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『七人の侍』観ました。

凡例のようなもの

 以下の感想は視聴当時(2020年6月16日)にふせったー(指定した箇所を伏せ字にしてツイート出来るツール。追加で長文も付けることが出来る)を使用してツイートしたものです。省略した句読点の追加や、語句の統一程度の推敲はしましたが、ほぼそのまま掲載しています。
 全体的にネタバレや、感想を読む方が視聴していることを前提とした内容です。まだ未視聴の方は、その点をご留意ください。

概要

 戦国の世を、人々が泥まみれになってでも生き抜く様を描いた作品だと思います。
 中でも菊千代の生き汚さは群を抜いていました。百姓の生まれゆえに、百姓が落ち武者狩りを行っていたのを見ても驚かず、逆に百姓のずる賢さを露わにして見せました。そして侍達に認めて貰いたいがために手柄を急いでいた様子は、最早侍でも百姓でもなく、敵である野伏にも似ていました。
 しかし岡本勝四郎の青春が、この世の希望を見せてくれます。彼が家を飛び出して初めて見た山の自然、村娘との交流は、ストーリーに清涼感を与えてくれます。
 侍達の中でも時局を冷静に見極めていたのは、島田勘兵衛でしょう。彼は軍事に長けているだけではなく、勝四郎の良き師、侍達の中心人物として、リーダーシップを発揮していました。その一方で、最早侍として戦場で死ぬことも、名を挙げて一国一城の主となることも叶わないことから、生きることを斜に構えて見ている感じもしました。
 他にも様々な百姓や侍達が登場し、それぞれに見せ場があるので、群像劇のようにも思えました。人々の生き様を、百姓と野伏が争う村に凝縮して見せており、決して飽きさせないストーリーが素晴らしかったです。

前半

 野伏に襲われることを恐れた百姓が、長老の提案を受けて侍を雇い入れることを決断。町に出て浪人を探します。
 この時既に、村の意見は様々に分かれていました。長老が主張する、野伏に遭って生き残るためには侍を雇い入れるしかないと考える者、所詮は百姓なので「長いものには巻かれろ」で諦める者。更には自分達が自滅覚悟で立ち向かうしかないと考える者まで出ました。村の中ですら一枚岩では無かったのは驚きです。
 しかし、いざ侍を探す番になっても、なかなか引き受けてくれる侍は見つからず、「良い種は分かっても、良い侍は分からない」と探しあぐねていたところ、通りがかった小屋に浪人が子供を人質に立て籠もっているのを知ります。そこへ島田勘兵衛という浪人が助けに入り、僧に化けた勘兵衛が見事に立て籠もった浪人を倒し、人質になっていた子供を救い出します。
 島田勘兵衛は随分考えが回るらしく、救出の際には通りすがりの僧に自分を剃髪するよう頼み、袈裟も借り受けています。そうして自分を坊主の身だと偽り、立て籠もる浪人の前にも難なく出ました。
 百姓達はそんな島田勘兵衛に目を付け、村を助けて欲しいと懇願します。勘兵衛は村の地理について説明されると、軍事的観点から村を守るのは七人がかりでないと無理だと判断し、一度は断ろうとします。しかし、そこに居合わせた人足の言葉もあり、村を守ることを引き受け、更に不足分の侍の選別をも行うことを引き受けたのでした。
 その侍達の中でも一際個性が光っていたのは菊千代だと思います。彼は島田勘兵衛に弟子入りしようと付いてきていたのですが、どう話し掛けて良いか分からず、いよいよ侍は最後の一人だという段階になって、しかも泥酔したままやって来たのでした。しかも、どうもどこの馬の骨かも自分でも分からないようでした。菊千代が差し出した家系図での菊千代は齢13歳だったのです。
 それは菊千代の元々の出自が影響していました。彼は百姓の出だったのです。それが分かったのは、村には落ち武者狩りで得た侍達の装備が溜め込まれていたのが分かった時のこと。侍達は装備が自分達の前に投げ出されるや否や、不快感を露わにし、「俺はあの百姓を斬りたくなった」と言い出す者まで出ます。その侍達に、菊千代は「自分達が守るのが仏様だと思ったか?」と言い放ちます。更に菊千代は、百姓達が領主に年貢として納めるはずの白米を隠して溜め込んでいること、床下や納屋の隅にはそれらの白米や酒が隠してあること、百姓がどんなに生き汚くてずる賢いかを、具体的に説明するのです。
 侍達は当初、たかが百姓と見下し、自分達の身分についての誇りを口にしてやみませんでしたが、いざ侍達も百姓に喰い物にされている現実、女と見れば手を付けるであろうことを気にし、汚い者と見られていることを、この時まざまざと感じたのだと思います。菊千代も、この1件で侍達と寝床を共にするのを拒み、家主が寝ている厩に赴いて眠るようになります。
 村の外れにある3軒の家を引き払うよう、勘兵衛が村人達に頼んだ時も反発の声が出ました。この時初めて、勘兵衛が抜刀し、反発する村人達を半ば脅すようにして喝を入れたのが迫力がありました。侍達と村人達、雇われた側と雇った側、暴力手段を持つ者と持たない者、更には食う者と食われる者と、相反する人々ですが、一体とならなければ村は守れないことがはっきりと分かりました。

