コインの表面と裏面を見尽くす、RMくんという人
2023.11.14、22:22、RMくんのWeverse Liveがありました。
BTSのジョングクくんが、そのソロ活動で世界の中心にぶっさと刺さって、それはもう格好良い事この上ないのですが、そのジョングクくんが始まるきっかけとなったRMくん、ジョングクくんが「格好良い」と思ったRMくんが、自分の作業室でカラオケしていながら、なお格好良い…。
相変わらず…相変わらず…!さらっと出てくる言葉の中に、はっとするいくつかが、ぴゅん!と飛んでぶっさ!と刺さる…自然体でこのパフォーマンス、この威力、やっぱし…常人じゃありませんな…。
今回はいくつもあったそんな言葉を、パクチー目線でご紹介したいと思います。
残りわずかの今年の計画?ずっとこの作業を続ける予定で。働ける分だけ働いて、遊べる分だけ遊んで、僕の人生をしっかり守ります。-RM
「僕の人生をしっかり守ります」が、2022年の『防弾会食』からの回答であるように聞こえてはっとするのはわたしだけでしょうか。「僕」が「僕の人生」を見失わないために、どういうワークバランスを取り得るか。それはかつて、BTSの一番大きなクライシスで、今RMくんは、「それをハンドル出来ているんだな」、ということを、この言葉で窺い知ることが出来ますね。
彼が守りたい「人生」とは、彼が彼の人生において、自分の正常な感覚を保ち続けるということだと思うんです。そして正常な感覚とは、価値あるものの価値を見失わない、ということだと思うんです。
RMくんは、「推される」立場である。他者の評価はぐるぐる変わり、アイデンティティの基盤がめまぐるしく変化し続けることに伴って、自己肯定感は波間の藻のようにぐらぐら揺らぐ。副交感神経と交感神経のジェットコースターのようなアップダウンの繰り返しは、情緒の恒常性を簡単に崩す。金銭感覚は、一般以下の研究生時代から、一流ホストみたいな高額所得を得る現在に至っている。
その彼が。
「このへんが『僕』を構成している基盤だろう」という部分を、何はともあれ、最重要事項で遵守する、ノーマルな状態に自分を保って、ノーマルな状態の自分で、自分を推してくれる人と対峙しようとする。それは、とてもとても、自分を律してこそ、その状態に至ることができ、調整し続けてこそ、その状態を保つことが可能なもので。
そうやって、彼が自分が見つけた方法で、ノーマルな感覚を、ノーマルな判断を、美しいものを美しいと、悲しいものを悲しいと、価値あるものに価値があると、醜いものに醜いと、感じる感性を見失わないで、彼は、今いる。「推される」人が、愛憎にも、情緒にも、金銭感覚にも、「歪まされねーぞ」と、世界をありのままに見る目を保つ、と、それは根性と言っていいくらいの、強い意志だと思う。
彼は人生を、彼を構築する感性を、外部の興行的資本の要素に奪われないように、洗脳されないように、調整し続けて生活している。
それ、すごいことだよなあ、と今わたしは思っていて、結構発見です。
そのことに、何の価値があるのか?
答えは後半で出てきます。
余談…。Fishmansを聴いてる…!
「あなたが一番難しいと感じることは何ですか?私にとって一番難しいことは自分自身を理解すること、それは本当に難しい」当然だよ。-RM
RMくんの最も大きなテーマが「自分を理解する」ことであるのは、これまでも何度か彼自身が語ってくれてることかもしれません。今回ここで、
「間違いがあったり良くないことを考えたり悲しいことが起こったりする」のは、
「僕も僕を理解することがすごく難しい」
からであると。
「彷徨うこともあるし辛い思いをしたりする」
のは、
「自分自身を知るため」
であると、言っている。
いや…その通りだが……よ…………!
