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ジンくんのステージから、SUGAくんの笑顔まで

うおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜
みんな、見ろ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

と、世界中の人に向かって雄叫びを上げたい気分だった。

ジンくんが、アルゼンチンで、Coldplayのコンサートで、歌った。曲の終わりに、マーティンさんは、彼に余韻をプレゼントする。

この瞬間には、とある韓国の青年の夢がぎゅっと詰まっていた。ジンくんの憧れとか、マーティンさんの、人として、音楽家としての懐の広さとか、人が人に対して持てる、美しいものだけが詰まっていた。

その後、ジンくんの、言わずに来たことについて語るWeverse Liveを見る。まだ字幕がついていないが(追記:つきました!)、ジンくん本人が語るニュアンスは、SNSなどで見た日本語に翻訳されたものとは大分違うように感じた。彼は全然違うレベルで物事を見ている、巷の温度感よりもずっと、30歩くらい先を歩いているような…そりゃそうか、当事者なのだから…。

ステージの終わりに、スペイン語と英語と、「クレゴ(そして)」…ジンくんが話す韓国語の声の、しっかりした響きに含まれた力強い愛に、告白みたいな真剣さに、わたしは自分の細胞が入れ替わるような、不思議な感覚を味わった。

彼が、

オーディエンスのいるステージに、

置き去りにしようとしているものは、

なんだ?

きっと、世界中の人が、もちろん日本でも、きっと韓国でも、自然に、無意識に最初に浮かぶ疑問、

「従軍は、あなた方が得てきた体感と、発してきたメッセージと、矛盾しないのですか?」

国のボーダーを、人種を、ナショナリズムを、カルチャーを、宗教を、人と人とを区切る線を、音楽は超える、愛はボーダーを超えられる、人は自分と違っていい、だけど本質的な愛をやりとりしてわたしたちは生きていることを、きっと世界の誰よりも実感してきたのに?

「良心的兵役拒否」という言葉を知った。「人を傷つけられないから、兵役につけない」という心情を良心と呼び、それが尊重されるのは、人権だという考えだ。徴兵制が終わる頃のドイツでは、最終的には2割が兵役を選択し、8割は福祉や救急の代替役務を選択したらしい(参照:良心的兵役拒否 - Wikipedia)。

そこに矛盾があることを、百も承知で、誰よりも、世界で最も深く葛藤しているのは、一番は、本人達だろう、間違いなく、

そして、その矛盾の30歩先を見ているのだ、という気がした。

彼は、今ある集合意識を引き受けて、女子が負わずに男子に課せられた道理を引き受けて、固定概念を、兵役システムが作った文化を刺激する役割を引き受けて、その渦中に入ることを、深いところで受け入れている。

その下の世代のために。

だからわたし達は誰も、簡単に問題を右に、左に寄せて、考えるのを止めてしまうのではなく、よく悩むのが、今あるべき姿だろう。よく葛藤し、決して苦しまなくて良いのだけど、何かについて考え尽くそう、

もしも彼が、「国を超えて、人種を超えて、宗教を超えて、ARMYはARMYなのだから、ボーダーを理由に武力でそれを断ち切ることに自分は加担できない」と言うなら、その良心をねじ曲げて従軍させることは人権を侵害する、と、国際的には理解されている。

だけど彼はその権利を叫ばない。

もやもやするのは、彼が人権を侵されていることを受け入れているからだ。それでわたしは、自分の精神体がふたつに裂かれているような感じを味わってる。だったらそのもやもやについて、そこにあるのものがはっきり見えるまで、よく悩み、よく考え、苦しまなくていいけれど、ちゃんと味わい尽くそう、

そしてひとりひとりが答えをビジョンするところまで至ろう、自分の中に見つける、それぞれの答え、彼が引き受けたものと引き換えに、

それが、彼のWeverse Liveを見て、しばらく呆然として、やがてわたしが至った心境だ。

とある外国の青年が、その基本的人権を侵害されることを受け入れていることに胸を痛めて、じゃあ、それが解消されるために、ひいては地上のすべての若者の人権が尊重されるために、具体的に何をするのか。

人によっては、それがデモだったり、投書だったり、不買だったりするのかもしれない。

それはそれで価値のあるやり方として、目的が全うされることをわたしは応援する。でも、わたしの望む方法はちょっと違う。デモグループの中に絶対に対立は存在しないだろうか?デモをする人と、しない人の間に対立はないだろうか?

わたしは今、「目の前にどんな人が現れても、自分のトーンが変わらない」、ということがテーマだ。どうあっても共感しない人が、「どうしてこういう風にするんだろう」と理解できないような人がいたとして、「人は自分と違っていい」ということが頭で分かっているなら、それをそのまま体でも体現する。つまりその人のあり方に影響されずに、自分が自分で持てるポジティビティを、変えずに保つ。

「どうしてこういう人がわたしの目の前に来るんだろう」と思うことがある。ひどいと思う、もっとこうすべきなんじゃないかと思う、周りの人のことを考えていない、と思う、けれど、「わたしの思う通りに、この人は変わるべきだ」と思っているケースについては、その考えを捨てる。その人がそのあり方でわたしの目の前にいるのは、それはもう、完全に、わたしのためだ。わたしが、例えそういう人を目の当たりにしても、自分が変わらずにいることを試すために、その人はそのあり方でわたしの目の前に現れている。

