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夢が叶ったその先。何を原動力にするか。BTS『WINDS』〜『Love Yourself』

3歳からピアノを始め、小学生の時には音大に行きたいと思っていた。自分の意思とは関係なくピアノを始め、家にはグランドピアノがあり、楽譜が揃い、楽器が揃い、それは母親がピアノの先生だったから。

幼少期から自分に与えられた技術。費やした膨大な時間。代償にしたもの。家族の犠牲。大きな費用。子供の頃から続けてきたピアノを、わたしはある段階でもう一度、自分の意思で「選び直した」。

立ち止まって、そのものとの関係をもう一度捉え直す。自分にとってそれは何なのだろう。「選び直し」て、例えば「やめる」ことを考える。それは、これまでかけてきた全ての時間、自分に向けられた全ての期待、全ての犠牲を、捨てるのかどうか?ということを考える。「選び直し」て「続ける」ことを考える。それは、そのために諦めなければならない他の全ての可能性について、それでいいと思えるのか?と考える。わたしは一生このことと向き合い続ける覚悟があるか?そこまで没頭できる魅力を自分はちゃんと感じているか?逃れられないタイプの苦悩を味わい続ける覚悟があるか?才能がなくても、評価されなくても、音楽を愛し、それを続ける自分を愛し続けることができるか?

BTSの 「Save ME」で、MVの最後は「BOY MEETS _ 」という文字が出て、MEETSに続く言葉が出そうで出ない、という演出がされている。そのテキストはアルバム『WINDS』の「Intro: Boy Meets Evil」の曲の直前で「BOY MEETS EVIL」、Evilに出会ったというテキストで回収される。

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わたしは最近『花様年華』『WINDS』『YOU NEVER WALK ALONE 』『Love Yourself』シリーズを聴き返し、そして思ったことがあった。それはこれらのシリーズ、「MVを見ないで、曲と詞だけに専念して聴くと、大分印象が違う」ということだった。わたしはひとつのことを思いついた。『花様年華』には、そこからその後に続く壮大なストーリーが複雑に展開しているが、もちろんそれには大変魅力があるのだが、それはあくまでメンバーたちの書いた歌詞から想起されたファンタジーをシナリオライター達が展開したもので、わたしたちは歌詞と楽曲からのみ、彼らの肉声を聴くことができるのではないか?

『花様年華』では、アイドルとしてデビューする夢が叶い、デビューする以前には知ることのなかった重荷にたじろぐ描写が「鏡」を使って描かれる(このことと比較すると「Butter」の「鏡」が自信を満たす描写に使われているのは感慨深い)。それ以前のシリーズでは「夢を叶えろ」「自分の望む人生を生きろ」と、心からそれを正しいと感じて鼓舞するが、いざ夢が叶ったら、想像を絶する苦痛にごろごろ出会い苦難にじゃばじゃばひっかぶるので、ちっともハッピー、めでたしめでたし、と言える心境でなかったのである、なんと…。save me...。

「Save ME」と「Intro: Boy Meets Evil」を書くことになった動機に、彼らがその曲を書く以前に「Evilと出会う」というイベントがあった、と想像することができる。「鳥肌が立つような人たちも多いし(RM)」。彼らが出会ったものを文字通り「Evil」とする。

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「Spring Day」のMVには、短編作品『オメラスから歩み去る人々』からモチーフを取った、「Omelas」というネオンサインが現れる。犠牲になる子供がいることで秩序が保たれる世界、彼らはその仕組みを管理する存在「Evil」に出会う。その仕組みを知ってなおオメラスに留まるか、それとも歩み去るか、真実を知って彼らは引き裂かれんばかりに葛藤する。『台無しにした、良心を』『現実に引き裂かれ赤くこびり付いた血』。絶望的な苦しさと、呵責、そうとは知らないファンに接する彼らの仕事に嘘が付いてまわり続けること、そしてもうすっかり知ってしまったステージの上でしか満たされない渇望、ステージへの欲、情熱、やっと手にしたアイドルとしての立ち位置。それを天秤にかけ、彼らはオメラスに留まることを選択する。「Lie」「Stigma」、彼らの歌詞の重い叫びをファンタジーだと、オメラスとはファンタジーだと思うだろうか?