人間、いろんなタイプがいると思いますが、わたしもRMくんと同じタイプで、「自分とは何か」が最大のテーマであるからこそ、それが難しくてなかなか理解に至らない。それは当然、「だからこそテーマなんだよね」、まる、って感じで完全同意です。もちろん、それが全然関心無い人もいて、そういう人が持つテーマは別のところにあるでしょう。
わたしにとって完全に真理だが、そこにわたしの知っていることを補足してみる。と、こうなる。
本来の「自分」から逸れている時、間違いがあったり、良くないことを考えたり、悲しいことがあったりする。
彷徨う辛い体験の最中には、そのステージで獲得べきことがある。
この二つは似てるんだけど、前者が、「ずれてるよ〜」というサインのようなもので、アクシデントのような短期的なものであるのに対して、後者は「試練」のような、長期的で、数ヶ月のスパンがある感じかも。
まず前者は、軽い事故や、気持ちのすれ違い、ミス、思ってたことと結果が違う、などがある。本来あるべき自分の状態とずれて、すべきでない選択をしている時、クラクションみたいな感じで、アクシデントが起こる。これは、単なる不注意とか、運が悪かったということだけのことではなくて、単なる不注意以上に意味がある。それは、「自分があるべき状態にいないよ」ということが引き起こしている、それに「気付けよー」というサインなのだ。そもそものアクシデント以前に、望んでいない選択をしなかったか、振り返ってみると良いと思う。そのことに気付いているか気付いていないかだけで、現実への反映がかなり違うはずだ。現状をすぐに変えるのが難しかったら、可能な範囲から調整して、自分の本心の在りどころを時々確認して、本音を「知っておく」のが良いでありましょう。このサインを無視したまま進むと、クラクションがもっと大きくなる。「足の小指をぶつける」とか、小さなレベルのうちに気付くのが肝要。
一方後者。
物事が「ある」と理解するためには、「欠落した状態」を体験することが必要だ。
そして、その本質を「知る」というところまで望んでいる場合、あなたは、それが欠落した状態の環境が準備されていて、自分が人生のどこかの時点でその環境を体験することを、生まれる前に設定している。
全ての、迷い、辛い体験、それが終わらない期間は、獲得すべき何か、学ぶ必要のある何か、が、そこにある。それは、「そうだ。自分はもともと、これを持っていたじゃないか」と、気付くために用意された展開で、なので、自分が持っている力に対する理解を深めれば、そのシークエンスは終わる。自分について理解すれば、彷徨う辛い体験は終わる。
だけど、それが難しい。手放しがたい、唯一の命綱を諦めることに似ている。だけど良く良く思い返すと、「唯一の命綱だ」と思っているものは、実は、どこかの段階で誰かに教え込まれたもので、実際は、あなた自分、もうすでにいくつもの命綱をそれまでの過程で得ている。これは、そのことに気付くプロセスになっている。
でもね、結局、一番肝心なのは、「自分の中にナイスで素敵な姿ばかりあるわけじゃない」、というその「自分の中のナイスで素敵」じゃない姿を、実は知りたいのです。自分自身を知るために。RMくんもとい、わたしたちは。それは、わたし達がわざわざ、過酷な肉体人生を選択した目的でもあり、ポジティブもネガティブも、カテゴリ分け関係なく、知りたいことを知りたいんだよ。今回ゲットした自分の肉体、それに付随してる「意識」を使って、獲得できる知覚の全部を、余すところなく味わい尽くさなかったら、「自分」の「今世」を無駄遣いしたことになると思っている。だから、「毎日いいことばかりで完璧で落ち着いて過ごすことが出来たら、どうしろっていうんだ?」とRMくんは言う。
ただし、苦しい期間はしんどくて辛いので、長く体験する必要は全然ない。もう、「助けてー!」と天に向かって心の中で叫んで、「全部のサポートを受け入れます!」という気持ちで深呼吸して下さい。わたし達はすべからく、超ハイスペックの見えないサポーターがばっちりびっしり付いててくれてますので。何が起こるかと言うと、肉体も、世界も、ちょっと良い方のパラレルワールドにシフトします。そうやって、より楽に、苦しみが少なく、必要な経験を獲得できるバージョンの未来に、ぐんぐん乗り換えて行くんです。
その繰り返しの先に、ほぼ、「自分自身を理解する」ことが出来たら、そこからは「毎日いいことばかりで、完璧で、落ち着いて過ごすことが出来る」のだ、と、わたしは感じます。
ポジティブなものばかりをやりとりして、自分が望めば、丁度良いスパイスみたいな感じで、コントラストでポジティブをより深く知るために、たまにネガティブを味わい、人生はどこかの時点から先、そういう素敵で夢見たいなものになります。生きている間に全然可能です。だから、楽しみにして、自分への理解を深めてください。その恩恵はめちゃめちゃありますんで!
