いいねの世界

 電子マネーやスマホでの決済が浸透しキャッシュレスが進んだ結果、世の中から硬貨がなくなってはや数年。造幣局は、<いいね局>になり国民の撮った写真に『いいね』を量産する仕事に変わった。これまで年間数百億円鋳造していたコインに替り、局員が日々国民の行動をSNSで監視し、これは!というのものに『いいね』を付けるのだ。このいいねが1つで1円の価値がある。これはそのまま電子マネーとして使える。だからいいね局の局員は裁判官よりもモラルが問われる超エリート職業なのだ。

 やっている仕事は、日がな一日ネットを歩きまわり、『いいね』ボタンを押すだけだ。一日のノルマは1000いいね。コインのような重さはないが局員の指から1000円が鋳造された計算になる。1000人ほどの職員がいるのでおよそ100万円が一日で作られるのだ。銅やアルミニウムなどの製造コストは不要になった。
 なるべく都会から離れた、地方のマイナーなよいもの、よい人を発掘することを理念としている。ゆきすぎた都市一極化から脱却し、少しでも地方創世に貢献するためである。職員の発見した『いいね』が局内で評価されると昇格し、『1いいね』が10倍の10円の価値がある『10いいね』ボタンを押すことのできるの10円課長になれる。がその分責任は重くなる。もっと偉くなれば100円部長、1000円専務というポストにつくこともできる。

 このお金を生み出す写真アプリは、偽アカウントや不正を防止するため、国民にはマイナンバーでの本人確認を介して本名での登録を義務としている。一部の芸能人など芸名が広く浸透している場合のみ仮名での登録が許可されている。年齢制限はない。また取得した金銭に対する所得税などはかからない。そのためサービススタートした3日で1000万ダウンロードされ、1ヶ月で全国民の90%が登録した。
 アプリの仕組みとしては単純なもので、写真を撮り投稿し20文字以内のタイトルを付けることができる。アプリを登録した全国民が自由に閲覧できる。

 数カ月後、国民の強い要請により国民同士で『いいね』ボタンを押し合うことができるように、アプリがバージョンアップされた。これまでは<いいね局>の局員が、つまりは税金を使ってバーチャル貨幣を製造していたのに対して、国民が自分の懐のお金を使い、相手に『いいね』でお金を渡すことができるようになったのだ。
 また交通系電子マネーと連動させることができ、子供からお年寄りまで街中で気軽に入金できる(貨幣は廃止されたが紙幣はまだ広く使われている)というのもアプリが広く国民に浸透している理由だ。

 男は定食屋に入ってランチのセットを頼む。現代は食べる前のいただきますの習慣の替わりにスマホで写真の撮影するのが作法である。いかに美味しそうに見えるように撮るか?を考えて光の角度や方向を変えながらお盆を回したり窓際の空いた席に移動したりという行動をする客が増えた。レフ板や光源を持ち込んで複数人で協力して撮影する姿もある。
 ランチを提供する店側としては、他の客に迷惑がかからなければまあよい。男はとにかく撮影が命なので食事が始まるまでに時間がかかる。必然と食べ終わるのも時間がかかり席の回転がよくないのだがまあそれも仕方のない事だ。店の主人も男が来店したらいつもより盛り付けにこだわる。より立体的に盛り、より美味しく見えるように。今日もなんとかランチの写真が500いいね(=500円)を達成して定食の値段に届いたらしい。
 満足顔で食べ始める男は本当に幸せそうだ。食べ終わるとレジでそのままスマホをピッかざして会計する。男のスマホから500円が引かれ、店に500円が入金される。なんとも便利な時代になったものだ。
 アプリのおかげで世の中の潜在的ニートが多く外に繰り出して経済活動(?)を後押ししている。男の写真のおかげでこの店も少し賑やかになって助かっている。

 中高生の間では、『うちのクラスのかわいい子』というタイトルで潜在的な美少女たちの写真が多く撮られた。女の子グループの中でメイクしあってお互いを撮り合うのだ。その辺のアイドルグループよりもかわいい子たちがネットの中でゾクゾクと登場してきた。アプリで撮る写真の枚数に制限はないのでクラスのみんなが休み時間のたびに同じ女の子(クラスで一番の美少女)を撮影しまくった。よりかわいく美しく撮影することができればその写真は多くのいいねをもらうことができ、つまりは稼げるのだ。

 タケシのクラスにもワカコという超絶美人がいる。多くの女の子は友人でもない人たちに無断で撮られることを嫌うのだがワカコは気にしない。本人にも自分が隙のない完璧なかわいさがあると自信があるのだろう。寝顔、横顔、上目遣い、どんな角度でどう撮ってもワカコはかわいい。1枚写すだけで100いいねは必ずもらえる。
 そうするとタケシはだんだんとワカコのきわどい写真が撮りたくなる。階段を昇り降りする時はもちろん下から追いかけるし、体育の授業前に更衣室のドアのスキマから盗撮したりもする。裸の胸や局部が写りこんでいる場合、他者からの通報によりアカウント削除・凍結されることもあるが、下着や水着はセーフとされている。ワカコもそれがわかっていて見られてもいい下着をつけていたりする。サービスにパンティの色を毎日変えてくれている。昨日は黒だが今日は赤だ。10代の女の子の下着はみんな純白なんて幻想を抱いていたタケシにはあまりに刺激的すぎた。
 タケシは自分の好意と行動を正当化するかのように、ワカコの自撮りの写真にいいねをしまくった。稼いだ金額のほぼ全額をワカコに貢いでいるといってもいい。この時代は『好き』という気持ちが『いいね』で数値化でき、アピールできるのだ。ワカコもそのお金でさらにオシャレに磨きをかけ美しくなっていった。

