自分で伝える、やってよし。
読まれない文章を書く
議事メモ、報告書を書いたって読んでくれないものです。こちらもそれを前提にレビュー依頼をかけていて、小さなミスでも指摘されたりすると、イラっとするくらいです。急ぎといわれて稟議書に添付するためだけの誰も読まない報告書。そういう仕事が続いています。
かけない理由
私は質にこだわりたい、紙(アウトプット)の隅々までこだわりたいタイプです。長い間、こだわって書いてきたんです。それでも最近落ち込むというより、焦っています。こだわりをもって書こうとすると、そのレベルまで書き進められない、書き進めようとすると異常に時間がかかるようになってきました。そして些細なミスが(気づかれていないけど)増えました。特に顕著なのは、目的設定です。「なんのために」が定められない。ピントを合わせられない。なぜ?読まれない添付が目的の稟議書を書き続けたから?それともどうせ声の大きい人にひっくり返されるストレス?
違う。
お前はだめだって言われていると感じ続けたから。
やってよし。
会社の紙だって読まれてないじゃん、下手だから書くべきじゃないじゃん。もっとうまくなってから。もっと読まれるようになってから。もっとうまくなるって、いつ?いつだよ?
いつまでたっても、そんなときはきませんでした。
ある人が「書けると思うんですよ」ということばで、私を肯定し、軽く背中をポンと、押してくれました。それはそれは、優しく。
そうしたら、私が、私に、
書いてよし。
私を整理するために、書いてよし。
考えるために書いてよし。
やってよし。
って伝えてきました。
私は、私を誰かに、それから私自身に肯定されたかったんです。
皆さんはどんなきっかけで書き始めましたか?
ありがとう
大事な友達も、「書けると思うよ、書いたら読みたいなー」って言ってくれたことを、忘れていません。それも、大事な一歩でした。
心からのありがとうを伝えたいです。
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