「今は何が一番怖いですか?」一番怖いのはいつも僕自身です。-RM
いや…だから…的確だよな……!
怖いのは、相手の中にあるものじゃない。自分の中にある「設定」が恐怖を感じさせてるんだよと。
これは「認知バイアス」の話です。
ある種の事柄について、傷ついた、トラウマ、コンプレックスがある。
普通、会話の中でそれが刺激されると、人は無意識的に攻撃的になったり、拒否感を持ったり、テンションが下がったり、悪意があると感じたり、怒りや憎しみを感じたり、通常よりも過剰な反応を起こします。相手に何の悪意や意図がなくても。
これって、でも、自覚するのは結構難しいと思う。
かつて経験した痛み、それに再び傷つかないように、心を守る目的で、自動的に「防衛規制」が発動するのです。その時、認知にバイアスをかけて、物事にフィルターをかけて、自分が受け取っても傷つかない形に、現実を、歪める。ここまでは無意識です。
RMくんは、他者とコミュニケーションを取っている時も、自分がその状態でいることを、「怖い」と言っています。この歪みを矯正することは、なかなか簡単ではなく、時間がかかる作業です。
しかし…普通はなかなか気付けないこれを、この方の場合、会話している時に気付けるって言うんだから…すごい「メタ認知」の能力の高さですよ。「メタ認知」で、自分の心の中に起きている無意識のメカニズムを客観視しながら、人と対峙する時に、アウトプットを調整しながら対話できるのだったら大丈夫である…と言っています。「認知の歪み」が「矯正」出来ていなくても、「歪み」があったままでも、「調節(コントロール)」出来ていればいいのだと…ええ。ええ!その通りでしょうよ!
傷ついた、傷がある、トラウマがある、すでに起きてしまったそれはどうしようもないのだと。そしてそれがそう簡単には癒されないのも、仕方がないのだと。だけど、過剰に防衛反応を起こそうとする自分に気付いて、アウトプットを調節できれば、「傷があること自体が問題だ」としなくてもいいんだ、と。
はい…。
彼が言う通り難しいんだけどな。でも気付いてるのと気付いていないので、その瞬間のアウトプットが変われなくても、後からフォローすることが出来るようになるからな。
パクチーはそれとは別に、もう一種、彼がコントロールする必要があると考えているものは、インスピレーションの着地点である、というような気もしました。彼のインスピレーションは相当な強度があるんじゃないかと思いますが、実現するためには絶えず周囲と調整する、ということに、彼は常に留意していなければなりません。そのバランスが取るために、インスピレーションの方を我慢させすぎて、爆発しそうになるのを「怖い」と感じることも、あるいは、あるかもしれないな、と思いました。
あなたの健康と幸せが僕にとってとっても大事なことです。肝に命じてください皆さん。-RM
「推す者」と「推される者」の関係で、かなり革新的だとわたしは思ったんですけど…どう思われますか皆さん…。
自律してくれと。自分も自律する。彼がとにかく自律に全神経を注いでいるのはご覧の通りですが。
「推し」というマーケティングスタイルは、制作や運営が、観客に「自己同一化」を演出して、「自己投影」をしてもらうことで成立する手法です。「推し」に依存してもらえるように制作側は色々な仕組みを駆使するのですが、「自己同一化」と「自己投影」が過度に進むと、「相手と自分は、別の人間である」ということが曖昧になってきます。仮に目の前で毎日一緒に過ごしてたとしても、本当には何を考えているかは分からないのに、分けて考える感覚がなくなってしまう。
ちゃんと、各々、それぞれで立ちましょう。そうであってこそ、気分良く会える。
彼は、そこにあるひとつしかない心を奪い合うんじゃなくて、彼の感情が感受した有り余るたくさんの情景を、もっともっとシェアしたいと思っているんだろう。彼が持っていて、渡したいものが溢れるほどある。自律している受け手には、もっと渡せる用意がある。「頼む…皆んな…建設的な会話をしましょう…」。はっとする程、超どストレートなリクエストですな。これがファンと出来る会話なのって、すごい。
それが自分にとってもあなたにとっても豊かだから。その状態であればこそ、彼が受け取りたいと願うものもたくさんある。たくさんのことを分け合える。と、いう、彼の考える関係性について。
これ、感情論じゃなくて、精神性の高いことを話し合おうと思ったら、このアティチュードはマストだな…。
