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やっぱりRMくんは人類の何割かを率いてるんじゃないか、という件

わたしの住んでいる島はささやかながら観光地で、ジンくんが旅先の観光地で楽しんでいる風なのを見るとつい、「もしジンくんがうちの島に来たら…!」という妄想が勝手に出てきてしまう。「やっぱり唯一の観光目玉である神社はおすすめするかなあ」と考え、はて、わたしは神社をどういうところだと説明するだろう?(知ってるかもしれないが)、お魚がたくさん釣れますようにとお願いするところ…?いや、神社はお願いするところではない。お魚釣らさせてくれてありがとう…?

"Say 'thank you' to the earth."

という言葉が浮かんで、「あ、それか」と思った。そしてその地続きのところで、何か触れるものがあるような気がした、RMくんがなぜ、美術館に行くのか、なぜギャラリーに行くのか、かなり以前から彼はそういうもとの触れ合う機会を積極的に持ち、彼の葛藤が深まると同時に、造詣も深まっている印象があるのだが、その目的とは、もしかしてこういうことではなかったか。

「孤独な在り方でいる魂に、感謝を持つ場所」。


たまたま昨日、以前見たことのあった海外のARMYさんが作ったBTSのドキュメンタリー風の超大作動画、その冒頭のところだけ見て、「防弾少年団はRMから始まった、パン・ヒショクPDが…」のエピソードで、うん。それは知ってた。知ってたけど、前回のnoteで「RMくんこそ【防弾少年団】の少年そのものだったのかも」と書いて、

そうだわ…やっぱそうじゃん…!

始まりはキム・ナムジュンだった。彼の叫びで始まり、彼をとりまく葛藤で展開し、都度都度彼の言葉を芯にして【防弾少年団】のストーリーは展開していった。激しく傷つき、悩み、苦しみ、「LoveYourself」に触れ、一歩ずつさぐりさぐりで、不必要になっていったものを溶かしていった。

それとは、彼の冷静で高い知性が、すべての物事に正対して、苦悩しながら言語に置き換えていった結果だった。彼が彼でいるということを見失わずに来たこと=「RMの自律性」というところが、【防弾少年団】の一連の作品に一貫して流れていた一本の糸だったのだ。

そのRMくんが、「他のメンバーがとってもよくできるから、自分はリーダーの係で、英語をしゃべっていればいい」と、自虐だとしても自分で思うようになってしまったこの近年って、なんと…なんということだろう…。確かにメンバーたちはよくできるけども…。

作品をね、歌詞をね、順に追っていくととてもよく分かると思うのですが、彼らが「LoveYourself」を今のように腑に落とすところまでには、たくさんの道のりがありました。アルバムごとにかいつまんで並べようかと思ったのですが、かいつまめねえ…熱すぎて、重すぎて、わたしがつまむと偏りすぎて…。ぜひおのおので、じゅんぐりに半端ない熱さに触れて頂きたいですが(酷暑だけに)、

その道のりを経て今や、すごいところにいると思います。すごいレベルの高さで、「LoveYourself」、彼は、彼らは深く体現していると思います。

「LoveYourself」。彼は自分を愛することを知っているし、他者を肯定して受け入れることを知っているし、当初の夢であった音楽の仕事でこれ以上ないという成果を打ち立て、それはこの先当分揺るがない状態で、

つまり、必要なものは満ち満ちている。自己愛も、信頼できる仲間も、望むもの、望んだもの、およそ生活するのに必要な全てが、十分すぎるほど十分に。

彼が今選択していることは、「LoveYourself」のその先だ。

わたしたちが、BTSの「ソロ活動を中心にしていく」という新機軸を、個人的な思いとは別に「理解したい、受け入れたい」と思う背景には、

この選択は、決して彼らの「LoveYourself」を損なわない

ということが分かってしまうからだ。彼らが悩みながらも、苦しみながらも伝えてくれた新機軸は、彼らは彼ら自身の自己愛を尊重してくれた、その結果だった、ということが理解できるからだ。(そう思わない人もいるのに、そうだって言い切ってごめん…そうじゃない人もそりゃあいるよね)。

そして、むしろ、彼らが「LoveYourself」をしっかり発動させているからこそ、この先自分を愛し続けることができる状態でいられるようにするために、それを妨げるものを手放す選択をすることができたのだ。と、そういう風に思う。

どうして?全部持っているのにどうしてこのままではいけなかったの?何が損なわれていたの?

