『デカメロン』読書メモ 第6日目

6日目のテーマは「冷やかされても言い返し、すばやい返事や判断で、危険や身の破滅や世間の嘲笑を躱しおおせた人々について」。波乱万丈の物語というテーマじゃないので、どの話も短い。
第9話、第10話を読むと、破戒僧とか生臭坊主とか教会の腐敗を批判するというより、キリスト教の信仰自体を虚仮にしているかんじがする。あらためて、『デカメロン』がどういう風に読まれてたのか気になってくる。他のインモラルな話もそうだけど、『デカメロン』はどれくらいの「猛毒」だったのか。人に読んでるのを絶対に知られないようにこっそりと読まれてたのかもと想像すると、収録されてる話の「おもしろさ」も違ってくる。でも、どの話も元ネタがあるらしいから、庶民の間では信仰や貴族たちの横暴とかネタにされてたんだろうな。とはいえ、ルターとか宗教改革運動が出てくるのは16世紀で、14世紀のイタリアでは、キリスト教の教えをいくら馬鹿にしてても教会側は脅威とは思ってなかったのかも。

第1話:話が壊滅的に下手な騎士に、女性が遠回しに指摘する

第2話:パン屋の男が、身分の高い人たちに酒を振舞いたいけど自分から誘うわけにはいかず、向こうのほうから来てもらうように工夫。その酒が気に入ってもらいにきた家来に対して、家来にはわからないけど主人にだけわかるような言葉を使って追い返す。落語の「青菜」みたいな。

第3話:女たらしの男にからかわれた女性が、ぐさりとくる一言で男を黙らせる。

第4話:主人から狩った鶴を料理するようにいわれた男が、腿を1本女にあげてしまい、主人にとがめられて「鶴というのはもともと1本脚です」といいわけするが当然通用しない。実物の鶴を見に行こう、2本脚だったらわかってるだろうなと追いつめられるが、機転を利かせた答えで主人を笑わせて難を逃れる。

第5話:天才画家のジョットと優れた法律家のフォレーゼ、見た目は醜男な二人の会話。一人がもう一方をやりこめるというより当意即妙の答え。

第6話:実在するバロンチ家の人間について、神までもちだしたレトリックを使ってとにかくどれほど不細工か、笑いものにする。

第7話:浮気現場を押さえられた妻が、火あぶりの刑に処されることになる。裁判で妻は言い逃れせずに堂々と「夫の要求に応えなかったことはない。そのうえで自分の欲求がまだ満たされなければ、それを我慢するべきか?」と訴えて認められ、火あぶりになる法律も改められる。

第8話:まわりの人間を見下さずにはおれない高慢な女性に皮肉をいうが、通じない。

第9話:自分たちの仲間になろうとしない哲学者のグイドを取り囲んで、からかおうとした男たちが一言でやりこめられる話。グイドは神の不在証明を研究してるんじゃないかと噂されているような人物だけど、この話だと好意的に描かれている。

第10話:修道士がいんちきな聖遺物を見せて寄付を募ろうとする。聖遺物をいたずらで炭とすりかえられても見事に機転を利かせて寄付を集める話。修道士の下男のダメっぷりや不潔さを誇張して並べ立てるくだりとか、でたらめな地名を並べ立てるところとか、落語っぽい。結局、修道士もいたずらした男たちも、話のなかで罰せられることはないわけで、宗教界の腐敗を批判するというより信仰自体を馬鹿にしているかんじがする。


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