オメラスに留まり続けることを決意させたもの、つまりアイドルの仕事に内包される負の要素を知って、それでももう一度アイドルとしてステージに留まることを「選び直した」その動機について、『WINDS』ではそれぞれのソロ曲から読み取ることができる。

「Begin」において、ジョングクは自分の中に、「ヒョン達がステージ上にいる限り、自分は一緒にいる」という気持ちを見つけ、それがアイドルの仕事を選び直させた根源的な動機になった、と読むことができる。
「First Love」ではSUGAが、幼い自分がピアノを通して得た感覚、音楽には闇のなかにあっても消えることのない光があって、その光を信頼している、と言っているように聞こえる。
「Reflection」でRMは、自分が感じる恐怖と葛藤が、自分以外のそれを知らないで過ごしている一般の人々が構築する社会と、リフレクションの関係にあることを知っていて、その経過を見続けることを自分に課しているように見えた。
「MAMA」でJ-HOPEは、ダンスを愛する彼を完全に肯定し続けた、彼のお母さんから受け取った愛が、ステージ上の自分を導くことを全面的に信頼しているように見える。
ジンくんは「Awake」で、6人がステージに立ち続けられるように自分が機能し続けること、それが自分の使命だということに「Wide awake(すっかり目覚めている)」と言っているように見えた。

「選び直す」。改めてもう一度それを続けようと決意する時。自分の中に深く潜って、そのものとの接点をもう一度思い出す。何が、自分の重要などんな部分とつながっているか。それがもたらしているものは何か、思いを巡らせてみる。それを失ったらどうかを、想像してみる。自分を構成している根源的な要素と、選び直そうとしているそれがつながっている時、それを失っては自分は自分らしく生きられないのだと知る。それがそのものをもう一度選ばせる。

選び直させたもの、自分の中のコアな動機、それを失ったら自分じゃないと知っているそれは、ステージに立つ自分の強い支柱になるが、自分をステージの上に縛る、どんなに苦しくても逃げては生きられないことを自分に知らしめるものでもある。自分がステージ以外では自分らしくより良く生きられないのだという事実を受け入れ、覚悟を持った時、彼らを逆風の中でも立ち続けさせるのは、羽ばたかせるのは、自由にするのは、根源的な動機、それを「WINDS」、縛りでもあるが、翼でもある。

「選び直す」ということの重要性を、改めてこのアルバム『WINDS』で思い出し、今回わたしはそのことについて触れたいと思ったのでした。幼少期、自分の意思と関係なく持たされたもの。継がなければならない家業。与えられた進路。一度立ち止まって、「本当に自分はそれを、この先も選び続けるか」と、選択の機会を持てることは重要だったと、自分を振り返って思う。音楽大学の在学中、ある出来事を通していよいよそう思った、周囲の期待を裏切ろうと、誰をがっかりさせようと、主体的に選んでいないものに人生を捧げるのは、あらゆる意味で負荷が大きすぎるのだ。

「夢が叶う」=「毎日幸せ」とは限らないのが、この世の面白くも難しいところである。恋人ができたら幸せな日々だけが続くか。結婚したら幸せな日々だけが訪れるか。夢の職業に付いたら苦しいことが何もないのか。夢が叶った自分は、叶う前の自分とは別の自分だ。知らなかった夢の中身について、知りたくなかった、味わいたくなかったものも知っている。夢に抱いていた憧れをぶっ壊して、現在の自分で再構築し直す。そして選び直すための根源的な理由を見つけ、中心に据えて、共に生きることを、ビジョンを描き直す。一生懸命羽ばたいて、自分の翼は夢を叶えさせてくれた、でも同じ翼ではもうそれ以上飛べなくなって、改めて別の動機を獲得しなければ前に進めない時、けれど新しい翼は、元々の自分が一番最初に持ったあこがれ、それをはっきり成長した頭で獲得し直したものである場合も、きっと多い。

さて。ところで、選んだ、あるいは生業としてとして選び直した仕事について、何からその原動力を得るかという時、それが愛だったら、膨大なパワーを使えるね、というのが『Love Yoursef』シリーズで彼らが新たに発見したものであったようにわたしは感じた。なんで膨大なパワーを使えるのか。この世に存在する全てのものの根源は、愛だからだ。フリーエネルギーみたいに、空気にそこら中に満ちている愛を原動力に使えれば、ほとんど、まるで、無限に、エネルギー源は枯渇しない。

彼らはこのことに目を向けることができたら、大変なカルマを背負ってまで続けるこの仕事の中に、ポジティブに展開できる側面を見出すことができたのだと思う。そして自分たちを通してエネルギーが循環することの、その質と容量を彼らはますます高めた。自分の中だけの動機、自分が持つ翼だけの力で、自分の中だけから生まれる欲で、そのことは実現されなかったと思う。無限にある愛の力を使えることだけが彼らを救い、そのことが希望になり、そこまでたどり着いたことで彼らは自分たちに課せられたものを「運命だった」と受け入れた。

