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タコ・カエル・ひとりの休日

「久しぶりだねいつ以来?」
ううん、今年の2月くらいじゃないかな?
「確認してみる…いや去年の10月だよ。」
え、そんなに。びっくり。時間の感覚がまるで狂ってる。
「二人目生まれたんだよ。目がおっきくて、イケメンでさ、我が子なのに見つめられると照れるんだよ…」

………
カフェに入って本を開いた。
一番後ろに指を差し込み、あとこれだけ…と残りページを指で測る。
ああ、まだこんなに。無理だよこんな。
本を最後まで読みきれたことなど、ほとんどない。

単語が踊る、文字がすべる、眉間にシワが寄る。
これはいい本だ、もうわかるもん、途中から読んでもいい本だから。

「ううううううう、うっポン。」
「さっきまで歯があった穴からいろんな色のビーズがあふれ出した。それはものすごい量で、みるみるうちにヒザまできた。このままではピラミッドはビーズで埋めつくされてしまいそうで…」

子どもの頃、大量が怖かった。
大量の水、大量の砂、大量の人間、地球が埋まる。大量恐怖症。

おおっ
やった、涙だ。くるぞ、ぼろんぼろん出てきた。泣いてるわたし。久しぶりに涙が出た。感動してる。すばらしい本だ。
正直に言うと、このまま読んでたら泣けそうだという前兆があったのだ。だから文字を追いつづけたら、思い通りに泣けた。

内容はだいたいわかった。
全部読んでないけど。

立ち上がりついでにトイレへ向かう。
ひとつしかないトイレは赤だった。
少し待つと、出てきたのは長いパーマのおばさん。

「すみません…」恥ずかしそうに頭を下げてきたが、なに問題ない。トイレでやることはひとつじゃないか。いや二つか。三つかもしれない。まあいい、そんなに謝ってくれるな。目的は皆一緒だ。

出したいと思わなくても、座ったら勝手に出た。
便利なもんだ。立ち歩く理由になった。

ああ、歩きたい歩きたいな。窓の外は雨になっていた。こんなに降るなんて。間違いなく濡れるな。もう少し待とうかな。いいや歩いて帰ろう。わたしは今すぐ歩きたいのだ。

すでに傘をさしていた。
乗ってきた自転車が雨に打たれている。
そのうち迎えに来るからね。

重苦しい雲と、不自然に明るい紫外線。
気分が塞ぐ。ずんずん歩く。
ふと自分が真顔になっていることに気づく。
人生初の、完璧な真顔じゃないか。真顔ってこうやるんだ、覚えておこう。
大抵わたしは笑っているらしい。考え事をしているときの顔が笑顔でも悪いことはないだろう。怒ってるよりいい。

鞄を守っていたから、左の肩がビショビショだった。
折り畳み傘では立ち向かえないほどの嵐。

図書館の横の駐輪場へ逃げ込む。座ってボンヤリしていると、痒い。左腕の、ハンコ注射の跡がプクッと腫れている。蚊に喰われたようだ。食べられる側だ。

「お姉さん。もう、電気を消すので、暗くなりますから。あちらの方がまだ明るいですよ。」
顔を上げると警備員さんがいた。
不審がっていない、心配してくれている。そういう声と、覗き込む眼差し。

そっか、わたし女なのか。

そういえば昔、雨の歌舞伎町を歩いていたら、警察官に「気をつけてくださいね」と言われた。若い女なら沢山いるのに。わたしはこの街で浮いているのだと思った。

「ここは、気持ちの悪い部屋よ」
ラブホの受付のおばさんが、SM部屋を避けるようにわたしに言った。そんなおぼこい見た目してるのかな。

迷い込んだつもりはない、目指して来たんだけど。当時は心外だった。女扱いされてないみたいで。

なんの話だっけ、今は、ううん、とにかく道端に座り込みたい。歩き疲れたら、寝っ転がってぼんやりしていたい。
でもなぜか見つかってしまうんだよなあ。


涼しい空気と白色灯の光。わたしはスーパーに入っていた。
回遊魚のようにフロアを巡り、冷蔵のデザートに素早く視線を走らせる。ミルフィーユ、モンブランプリン、ショートケーキ、コーヒーゼリー、目新しいものは特になし。ヨーグルトには目もくれてやらなかった。

結局、タコの脚と納豆を買った。レジ袋も買った。3円か5円。
自動ドアを出ると、雨足は弱まっていた。

ソファに座って、無心でタコを噛んでいる。水分がジュッと出てくる。出汁なら旨いがただの水分だ。そっか。茹でてあるのか。これは茹でダコなのか。

噛みちぎろうにもグニグニで、あれよあれよと喉に降りていく。苦しい、意思に反して嚥下されていく脚を慌てて手で引っ張り出す。

雑に噛まれたタコの脚…おまえに殺されるところだったぞ。再び口にいれて今度は上手に飲み込んだ。

また歩きたくなってくる。
靴下を履いて外へ飛び出し、濡れたアスファルトを早足ですべるように移動する。
視界の端にカエル。足を止めてしばらく見つめる。石のようにジッとしているようで、よく見るとヒクヒクと喉を動かしている。
雨上がりは、棲み分けの境界がぼやけるみたい。なめくじ。そういえば、道の真ん中を堂々と歩行するザリガニに会ったこともある。

なんだか泣きたくなってきた。
好きな人にカエルの写真を送る。すぐに既読になった。

こんな遅い時間にまた出歩いてるの。危ないよ。

危ないよ、だって!嬉しい。血圧が上がる。口角も上がる。たぶん歯も出てた。笑顔。
時計は0時を回っていた。イヤホンの充電が切れてしまう、今日は一周で帰宅しよう。

鼻の奥に、煙草の香りを思い出す。

ああ〜〜もうだめだ
a、b、cdef…死!!??!?

汗でベタベタだったので、帰ってすぐにシャワーを浴びた。浴びたくて浴びるのが夏。

気づいたら布団で眠っていた。

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