきたため、息を整えなければならない時期なのかもしれないですし。

本当は、自分はまだ若いのだから、もっとどんどん作品を書いて揉まれるべきだ。そう思うのに、最近は歌詞を書くのが、ブロック1つ分すら難しい。その理由を彼は2つ考えます。

創作のスパンが(画家のように)伸びている?
創作のスパンが伸びると、時間とともに自分や世の中が変化する。世の中の変化や自己の変化に影響されない、一貫した要素が必要になる。あるいは、変化に左右されない一貫した要素を作品に入れたいため、創作に長い時間がかかってしまう。

あまりに多くのことを経験したため、息を整えなければならない?
7年の間に、自己の中でたくさんの激しい変化があったので、一旦創作を休止する。あるいは、たくさんあった激しい変化の中から、不変だったものを自分の中に探すタイミングなのでは。

だからでしょうか、ラップが、トレンドや音楽的な考慮より、歌詞を一番に伝える方向に変わったような気がします。(略)
RM:そうなんです。Pdoggプロデューサーが、2017年だったかな、僕とSUGAさんとJ-HOPEさんのスタイルについて話をしている時に、「RMさん、君は結局リリシストの方向に行っている感じがする」と言ったんですが、それが僕の心にとても刺さりました。最近は、ラップバトル番組「SHOW ME THE MONEY」を見たり、ビルボード・チャートにランキングされたヒップホップの曲を聴くと、いろいろなことを思います。僕の音楽は、「ラッパーとしての自分」が全てのスタート地点だったんですが、それで今僕はどこにいるのか、ということをよく考るようになりますね。

この質問者が言っていることがパクチーが感じたことと同じだとしたら、今回『BE』のアルバムでパクチーは、全体的にナムさんのラップは、力みのない語りのようで、どの曲からも一定のトーンで表現されているように感じました。SUGAがそれぞれ曲ごとに違った声、違ったテイストで表現しているのと対照的だと思いました。

「SHOW ME THE MONEY」とは韓国のラップバトルショーで、韓国で力のあるラッパーが有名無名のラッパーでチームを作って、チーム対抗戦をする番組だそう。若いアマチュアのシンプルなラップバトルかと思ったらそうじゃなく、かなり事務所の資本と演出が入った込み入ったショービジネスという印象。RMはこれをどう見ているのだろう。

「ビルボード・チャート」とは、イコール現在のトレンドです。

K-POPは、ビルボードのトレンドを非常に巧みに模倣することで拡大したジャンルです。J-POPは、ビルボードのトレンドが半年〜1年遅れで輸入されると、パクチーが業界の隅っこで働いてた頃は言われていました。J-POPの特にコンペ形式で作曲される楽曲には、ビルボードで流行りのスタイル(今一番フレッシュなやつでなく、定番になったやつ)を入れるような指示が入ることがありました。

ここで、前述の部分で、ナムさんの「世の中を見る目」が以前より多角的になっているという前提があります。

ラップは「ビート」と必ずセットです。そしてラップスタイルにも、ビートにも、トレンド(流行りのスタイルと廃り)があります。そもそもラップというジャンルが、ビルボードのチャートに入ることで世界に広まりました。

しかし「ラップ」自体は、アメリカのある階層の人たちから必然を持って生まれたカルチャーです。そこにあるコミュニティで、皆んなの気持ちを高め、問題意識を共有し、意識を1つにするのを可能にするコミュニケーションツールでした。楽器を持たない、習ったりすることの出来ない人たちにも、レコードとマイクがあれば出来る。
今ビルボードチャートから読み取れるトレンドも、そこにはアメリカに住むヒップホップカルチャーの人たちの新しくて格好いい発想、視点、技法を生み出す試行錯誤があり、それが生まれる必然があって生み出されているのです。それが人々に受け入れられた時、その格好よさを模倣するものが続いた時、それが結果的にトレンドになる。

彼は「ラッパーとしての自分」が全てのスタート地点だった。しかし彼は自分をリリシスト(作詞家)とも感じ始めている。「それで今僕はどこにいるのか、ということをよく考るようになりますね。」とは、自分をリリシストだと考えた時、自分にとってラッパーとしてトレンドを意識することが、どれくらいの重要度になるのだろうか?という意味のように聞こえます。

つまり、世界規模のショービジネス界におけるセオリー通り、「アメリカ発」のトレンドを敏感に察知して、韓製ヒップホップが本場と遜色ないと思ってもらえることを目指すのか。それとも、「ビルボード」を頂点として、自分が永遠にそれの追従者でい続けるというアイドル業界のセオリーに、何かを感じ始めているのか。僕はどこにいるのか。どういう立場をとるのか。

おお〜…これで、このインタビューのタイトルまで来ました!

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ちょっと休憩しようか…。

ズズズ…(コーヒー飲んでる)


よし!続きを頑張ろう!

