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20240620 欲求からする取捨

最近夢を見るようになった。昨日は、大学の講義のようなシーンで、パソコンをひろげて作業していたら「お前はそんなに人生を考える余裕があるのか?」と、突然後ろからガバッとつかみ掛かられて、咄嗟に「うわ!内職バレた!」と思う夢だった。俺のテーブルには、哲学の本が置いてあって、先生は俺のその本を見ながら皮肉で怒ったらしい。変な夢。夢はだいたい変か。ここ3、4年、まともに夢を見なかったから嬉しい。これが今後、俺の人生にどういう意味をもたらすかわからないけどさ。

最近、自分の欲求が見えてきた。いままでも、欲求がなかったわけじゃない。だけど、かっこつけたいとか、真面目に見られたいとか、弱い所を見せたくないとか、些末な欲求が渦巻いて俺を形成してきたように思う。いまはでっかい欲求の幹だけが見える。

どう話したらいいかわからないけど、俺が新卒の会社にいたとき、となりにいた中国人の上司に「自分のスケジュール、自分で決めておかないと、他から仕事振られたときに優先順位決められないでしょ!」ってキツく叱られたときのことを思い出す。先に自分の"どうありたいか"を決めておかないと、取捨選択ができないのだ。仕事でいったら当たり前の話なのかもしれないけど、人生の深いところでも同じな気がする。だから、このシーンを何度も思い出す。

自分の好きな服が明確にわかるようになって、ショッピングモールで余計な衝動買いをしなくなった。これも欲求が見えてきたからできる、取捨選択だと思う。自分の欲求や大事にしたいものを土台に選ぶ。これができなかったら、いつまでたっても、お得感や、セールに流されていらないものを買ってしまっていた。

話が踊り場にいってから、ぐるぐるしちゃった。つまり、言いたいのはそういうこと。いまは俺の人生のぶっとい幹が見えてきているんだよ。その中心に沿うように、人生のあらゆるものの優先順位が決まっていっていってる。人間関係や、大事なタスク、環境から、読むべき本。色んなものがシャキーンって、俺の欲しい順番に整列しだしているようなそんな感覚。まだリハビリ中だから、なんとなく見えてきているってだけだけど。

いままで自分の欲求をもとに、人間関係も決まるって言うと、ひとを利用している感じがしてなんか嫌だった。けど、この申し訳なさって、ビビってるだけだと思う。「欲望のために人を利用していい」みたいな残酷なことが言いたい訳じゃなく、自分の欲求がわからないと、その人たちと上手く付き合えないって感じ。昔の俺だったら、この文章がドライに感じて、嫌悪感を抱いていたかも。けど、極論をいうと申し訳なさって自分の欲求を通すために1ミリもいらない。まじでいらないんだよ。申し訳を外面的に出したとして、どう見られたいのさ?

俺の周りの人間は、意図的なのか、意図してないのかわからないけど、自分の欲求に素直に生きている。自分の欲求に素直だと、他人に求めることができる。欲求が見えてなかった俺からすると、彼らは圧が強い。俺は結構まわりに求められるたびに「面倒くせぇな」とか、「お前ばっかり求めてくるな」とかそういう反発を心の中で繰り返した。たまに応えて、たまに反発する。そんな感じで、誰かの欲求の後手にまわってきたんだよ。

けど、俺の欲求がみえた今は、他人の欲求も受け取るか受け取らないか選択できる。自分に必要な要求なら受け取る。必要ないなら断る。なりたい自分っていうものが見えたら、俺が"優しさ"だと思ってた無駄な外殻は削ぎ落とされたんだ。優しく思われたいっていう他人依存の欲求なんて、無駄なだけだよ。いまはそう思う。

誰かの期待に応え続ける自分なんて窮屈でつまらないでしょ。いまは「そうなりたくない」っていう自己像が見えるから、適度に他者の欲求と付き合える。気がする。こうなりたいと、こうなりたくないは表裏一体。ただ、好きな人の欲求には応えたい。それも自分の欲求が見えているからこそ。

でも、たぶん欲求が整理されすぎたら、それがバイアスになって、自分が見たいものしか見えなくなるかもしれない。それは嫌だ。なるべく世界をありのまま見た上で、この幹に肉付けをしていきたい。優しく思われたいわけじゃないけど、自分の中で思う愛は持っていたいから。

1週間以上長引いた風邪が治ろうとしている。いまはもうほとんど咳もでないし、鼻水もでない。長かったな。今朝二度寝した時に見た夢は、姉貴の友達が実家に遊びにきて、姉貴がいないからということで俺の部屋に上がり込んでくる夢。俺の友達も来ていたので6人くらいで俺の部屋のカーペットに寝転んでいた。夢の中では「なんだこの光景、おもろ」って思った。朝起きて「帰れ」って言ったら、どうなってたんだろうなとふと思う。夢の中で欲求はどうでてくるんだろう。

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