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20240616 できないことがあっても堂々としていろ

今日は都内でコーチングの講習。自己理解と世界平和のために、現在コーチングを半年間受講している。茨城の実家から最寄り駅まで車で30分、電車で1時間半かけて新宿に向かった。きつい。茨城から都心への用事はかったるい。電車で2時間とかは全然いい。けど、車乗って、そこから電車はめちゃくそダルい。ふざけんな。

移動の話はさておき、コーチングのグループワークでめちゃくちゃ苦手な課題があった。グループワークの相手方は、全員目上の方で、俺よりスキルもある。初受講なんだから、下手くそでもしょうがないと自分で理解しつつも、上手くできないとめちゃくちゃ萎える。あー恥ずかしいー、辞めてー、鉄の雨降れーって思う。

コーチングの講習が終わってから、帰りの受付で他者に対してビクビクしてる自分に気がついた。これは、建築会社で働いてた時に、親方に怒鳴られてたときにしょっちゅう出てた感情に近い。あのときも技術がない状態でゼネコンの解体屋にぶちこまれて、毎日劣等感に苛まれてたなと思い出した。

もしかして俺は、その環境に必要とされている技術がないと認識すると、自信がなくなり無駄にビクビクする癖があるのか?と思った。この仮説が正しいとすると、自分がその環境に適応できる能力があると思うと、少し驕る癖があるかも。まだ仮説だから知らんけどな。

昔、大学で英語学部だったとき、英会話が下手くそ過ぎて、海外の人と話す時に上手く話せなかったこととか思い出す。下手くそでもなぜビビる必要があるんだよ。勝手に上手く話したいと思う自分がいるからだろ。あのときの俺に言ってやりたいけど、いまの納得感はいまにしか訪れないから、言ってもしゃあないけどさ。ちなみに英語学部はバイトできなくてつまんなかったから、転部した。

東京からの帰り道、「いや、技術がなくても堂々としてていいだろ」ってなんとなく思った。仕事ができないだけで存在までは脅かされないだろ。最悪、何回練習してもその技術が習得できなかったとしても「俺には向いてねぇな、へへへ」でいい話だ。全然それでいい。人生の全部が向いてないわけじゃない。極論、呼吸できてりゃいいだろ。

なにかが出来ないと自分の全部が終わった気になるのもまた、物事に白黒つけてしまう癖なのかもしれない。はぁ。どこまで白黒つけて生きてきたんだよ、俺。最近ずっと決めつけと白黒思考の話ばっかりだな。ひとつの敗北感、劣等感から自分の人生の価値を判断するのやめようぜ俺。お前は存在してるだけでお前だよ。気にせず堂々と笑ってろ。

そんな感じの暑い日だった。アイス食ったら腹壊した。

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