ミュージシャンとしても、「自分は誰なのか」という質問を投げかけるようになったんですね。
RM:今日もイ・ソラ先輩の7枚目のアルバムを聴いてきたんです。6枚目と7枚目あたりをよく聴いているんですが、僕は一枚選ぶなら、7枚目の方がもう少し好きみたいだな、とかそんなことを考えながら、ビルボードのヒット曲を聴くと、とても混乱します。あれ、何だ?って。

イ・ソラさん、知らなかったんですが聞いてみました。
まず、「イ・ソラ」さんという歌手の方、二人いるんですね。SUGAが「Song request」という曲でフューチャリングしてる「이소라(LeeSoRa)」さんと、別人のシンガーソングライターの「이설아(Lee Seol Ah)」さん。しばらく混同してましたが、ちなみに「이설아(Lee Seol Ah)」さんのほう、めっちゃいいわあ。パクチーすごい好きだわ。

RMが言っている「イ・ソラ」さんのアルバム、9枚(うち1枚は洋楽のカバーアルバム)あるんですが一応全部聴いてみました。んー、パクチーの主観だと、ジャズ・ボサノヴァが出来る歌謡曲のベテラン歌手という感じです。6枚目、7枚目は、歌謡ポップの中にありながら、少し実験的な感じもあります。ちょっと歌詞まで追えませんでした。重要ぽかったですが。

RM:このごろ画家のキム・ファンギ先生が言った言葉が、頭の中でぐるぐる回っています。先生はニューヨークに行って、マーク・ロスコやアドルフ・ゴットリーブの画風を取り入れるようになったんですが、こんなことを言っていたんです。私は韓国人であり、それ以上のものにはなれない。私はこれ以上のことはできない。なぜかというと、私は辺境から来た人間だから。僕もそのことをずっと考えています。それが最近の僕のテーマですね。

キム・ファンギさんの作品は、韓国の現代美術作品の最高落札額で落札されています。韓国の現代アートの第一人者でした。

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ナムさんが見ているのがキム・ファンギさんの絵です。韓国を象徴する白磁や梅をモチーフにした可愛い感じの作風から、晩年は点描の抽象画を描くようになります。

キム・ファンギさんが影響を受けたという、マーク・ロスコ。

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アドルフ・コッドリーブさんは作風がひとくくりで語れない感じでですが、「ピクトグラフ(絵文字)」というのが彼を代表するスタイルのようです。

ここで、キム・ファンギさんの「私は韓国人であり、それ以上のものにはなれない。私はこれ以上のことはできない。なぜかというと、私は辺境から来た人間だから。」というセンテンスに、重要な意味がありそうです。彼が最近のテーマだと考えるこの言葉に、自分の何を重ねているのでしょう。ビルボードの話は関係ありそうです。

ここで少し話が飛びます。

(略)強いて言うなら、RMさんが中学から高校の頃聴いていたような音楽の特徴が、少しずつ入っているように思います。だからと言って、その時代の音楽でもなく、ポップスのようだけどポップスでもなく。
RM:サウンド的に調和がとれていなければいけないので、そういう感じをBTSのアルバムで出すわけにはいきませんが、僕がこのごろずっと聴いていた音楽も韓国の曲でした。P-Typeの「ドンキホーテ」、DEADPの「ナルゲジッ」、Soul Companyのアルバム『The Bangerz』。そういう曲ってあるじゃないですか。その時代が僕に残した足跡。その時代の歌詞と今の歌詞はちがいます。だからか、『BE』 も歌謡曲でありながらポップスでもあり、僕にとってもすごく独特ですね。

P-Typeの「ドンキホーテ」、DEADP、Soul Companyのアルバム『The Bangerz』は、初期の防弾少年団のサウンドと共通するトーンを感じます。歌詞まで追ってないですけど、すごい好きだったんだろうなあ。

RMがこのごろずっと聴いていたのがこれらの曲だったのでしょうか。自分の音楽的素養を育ててくれた楽曲ということだと思います。中学・高校生の感受性や、その時代の中で同世代が平等に感じていた時代の雰囲気が、彼の中でこれらの音楽と共に記憶されているのだと思います。

韓国の音楽シーンを体験していないので、「RMさんが中学から高校の頃聴いていたような音楽の特徴」というのが何を指しているのか分からないのですけれど、音楽的には『BE』の中の「Fly To My Room」「Telepathy」「Stay」は、前述のアーティスト達と使っている音に共通するものを感じます。
記者会見やVLIVEで「レトロ」という表現がされましたが、サウンドがレトロというのは、昔のDTM音源のサウンドと近いという意味もあります。DTM音源はコンピューターの性能と共に進化していますから、今使われている音で、以前なかったものはたくさんあります。昔の音源もそれはそれで良さがあるのですが、要はデータ量が軽い音源、当時はそれ以上に複雑な処理が必要な音が出なかった、と理解してもらったら適切かもしれません。

「RMさんが中学から高校の頃聴いてきたような音楽」には、当然今のビルボードのトレンドは入っていない。『BE』もそうである、ということが語られているのでしょうか。

皆んな…そろそろゴールが近づいてきたよ…!