「LoveYourself」の次のステップは、自己の内側に入ることである。

それは、端的に言えば「好きな人たちと食事をして、ただ幸せだと感じること」。内側から感じる幸福。安らぎ。喜び。そして創造の欲求。それは、どれだけのものを「外側」から与えられても、満たされない、内側にあるその根本のところをたどって、深くつながる場所に自分がたどり着かなくては。彼は、それをしたいのに、その自分の中で起きる強い流れを、仕事の忙しさのために堰き止めなくてはならなくて、思うように流すことがずっと出来なくて、長い時間、葛藤していたのだろう…それでも現状を手放すべきではない…と。

そして、不安を、恐れを、罪の意識を、不信を、手放した。

自分に潜る。自分と相対する時間を持つ。自分の内側に、大きな安らぎと喜びの、尽きない泉のような場所へ至る道があって、そこは自分の内側からしか入れない、豊かなエネルギーの満ちる場所。

結局「今」を満たすのは、心の有り様だった。究極的にはそれ以外はない。彼が身をもって示しているのは本当に重要なメッセージだ。内側に入る。自分を満たすものがどれだけ外側に豊かにあろうと、それに上回って重要なのが、自分の内側に、入る、ということ、なんだよ〜!

これまで彼は、心強い彼の仲間と一緒に、「LoveYourself」に至る道のりをこつこつと作品で語り続けてくれた。その彼が記した道を辿って、たくさんの人たちが自分に与えられた同じ愛に出会い、受け入れ、自分が満たされる感覚を獲得したと思う。自己愛を見つけたことで、これまでと歩む路線を大きく変えた人も少なくないだろう。

彼らは、夢を叶えた先の困難、「LoveYourself」、そしてその自己愛を使って、自分の中に折り重なったものを手に取りながら、丁寧に手放していった、スランプ、トラウマ、エゴ、シャドウ、自分が考える自分について、ペルソナ、そのクリアしなければならない様々な壁についても、たくさんの作品で語り続けてくれた。

今、その先にRMくんはいて、それが、「自己の内側に潜るために、手放す」。それ、最後のステップじゃない?肉体を持ってる人類が成長過程で精神が経るものをずっと辿ってきて、そこ、最終ステップじゃないの?

いや、精神が成長するのにステップの終わりなんてものはないのでしょうが…。

わたしたちが資本主義社会にいて、「ここがゴールだよ」と教えられた場所にまさしく彼らはいると思うが、そこは真のゴールではないんだよ、と、まさに今、教えてくれていると思う。望むものを実現した先、内面に向き合って整理した先、自分のために何ができるか。そのニューモデルになっているんじゃないか。彼の歩いたところに道ができる。彼らの選択を見守っているわたし達は、彼を通して、新しいビジョンを、新しい目標を、目にしているんじゃないか。

新機軸を発表して、明らかに彼らは変わった。そのことに皆さん気付いていると思うが、ファンたちがChapter2と呼ぶもの、

わたしには顔つきが、纏っているムードが、全然違って見える。一皮向けた…みたいな言い方があるけど、3皮くらいむけた…なんつうか、軽く、なんつうか、天使に近くなった…?発しているものの質が別質になったような、眉間に乗っていたような重りが外れたような、自分の内側に繋がる光みたいなものが、めちゃめちゃハイバイブレーションになったというような…。もちろんわたしの見る見方が変わっただけという可能性もあるけど…。

ずっと、いい。今までよりも。

彼は、たくさんのものを手放して自己に潜るプロセスはある意味孤独だが、そこで内面と対話して、不要なものを削ぎ落として、内側の豊かさを汲み取って表現する、個々の、独立したひとつひとつの魂たちに出会いに、ミュージアムに、美術館に、ギャラリーにいるのだという気がした。その魂に触れて、自分より前にそのあり方で存在してくれることに感謝しているような気が。

これまであまり言われてこなかった次のステップのモデルになっていて、この道に刺激を受ける人々が、必ずいる、というようにわたしは思う。


関係ないけど、最近写真に塗り絵するのがマイブームです。

ジンくんは、イラストっぽくなれば匿名性が上がって、ただのきれいな背中、になるかな、と思ったけど…全然艶かしいな…。

あと、akkiy☆さんに触発されて、ピアノを弾き始めたです!調律が狂いすぎて、ついに8年ぶりに、引っ越して初めて、調律をお願いすることにした。調律師さん、予定がつくのがなんと8月ですって…!初めてお願いする方だけど、人気の調律師さんなんかな…。


では、また!

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