これは…。
…経営陣がセッティングしている、「推す者」と「推される者」の関係性と、逆行してるよなあ…。
それでもって、それが彼の願望なのでしょう。すごい。やっぱり「ファンビジネス」の次のステージに行ってる…。
あなたも幸せに過ごしてください。でも幸せは感じられる心の準備ができた人にだけ来るんだと思います。-RM
いや…本当に…。そう…。
例えば、わたしが見たメンヘラさんのYouTuberが、「ホス狂い」から脱し、ソープでカケ(つけ払い)を完済し、今もソープで働きながら、自分がメンヘラであることを自覚した先に、「自分のメンヘラは趣味だ」と表現した。不幸でない状態は落ち着かないと。
メンヘラは、本人のせいでない、本当に難しい気質だとわたしは理解している。でも、やがて、人生が経過して、時間が過ぎて、ある時「選択だ」、と気付く段階がやってくる。選択肢がふたつあって、不幸になる方と、幸福になる方、自らが、どちらかを、選んでいる。そういう問題だと。とてもとても悲しいけど、気が済むしかないんです。自分は幸せになっちゃいけない、願ってもいけない、醜い、汚れている、下等だと自分を認識している、それでありつつプライドが高い、そんな自分に飽きて、繰り返し起きる停滞に飽きて、自分が不幸でいることに気が済むしかない…。
でもね、ものすごく葛藤しながらだけど、ひとつずつ、小さなものから、簡単なものから、選択していくことが出来るんです。いつも引いていた「不幸になる方」の選択じゃなくて、小さなポジティブの選択を、勇気を出して引いて、それで起こった良い結果を、受け入れることを自分に許していけるんです。わたしはそのその時のその人の変化を見て、世界で最も価値のあるもののように感動しました。本人は「些細だ」と、ただの小さな選択の変化と思っているかしれません。でもそれって、全く、小さくも何ともない、大地がひっくり返るような、めちゃめちゃ大きなエネルギー、転換を生んでいる。
メンヘラさんの人生が難しいことは良く分かる。きついと思う。でも生きて欲しい。全部を逆転させるきっかけがちゃんと、人生の中頃に訪れると信じて欲しい。そこまで生き延びて、きっと長生きして欲しい…。
「あなたが考える美しさは何ですか?」一番重要で価値があるもの、それはコインに似ています。幸せを見た瞬間、その裏には悲しみがあります。-RM
「痛み」の対義語はなんだろうか…「優しさ」かなー。「癒し」かなー。「労り」かなー。…「快感」かなー…。
はい。これが一つ目の引用に対するアンサーです。
彼は、「働ける分だけ働いて、遊べる分だけ遊んで、僕の人生をしっかり守ります」と言っていた。
「人生をしっかり守る」。
仕事や環境を通して五感が絶えず受け取る、アップダウンの激しい極端な刺激。興行的資本という外部の要素。その中に自分がいても、どうにかして、全てを見る目をノーマルに保つ。強い意志でもって調整する。
その理由は、彼が、一番重要で価値があるものの、裏も表も、余すところなく見たいからだろう。
ここの会話は、彼が「僕ももうちょっと理解できればいいんだけど」と語った、【Yun】の一節を思い出す。
その「重要な価値」を知るためには、欠落した状態を経験している必要がある。「美しい」と感じたものを、「自分はなぜ美しいと感じたのか」、それを説明するためには、「醜さ」を体感している必要がある。
人は、説明できないもの、何だか分からないものに対して恐怖感を持つ。自分の「知らない」感覚を刺激されると、恐怖を感じる。だから、これは彼がテーマにしている「自分自身を知る」ということにも通ずるのだけど、彼が恐怖に打ち勝って、自分にとって「重要で価値のある」ものを理解するためには、反対側の要素を体験していることが、自分の体感から生まれた言葉で言語化するための、たった一つの方法であるのではないか。
それが「美しさ」なら、彼にとって「美しさ」がどういうものであるか、それはどういう形状であるか、何を意味するか、どういう感情をもたらすのか、それを説明しようとするならば、どれだけ、その真逆の性質のものを体験しているかが、「美しさ」の理解、「美しさ」の表現の解像度を上げることになる。逆に、「美しさ」を深く理解していれば、「美しさ」の中に混ざった「醜さ」にもよく気が付くし、その「醜さ」を自分で説明する言葉を持っていれば、それは別に怖いものじゃない。
