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「好き」の言語化の効用:BTSジンくんについて

「〇〇が好きだ」と言う。

その「好き」の中身は、その人にとってことばになる以前の「重要だ」「大切だ」と思っている要素が詰まっている。「好き」がなぜ「好き」か。その原因や理由に触れるのは、そのまま自分自身を知ることだ。

例えば「ジンくんのここが好きだ」と言う。ジンくんのどの要素を、どのように素敵だと思うか。そこにはそれぞれの人の、「わたしの人生にこのことが大切だ」と考えることが、そのまま反映されている。

自分自身がまだ言語化出来ていない「好き」の、それを生んだ土台の部分には、自分にとってまだ未知の、掴んでいない、これから先の自分にとって重要になるワードが含まれているんじゃないだろうか?

「好き」を言語化することに意味があるんじゃないかと思ったのは、そんな考えから始まった。わたしがBTSを好きになり始めてから3年とちょっとが経ったらしい。わたしはなぜジンくんが好きか。ふと思い立って、わたしはそこから自分の中の言語化を始めてみようと思った。

「近過ぎて分からない」

BTSを好きになり始めてしばらくの間、わたしは何度も感動して心が震え、次々に衝撃を受け、自分が次々に変容して、かつてわたしはいくらでも彼らから発せられるものを、彼らから受け取るものを、心に刻めるように、気づきを手に捕まえて生かせるように、言葉に置き換えようとトライした。

しかしそのステップが過ぎて、彼らが自分の日常にいることにすっかり慣れて、彼らのパーソナリティにもすっかり馴染み、画面の中に彼らが彼ららしくいることに少しの違和感も感じないで過ごしていると、はて、改めて、

「パクチーさんって、なんでBTSが好きなんですか〜?」

と聞かれた時、わたしは具体的に、適切に、答えられなかったのだ。好きとか嫌いとか以上に、当たり前にそばにあるもの、理由なんかいらんよね、「彼らが、彼らだから」みたいな…。

そこで、改めて今、好きな理由を言語化してみようと思う。

別に、言語化したからと言ってどうなるものでもない。人様の役に立つのでも無い。ただ、こんなに好きなのに、こんなに曖昧になってぼんやりしてしまって、こんなにたくさん受け取っている「好き」のポジティブの塊を、せっかくこんなに貰ったんなら、「次の段階」に昇華したい。そんな企みかもしれない。

じゃ、「内観」してみる?

「言語化したい」。つまり「自分が何を考えているのか分かりたい」。そんな時、最近のパクチーは「内観」というチートを使います。

「魂」というのはめっちゃ優秀なので、自分について、実は何でも知っているのです。「魂」が知っていて「意識」が知らないことを、「魂」に尋ねて、その答えを「意識」にダウンロードする。それを「内観」とパクチーは呼んでいます。これは「意識」がすでに知っていることをこねくり回して新しい理論を作るより、ずっと短時間で、ずっと正確で、ずっと万能。まさにチートですので、皆さんにもお勧めしたいです。

それでは、わたしは今、これから、内観を始めたいと思います。ステップを進めながら実況風に、リアルタイムで記述してみます。

ステップ1
内観のためにまず、安定して座ります。わたしは今PCの前で、椅子に座っています。姿勢を正して、楽に呼吸が出来るようにします。すーーーはーーー。

ステップ2
胸の前で手を合わせます。合掌は一番簡単なヨガのポーズと言えるそうですね。足は開いた方が、わたしは呼吸がしやすいです。足の裏をしっかり床につけます。目を閉じて呼吸を繰り返します。体がどこか痛いと、内観に行けません。わたしは今朝寝違えたので、手を合わせながら、体が寝違えたのを治す方へねじったり反ったりと動きます。自然に動きたい気持ちを、そのまま邪魔せずに動かします。筋を伸ばすと、首だけじゃ無く腰の方まで痛いです…。呼吸は止めません。しばらく体が動きたいように任せます。

ステップ3
体の気が済んだら、手を重ねて心臓に当てます。右手が下のほうがいいようです。そして静かに呼吸しながら、「わたしはどうしてジンくんが好きなんでしょう?」と、心の中で尋ねます。

ステップ4
わたしが最初に頭の中に思いついた単語は「笑顔」でした。これは向こうのほうから勝手にやってくるインスピレーションといった感じです。「笑顔」をきっかけにして、そのあと言葉がたらららららーと流れて入ってきます。

笑顔。彼の笑顔には「喜・怒・哀・楽」すべてが入っているように見えるから。彼は自分の内面の要素、善悪、陰陽、ネガティブポジティブを平均的に見渡していて、どれかに偏ることなく、偏執することなく、等価に見渡している。彼がそこにあるもののうち、彼自身の妨げになるもの、彼の仕事の妨げになるものを、そのままそこに置いたままでいられるようにするために、自分自身の精神を安定させるということに大変な時間と労力を割いてきた。彼は自分の中のマイナス要素が、どこまで成長しても消せないことを知っていた。だからそれを消す必要がないことも分かっていたし、消されるべきでないことも分かっていた。彼は全てを持ったまま成長することを選んだ。彼は世界にある混沌と光の存在を、どちらもそのまま等しく認める人になろうとしている。そうして成長してきた分量が、彼が自分自身に感じる誇りであり、他者から見た気高さであり、彼の高貴さだ。

