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薄焼き玉子

ちらし寿司にのせる錦糸玉子を作るため、薄焼き玉子を焼いた。子どもがやりたがった。でも、私だって作りたいので、断った。

薄焼き玉子を焼くのは楽しい。
先読み力と見極め力と判断力を使う具合がちょうど良く、好きだ。

noteに前にも書いたけれど、中学校の時の技術家庭の男の先生に、薄焼き玉子を焼くのがうまいと言われた。私はその先生が好きだった。

中学校時代の私は、バスケ部の副キャプテンで、生徒会をしており、がんばらない人が嫌いだった。同時に、心配症で神経質で、焦ってもいた。

技術家庭の先生は、ある日私に、「お前はおもしろいな」と言った。

私は、初めて私の本質を見つけてくれた人だ!と、嬉しくなって。今まで、がんばり屋とか、すごいとかえらいとか言われてきたけれど、この人はきちんと私のことわかってくれた!と、嬉しくなった。

本質の意味を、私はよくわかっていない。
ものの普遍的な意味みたいなものだろうか。

本質って、もっと動くものの気がする。

例えば、何かの本質を知った時、ああ、これだ、そうだ、そうなんだ、嬉しいな、良かったなと思えること。

それが本質のような気がする。
だから、人によって違うし、時期によって違うんじゃないかなと思ったのでした。

物事によるし、それではまずい場合も多々あるのかな。

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