彼らがステージを続ける原動力は何だろう。それは愛だと思う。ステージを準備するパフォーマーが何をモチベーションにしているか。わたしの個人的感覚も含めて説明すると、「お金」や「名声」みたいなものは、きっかけにはなるかもしれないが、クリエイトそのものの動機には届かない。それらは外側から与えられるもので、クリエイションは内側から生まれるエネルギーが中核にないと成立しない。そして、どんなにきつかろうと、苦しかろうと、それを成立させるためにパフォーマーが努力し続けられるのは、自分を見た人に、そのことで何か喜びや、発見や、愛や、希望や、背中を支えてくれるものの感覚を、得て欲しいと願うからだ。そこに存在理由を見出しているからだ。特にBTSのような、もう何も不足するもののない人たちがそれでも努力する時、自分が何のために努力し、時間を費やし、負荷をかけ続けるかといえば、それ以上のものが動機として勝ることはないのじゃないかと思う。

だからこれは個人的な考えだが、例えば有料のオンラインコンサートが、若いファンには価格が高すぎて、見たくても見られなかったという時、そのことが一番辛いのは彼ら自身だったのじゃないか。なぜかといえば、彼らの一番実現したかった、彼らの努力の目的が、その一件、明らかに成立しなかったと分かるからだ。製作費に関して、基本的にパフォーマーは関与しないし、していられない。チケットの価格を決めるのは制作である。有料コンテンツが無料のプラットフォームに出回ることに影響があるのは制作であって、制作とパフォーマーは分けて考えるべきか、とわたしは思う。両者はマインドと優先順位が違う。一人でも多くの人の心に届きたい、そこに自分自身を作品に込めた意味がある。それがパフォーマーの本分だと思う。

もはや今のシステムでは著作権が機能していない時、もしかしたら問題なのは今の著作権のあり方の方なのかもしれないとすら思う。アカシックレコードみたいに、全てがオープンソース可していく過渡期なのじゃないかとすら思ったりする。BTSのコンサートの場合、例えばチケットを極端に言えば無料にして、「必要経費〇〇千万以上でオンラインコンサートが無料開催されます」というボーダーを区切ってクラウドファンディングを募ったら、一瞬で、もしくはそれ以上が、集まるのじゃないだろうか。富豪のARMYだったら一般的なチケット代の×nをファンドしたいと思うかもしれないし、若いファンも可能な範囲で開催に貢献したいと考えるかもしれない。つまり「お金」を豊かさの指針として人々が自身を満たしたり削られたり思うものではなく、感謝や、応援の気持ちが転換されたものとして、表現の手段として、やがては使うこともできるのではないか…彼らの会社や彼らはそれを全く望んでないかもしれないが、もしかしたらパフォーマーの心情には沿っている可能性も無きにしも非ず、と、そんなことを、空想してみたりもした。

仕事の原動力が愛である時、空中にあるものを捕まえて自分の手を使って手渡すようなことをイメージする。そこに無限に存在する限り、エネルギー源を失わない。後ろを振り返らない。戸惑わない。『WINDS』のMV群に登場する「アブラクサス」とは、グノーシス主義における神的存在だそうだ。グノーシス主義、オメラスの構造、地下の子供の救済、檻を破壊する動機が愛であること、虚構、情報、信じる世界。檻から子供がいなくなっても「かつていた」という事実とともに人々は未来を生きる。与えられたシナリオを捨てることが出来るか、そのシナリオがあることで制限されていた分野の思考を解き放ち、新しい別の形の幸福な世界をビジョンすることが、わたしたちに出来るか。

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彼らの楽しそうな、語る姿に、はしゃぐ姿に、美しい写真に、動画に、わたしはすぐに忘れてしまう。「Lie」の歌詞を見ながら、若い彼らの魂が痛みを叫び、恐怖に落ちるのを恐れている様子はあまりに傷ましく、暗がりの中で目を閉じて、震えている若い魂が楽曲の中に真空パックされているのを見て、そばに行って抱きしめてあげられたらいいのにと思った。「Singularity」の氷の冷たさは、楔のように胸に刺さっていつまでも抜けずにそこにある。なのにわたしはその存在を忘れる。また思い出す。忘れても、見ないことにしても、消え去らない清と濁、陰と陽、光と闇、両者が渦巻く渦中にあって、しっかり両足をつけ、自分が選んだ生業で、愛をエネルギーにして、働く。精一杯だよ、よく分かる。どうしてそんなことが可能なの?そんな若者たち。

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隣に不幸に苦しむ人がいて、それは必要悪だと見て見ぬふりをして生きる。そうやって生きる1秒1秒ごとに、小さくカルマを積んでいる。今、手を差し伸べる力が自分にはない時、それでも自分を愛して、無限の愛のエネルギーを循環させることに自分を使う。自分に実現可能な別の側面からカルマを精算していくことが、生きることで、仕事をすることで、そのことが、一文字一文字、ひと文ひと文、刻まれているのが、わたしが見た『Love Yourself』シリーズだった。

彼らがたくさんの笑顔を見せてくれる。
声を上げて笑うのを見ると嬉しいね。
笑顔でいることの直接的な影響力を、彼らを好きでいる人たちはよく知っている。それはカルマに抗う力だ。

笑おう。



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