…だ、そうです。

手を胸に当ててから内観の結果を書き上げるまでに、時間にすると5分くらいでしょうか。今回はnoteのために、入ってきた文字をほぼそのままタイプして、自分にしか分からなそうな言い回しを、後から手を加えて修正しました。パクチーについて言うと、上記のように、これまで思ったことも考えたこともなかったです。ついでに言えば、自分で書いておきながら「…そうかなぁ…?」と思う部分も無くはありません。

しかし、一つ確実なことがあります。実際のジンくんがわたしが得たインスピレーションの通りなのかどうか、そんなことは確かめようがないのでさっぱり分かりませんが、わたしが、ジンくんのなかに上記のような要素を意識するとも無く見ていて、ジンくんがわたしのハートに刺さっている、根源的な理由は、ここにあるようだ、ということです。

自分が知らない「理想」の状態

わたしは上記のような状態、つまり「正悪」「浄不浄」「ネガ・ポジ」の相反するものが「善悪」のジャッジを受けずに、ニュートラルなまま均等に自分に内包されているのを、自分が潜在的に辿り着きたいと望んでいる理想の状態だと、彼を通して自分を内観することで、今、「知った」ようです。わたしが今現在日常の中で感じる不安や、物足りなさ、未熟な部分は、この状態に至ることで解消される。「この状態がゴールだよ」の全体像を、今、初めて俯瞰して見たのでした。

わたしが彼を好きな理由は、自分にとって言語化できないくらいの遠い理想を、自分が深層のところで理想的だと思う姿を、ジンくんを通して見ることが出来る。だからそのことに感謝していて、彼が彼らしくあることを応援している。追いつきたいと思う。でも実際にはわたしにはとても無理なのじゃないかと思う、だからこそ彼が彼のようでいることに感動している。

でも、こうやって言語化することが出来ると、ビジョンを持つことが出来ます。わたしは、自分が幸福で安心した状態にいずれ到達したいと欲しているが、そのために何が整っている必要があるのかを、今、自分で知ることが出来たわけです、マップの上のコンパスのように。道標のように。次の、何か別の「大好き」で「心動くもの」に出会うまで、わたしが潜在的に必要としているものを得る方向へ、その在り処を、今回はジンくんのことを「好き」の「理由」が指し示してくれている。

自分の望みが分かる。それが、何かを好きになった時の、最大の効用だと思います。

「好き」「嫌い」で分かること

自分について、「好き」で分かることがあるように、「嫌い」や「怒り」の起こる理由で分かることもある。「嫌い」も「怒り」も、問題は対象の方にあるようにどうしたって見えますが、対象があることで自分から生まれる反応を見ている。自分が内包しているものが潜在化している。起きているのはそれだけです。

「嫌い」の表現は、ある意味、その人が抱えている見えない問題を、顕在化している状態とも言えます。吹き出物…みたいなものだと考えたらすごく分かりやすいかもしれません。次のステップに進もうと、あるいは解決に向かおうと、内側の問題が変化を求めている。見える形になっている。他人の吹き出物を見て嫌悪感を持つ時、それは自分が内包している塊の中に、共通項がある時です。

「怒り」は、よくよく内観してみると、八つ当たりのこともあるし、正当な場合もある。「ちゃんと怒っていい」。大切なものが、大切にされていなかったことで「怒り」が、そこを正す必要を教えてくれている場合もある。

「他人は鏡」だとか、「自分の胸に手を当てて聞いてみろ」とかは、昔から言われていることですが、こんなようなことがわたしの理解です。昔の人、正しすぎる…そして要約しすぎ…!

最初のとっかかり

内観の最初のステップが、いわゆる瞑想の状態で、内観は瞑想の一部とも言えます。瞑想がどうしても出来ないという人は、いろいろ本があるので、手にとってみてもいいかもしれません。必要な要素は「座る」と「呼吸」だけなので、手軽に考えてみて下さい。人によっては練習が必要ですが、慣れればすっと、すぐ瞑想に入れます。

体の凝っているところがあると、瞑想になかなか至りません。皮膚が固くて伸びないところ、痛いところに空気を入れるようなイメージで、ゆっくり呼吸を繰り返します。それだけでずいぶん凝りがほぐれると思います。この時にしか気づかない体の痛みもあります。痛みに気づくのは大切なことです。

高度な占いとは、おそらく内観に準ずるのでしょう。他人を見て起こる反応から、自分の胸に手を当てて、内観を役立ててみて下さい。疑問に思うこと、迷っていること、何をしたいか、どういう状態が幸福か。

内観は、自分が頭で知っている以上のことを自分に教えてくれます。


それでは、また!




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