後半

 いよいよ麦の刈り取りなど、防備を固める準備が始まりました。実際に物見のためにやって来た野伏を発見したりなど、戦いの時が近づいていました。
 そんな中でも、岡本勝四郎は男装させられた村娘シノと出会い、恋をするなど、山や村で様々な体験を重ねていました。彼の青春は、殺伐としたストーリーの中で、泥に塗れない輝く宝石のようです。
 一方で、菊千代はただ一人、落ち着きが無く、血気盛んに手柄を求めていました。彼の出自がそうさせるのか、村人達や侍達の前で落馬するなどして馬鹿にされるのが嫌で、侍として認められたいのか、戦いの中にあっても持ち場を離れて敵を襲撃するのが目立ちました。中でも敵に紛れ込み、仲間のふりをして会話までこなし、種子島銃を横取りしてきたのには驚きました。しかしそんな働き方が、逆に島田勘兵衛の怒りに触れたりもしています。菊千代の働きは、侍でも百姓でもなく、最早野伏のそれに似ていると思います。
 それに比較して語られたのは、久蔵の働きです。物静かで、危険な場所へ進んで任務に赴き、粛々と対応するストイックさは、勝四郎をも引きつけていました。勝四郎は彼を尊敬し、菊千代の前でその気持を滔々と語ったのが印象的です。
 しかし、戦いの中で次々に仲間を失っていくのが、侍達に心境の変化を与えます。
 中でも2回目の戦いの際、自分が手柄を急いで持ち場を離れたせいで部下が命を落としてしまった菊千代は、決戦前夜は別人のようになってしまいました。勘兵衛に酒を与えられて、壺ごと一気飲みする様は、菊千代のやりきれない気持ちをよく表していたと思います。最終局面で種子島銃で攻撃を受けた際の鬼神の如き反撃は筆舌に尽くし難いものがあります。
 また、勝四郎は野伏を自分の一撃で殺した時の反応が印象的です。彼は相手を背中から一突きにした後、その場にへたり込んでしまいました。その後勘兵衛の一声で我に返りますが、勝四郎が初めて命を奪ったことを強く感じさせられました。そして何より、尊敬してやまない久蔵を目の前で失った時の号泣は、戦闘要員らしさを感じさせないものでした。彼は侍達の中でも一番、命の尊さを忘れていなかったと思います。
 最後、侍達の中でも生き残った内の一人である勘兵衛は、「また生き残ってしまったな」「また負け戦だった」と独り言ちます。侍として、夢も望みも叶えられず、戦で死ぬことも出来なかったことを、不幸として感じている気がしました。

まとめ

 この話は身分差別を中心に社会問題を浮き彫りにし、個人の野望や夢、青春や生きる辛さをも描ききっていると思いました。登場する侍達は、落城を経験し、功名を思う通りに立てられず、歴史に名を残せないまま消えていく存在です。逆に百姓達は名を残せないことは当たり前、しかし野伏という脅威から解放され、農業に勤しみながら明るく生きていけるのです。そこに個人と集団の対比が表れていると思いました。
 そう考えると、現代に生きるわたしとしては、侍のほうに共感してしまいます。現代っ子のわたしは、学生だった頃には夢を抱いて社会に出ていくことを望んだけど、今社会人としては夢なんてどうでも良く、働いて食い扶持を稼げれば万々歳です。しかし、一方で未だに夢というものを捨てきれないでいます。
 『七人の侍』はそういうものを描いた、けれど面白く、スペクタクルな映画だと思いました。

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