 『いいね』は必ずしも良いものにつくとは限らない。例えば有名人の不倫現場のスクープ写真だ。これにはたいてい数万いいねがつくのでパパラッチとして話題の人物を追いかけまわすのを仕事としている者もいる。
 さらには自分で殺人未遂などの犯罪スレスレの行為をし写真に撮りいいねを集める者までいる。局員も日々取り締まってはいるのだが、1日に投稿される写真の数は数億枚もあり、投稿者は稼いだ瞬間に投稿した写真を削除するので証拠が残らない。ので黙認されている。

 選挙もアプリで行われた。街中に掲示される立候補者の替わりにアプリ内に写真が並ぶ。投票に足を運ばなくて良いので国民の投票率は95%を越えた。期間内にいいねを1回押し、その票数がリアルタイムで表示されるので誰が優勢が一目でわかる。さらに1度だけいいねを取り消して他の候補者へ鞍替えすることもできるシステムとなっていて、最終日の逆転当選など物語が生まれ、エンターテイメントとしても大いに盛り上がり大成功であった。もらったいいねはそのまま政治資金として使用できるというメリットもあった。

 ボクが旅行代理店の添乗員になったのは会社のお金で世界の各地に行けるからだ。最近の日本の若者たちは決められたツアーではなく現地ではフリー行動がいいという派が多く、飛行機のチケットと宿だけ予約するというスタイルが主流だ。必然とボクの先導する相手は定年を過ぎた老人たちのグループが多くなる。それはまだいいのだけど、特に今年に入ってから中国人の団体客の日本国内ツアーを任されることが多くなった。浅草・渋谷を周り夜は新宿や六本木の夜景を見ながら日本食ディナー。最後の日は秋葉原で買い物というのがお決まりのパターンだ。
 はっきり言うと、日本に旅行に来る中国人はものかなりのお金持ちである。がチップをくれる習慣はない。マナーが悪いとか声がうるさいとかいう噂を聞くけど国内に莫大なお金を落としてくれる上得意様だから邪険にもできない。そのため仕事で外国に行ったのは今年はまだイタリアに1回だけだ。異国へいくたびにスマホで写真を撮る。それを投稿すると少しではあるがいいねが付く。それが楽しみの一つだ。世界遺産や遺跡と風景、現地料理やオシャレな外国人など色々なものを撮ったのだけどいいねを一番多くもらったのは何気ない路地の猫だったりする。

 ガイドブックに書いてあるような観光名所の撮影はやはりプロにはかなわない。ネットで検索すればいくらでも上手で綺麗な写真が出てくる。素人は素人にしか撮ることのできない自分だけの写真を撮っていればよいのだ。
 その時、路地の隙間から少年が飛び出してきてぶつかった。肩を痛そうにしている。大丈夫かと声をかけるともう一人の少年が襲いかかってきてポケットのスマホを奪われた。その後、警察の協力でスマホは戻ってきたのだが戻ってくるのは稀らしい。逃げている間に彼らが撮った写真が何十枚もあった。たまたまカメラモードだったので狙って撮ったというよりは誤操作でボタンを押してしまったという感じだった。ボケているものもあるが、普段は撮らないような角度で建物や人が写っていたりと割と趣がある。そのうちの何枚かを投稿し帰国した。
 忘れた頃にそれらを見返すとそれぞれ約100いいねほどが付けられていた。ボクが構図や場所を考えて撮った写真と子供たちが雑に撮った写真。評価されているのは後者だ。
 良く見せよう、きれいに写そうという意識のない純真な子供の心の写真。いいねをもらおうと思わない無欲――。

 その閃きを試してみたくなり、お盆の田舎の親戚の集まりの時に姪っ子にスマホを渡し好きなように写真を撮ってもらった。川や花や電柱や虫。どれもボクには撮れない、しかし傍目には下手くそにしか見えない写真だ。全て投稿してみたが特別に反応は多くなかった。子供が撮ったというだけでは駄目なのだ。日本人ではなく外国人の子供が撮れば…。
 その行動を形にするためボクは仕事を休み1ヶ月インドを周った。現地で中古のスマホを何台も購入し(盗まれたり壊れたりしてもいいように安全のため)子供に配って写真を自由に撮らせる。そのデータを自分のスマホに転送し写真を投稿しまくる。1ヶ月で1万枚以上の写真が貯まり、それに対するいいねの数は合計で10万を越えた。これは金になると確信した。
 ネットに詳しい友人に協力してもらい、各国でプリペイド型SIMカードを挿した中古スマホを子供たちに配った。そこで撮られた写真はリアルタイムで日本国内にいるボクの自宅のサーバに保存される。仕事や休暇で海外に行くたびにその国にスマホを置いてきたので今や何百人という子たちから毎日何千枚もの写真が送られてくる。それを投稿するたびに多くのいいねが付いた。
 後ろめたさもあった。何よりを写真を撮っているのがボク本人ではなく他人であるからだ。本来稼ぐべきなのはあの子供たちのハズだ。

 今やいいねの世界でトップクラスの地位にあるボクは、<いいね局>に投資し国内限定だったアプリを各国語に翻訳し世界中で利用できるものにアップデートしてもらうよう要請した。やがて世界中にアプリは配信されダウンロードされた。

 今でも心に残っているのはあのイタリアの少年たちだ。親もなく仕事もなく盗みをすることでしか生きていけない子供たち。そんな子たちがこのアプリで稼いで、せめてその日の食事代だけでも得ることができたらどんなにいいだろう。

 今日もボクはそんな彼らの写真にいいねを押す。


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