コインは、「表面だけで存在する」ということが出来ない。
これは、概念を理解するために必要な方法のシェアだと思いました。
「重要な概念は、表裏一体で存在してる」。どちらの面も余すところなく体験することで、それが何であるか、自分の言葉で理解するための言語を獲得することが出来る。
そういう覚悟を持って、ネガティブな体験をすることを受け入れている。
世界にどれだけの価値があるか知りたい。
だから自分を濁さない。
それを知ることは、豊かなことだと。その豊かさを知ることは、自分を知るとこととイコールだと、彼は感じているのではないだろうか。
「RMさんは自信があると思いますか?」はい、かなりありますよ。自信は本人がやっていることから生まれないといけません。-RM
いやあ…なるほどな…。
彼が積み重ねてきた自分に対する理解は、今、充分な自信になって彼を安心させている。
分かっているものに対する理解の深さと、分からないものに対して、「ここからここが分からない」と、自分で知っている。これが謙虚さと自己愛が意味するものだと思う。何が分からないのか分からない状態は、人を不安定にする。怖くないのは、自分で、分からない範囲が分かっているからだ。
これは、彼が彼自身について、飽かず、倦まず、見続けてきたことの結果だよね。それが重要なものならば、コインの裏も表も、臆さず見ようとする覚悟と勇気と忍耐だよね。
人々の悪意や偽善や愛憎に触れて、その都度、ものすごく傷ついてきたのが彼だと思う。自信もなくして、情熱も希望もなくしそうで、罪悪感を抱えて。そして、その感情を、これまでの時間をかけて、ちゃんと端から全部見て、ゆっくり理解して、腑に落として、それらの真逆の性質のものを言語化するするための、あるいはそのものを言語化するための、材料として、自分の中に揃えて準備している。
「これ」は、いつでも取り出して用意できる。
それが今の彼の、自信の正体なのかな、と思った。
これね、これも、そもそも「推す者」と「推される者」の関係において、はっとするんだけど、
「アイドル」はもちろん人気商売だし、つまり水商売の一種で、既に書いたけど「自己同一化」と「自己投影」の結果で成立する商品だ。「人気がある」とは、「実体」じゃなくて「プロデュースされた実像」の価値がインフレしている状態で、彼は、「プロデュースされた実像」は自信にならない、と言っている。
それをはっきり言うことが出来るのは、「プロデュースされた実像がもたらした自信」と、「本人がやっていることから生まれた自信」の違いについて、彼の中で差があることに実感があるからだろう。
これは、自分の虚像が世論やメディアによって作られてることに対して、それに影響されないで、ちゃんと自分のノーマルさを歪ませずに、保護できたから、到達出来た体感なんだよね。周囲の扱われ方に洗脳されないで、ノーマルな感性を取り戻してるから、だから辿り着けた、根拠ある自信。彼の欲しかったもの。安心。地に足の着いた感覚。出来ることと出来ないことの線引き。
こうして。
BTSのソロ活動が出揃って。
実は、それぞれのソロ作品を振り返るようなnoteを書きたいな〜と考えていました。それぞれに、作品からその人自身の豊かな世界が垣間見ることが出来たので、並べたら面白そうだな〜と思って。そのどれもが違ったように素晴らしかったのに、出揃ってみて、今、リーダーがいる位置が、「こ、ここか〜〜〜〜…!!!!」というのが、結構、衝撃、すぎました。
わたしが、今探求しているのが、「推す者」と「推される者」の相関関係なんです。「これは何を補完する関係なのか?」を、知りたいというのが最近のテーマでして。
で、その関連で色々リサーチした情報の中にあって、RMくんの発してるものが、ぴかーーーーっと、飛び抜けて存在してる!存在してるなあ!と。どう思われます?実際のところ。
Live後半でカラオケしてるRMくんが、なんかふわふわの天使みたいで良かったでした…。先日、カーオーディオでたまたま聞いた【Save Me】で泣けた…。ひとり分の声が持つ情報量の豊かさと、全然違う声同士のケミストリーに鳥肌が立って。
初めてこの曲に出会った自分が、あの時受け取っていたものに、改めて感謝出来るのも、
今、7人を揃って見ることができないからで。
これもまたコインの裏表だね。
それでは、また!
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