これ以降、重要そうなところを抜き出します。

「Life Goes On」は観照に近い
・若い人たちも、年をとってから、いつかまた聴くようになる
・僕に痕跡や足跡を残した人たちの共通点
・イ・ソラ先輩の7枚目のアルバムのような音楽
・その時代とその人の声が、サウンドとともに吐き出した歌詞

ここは長い会話が続きます。要約すると

RMが願うのはただ1つ、
「時代が変わっても聴く人がいる音楽を作りたい。」

彼は「画家」から、時代を超えて共有される何かを作品に込める、という態度を学んだ。人々が、時代や人種を超えて共有出来るもの。それはどうやって音楽に込めることが出来るのか。

ナムさんは、それは観照的に時代を見つめた人の、生の声で可能になると考える。

かんしょう【観照】
1.対象の本質を客観的に冷静にみつめること。
2.美を直接的に認識すること。

自分が今生きている時代の本質的な部分を、客観的に冷静に見ている。その時代の美しさを感じている。その見ている、感じている自分自身の言葉で、虚飾なく、そのままシンプルに吐き出されたもの。

ではそれを吐き出す自分は何者かと言った時、

・「結局人間」
・あの雨雲より速く走るのは無理だ
・韓国人以上のことはできない

ということに立ち返る。

アメリカでラップをする人たちの必然、人種、薬物、差別、格差、ミックスカルチャー、銃社会、森林火災、学校での乱射事件、暴動など、そこに住む人たちが感じているリアルを、それを共有していない人間が同じレベルで感じることは不可能だ。それらについて自分の言葉で語ることは出来ない。

自分が自分の肉体を持って、リアリティを持って知覚出来る範囲は限られている。彼は、自分と目を見て話す距離にいる人たちのことを、自分の育った韓国文化のことを、韓国という地で共有されている本質的なものを、美しさを、体感することが出来る。それについて嘘なく語ることが出来る。その範囲を超えることは出来ない。

彼が、今の時代を冷静に見て、自分が感じていることを観照的に表現すると、どういった内容になるのか。

・成功の証がキラキラしていることがジレンマ
・この業界が持つアイロニーや矛盾
・悩んで熱心に働いて、この悩みを曲に盛り込もう

後世の人がBTSというチームの成績だけをデータとして見れば、それは前人未到の記録ばかりが並ぶまばゆいばかりの記録だ。

彼自身は、今の時代を、自分の20代を、「未熟な20代。20代の歴史。たくさんの矛盾と人々と名声と紛争が絡み合ったりもしましたが」。BTSの急激な成長に伴って、変化する人間関係、豹変する人間、業界の皮肉的な側面、矛盾を、もろに見続けて大人になった。そこで経験したものについて、悩みながら、熱心に働いた。その熾烈な体験は、決してキラキラしているとは言い難い。

だけど彼は、キラキラしていなくても、自分が育った韓国という「辺境」の地で、韓国のカルチャーが育てた感性でもって、自分が今この時代に体験していることを、自分と同世代の人たちに共有される本質を、冷静に見つめて、取り出そうとしている。

その中に、自分がすでに持っているものの中に、それをじっくり見つめて取り出すことができれば、そこには時代を超えて人々に共有される、本質的なものが含まれている。それは人々にとって、不変的な価値のある何か、なのである。


終わりに

長かったですねーー!!!お疲れ様でした。

これが適切な理解の仕方なのか分からないけれど、終わってみると、RM個人は軸足を世界のヒットチャートから外していこうと考えているのかなと感じました。それを会社が許すのかどうかという疑問はありますが。模倣を続ける限りは、自分から生まれるものを作らなくては、後世の人たちにとっても価値がある、心に触れる、助けになる作品にならない、と。

実は、それは完全にアートの人のマインドです。アイドルは雇われていますが、アーティストは魂が自由な生き物です。

彼は今、自分の人生から、本質的に人々に伝わるメッセージを掴み取ろうとしている。そういうあり方のアーティストを目指して、忍耐強く取り組めるように、今身体も作ってるぜ、ってことでしょうか。利権を持っている上の階層の大人達と戦っても負けないようにでしょうか。妄想が過ぎるでしょうか。

でももしその方向に進むなら、トレンドの震源地はアメリカだったけれど、つまり最先端はアメリカだと誰もが思ってきたけれど、もしBTSが完全にトレンドを無視して、韓国から生まれた韓製ミュージックがヒットチャートを独占したら、ビルボードがそれを逆輸入するという現象が起こる可能性だって、あるかもしれません。邦楽の歌詞にちょこちょこ英語が入るみたいに、「今ハングルが格好いい」とか言って、歌詞の一部にハングルを入れるのが流行ったりするかもしれません。そしてその流れは『BE』ですでに始まっているのかもしれません。

自分の国からトレンドを発信する。もしかしたらそういうビジョンが含まれたインタビューだったのかもしれませんね。夢のような話ですが、そして言葉にすると簡単ですが、それが実現出来る方法をRMは分かり始めているので、これから実践していくぞ、という決意を、パクチーは受け取った感じがしました。


すごく大変だったけど、楽しかったな!

ナムさん〜〜!やったれ〜〜!!





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