「もっとこうするべき」という考えが起こること自体はいい。それが今の自分の考える調和のビジョンなのだろう。だけどその人が目の前にいないのに頭の中でその人の悪口が出てき始めたら、それが完全に自分の問題で、相手に変わる必要がないと分かっているなら、まずは、コップ一杯の水を飲む。そして今自分の目の前にある別のことや、別の考えの方にハンドルを切る。頭の中の思考が悪口になり始めたらその都度、そう、きれいな水を、コップに一杯。

その人を目の前にして、心の中で起こる「ぐぬぬ…こいつ……!」に影響されない。そして発するもののポジティブを、他の人に発しているのと同じトーンを保つ。

それが今わたしの獲得したいと思っているものだ。

だから、みんな違っていい。みんな、誰もが、このイベントに対して、違う考えを、違う感想を、違う意見を、違うビジョンを持っていていい。どうあっても揺らがない、「ここがコアかな?」と思う自分のビジョンを見つけることの方が大切なのだ、目の前にどんな意見が、どんな素敵な、あるいは共感しない、あるいは不可解な、あるいは悪感情を呼び起こす意見が現れても、影響されない、静かな、自分の湖の底、定点。

それがこの世界を救う。と、すごくそう思う。

みんなのビジョンは、やがて今の現状ある状態とは違う状態で現実に反映される。その時、時間差で、今、ジンくんがステージに置いていく心へ、救いとして届く。

眉間にしわは寄せないで。

世界はこの瞬間にも、一刻一刻と良く変わっている。このことは本当に重要だと思う。

【The Astronaut】の歌詞に、「Heaven」という単語は何度も出てくる。

彼は、10年の間に差し出したすべてのものと、引き換えにする価値があるものを見つけた。それは、「支えの必要だった人が、自分の力で走り出す」ことと、それぞれの人の瞳の中にスパークする、輝きの存在だ。それを体感する意識の世界を「Heaven」と呼んで、そこを「HOME」にしたから、彼はそこに再び帰って来られる、それ以外の全てがどれだけ困難でどれだけ傷つこうとも。

わたしは最近、SUGAくんの笑顔がとても印象的で、きっとそう感じている人はたくさんいるに違いない。

SUGA of BTS 민윤기@instagram

「That That」のインタビューで「本当は愉快なことが好きです」と語ったところからだろうか?ジンくんが茶々を入れた↑このinstagramの写真に続いて、「Feel the Rhythm of Korea with BTS – TEASER」の最後に笑うSUGAくんや、「Run BTS!」のエアリアルヨガの回で、今まであまり感じたことのない、新しい感じ、こちら側がはっとするくらいに、無茶苦茶綺麗に笑うじゃない、この方。

丁度一ヶ月前くらいだろうか。カーオーディオで流したBTSの曲に、「あれ、こんなにこの曲の響きは明るく美しかっただろうか?」と違和感を持った。いくつもの曲で、響きが違って聞こえるのだ。「あれ、シフトした?」(参照:BTSの世界線はいくつあるか、パクチーは以前びっくりするほどシフトしたことがある)。考えられるのは、最近ピアノをよく弾くので、耳が良くなったのかもしれない。その可能性は一番高い。だから気のせいかもしれない。でもこういうのって気のせいが大事だからね。

その時から、世界がすごく良い方に変わった感じがしている。

SUGAくんの笑顔はその象徴で、「わたし、SUGAくんがこんなに綺麗に笑う世界線に来たんだ…この世界線…好き…!」とまで言うと言い過ぎだが、彼がこういう風に心情を笑顔で体現する、という時、彼が今いるところの精神世界は、とても平穏だ、その延長線上の未来は、これは確実に、大丈夫だ!!と、強く、そんな気がしたのだ。

この短い動画の中に流れている空気感は、わたしにとって、天国そのものだ…。

ジンくんが見つけた「Heaven」、SUGAくんの笑顔があるところ、そのエリアでは天国が成立している。

わたし達ひとりひとりは、自分の中にスパークするエネルギーの部分で、その天国と通じている。

そして、そこに満ちているエネルギーこそが、例えばSUGAくんの笑顔のような、人の心をヒーリングするエネルギーになれる。

そこにある光を、自分を通して発する。

遠くで、近くで、失われた尊いもの、これまでも、これからも、に心を寄せるのには、高等スキルとコンディションがいる。

コツは、ただ、光を、自分の中を通して、それを送ること。

自分の動揺や不安や心痛を送るのではなく、もっと遠くにある、自分が「Heaven」に通じている場所に満ちている光、それを、自分を通して送る。

それが最大で最善だ。

それ以上に本当に自分がすべきことがあるなら、その時はきっと、心じゃなくて勝手に体が動いて教えてくれる。

その力が当たり前に使えるようになるのが必要になるのが、これから先の世界なのかもしれない。だけど、大丈夫!SUGAくんは「夢の終わりにあるのはなんだろうか?」と訊いた。夢の終わりには、現実が天国のように存在していると、ひとりひとりが、その実現に参加していると、わたし達はもう既に知っている。

SUGAくんの笑顔で、わたし達はそのことを簡単に思い出せるからね。


それでは、またね!




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