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レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』

近所のインドカレー屋でナンを2枚食べた後、隣の図書館へ行った。子どもの本コーナーをうろうろしていたら、結構面白そうな本がたくさんあった。

今日借りた本

『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン、『不思議の国のトムキンス』ジョージ・ガモフ、『妻を帽子と間違えた男』オリバー・サックス


『センス・オブ・ワンダー』は、『沈黙の春』の作者、レイチェル・カーソンの遺作。
完成しないまま亡くなってしまったこともあってとても薄い本。
養子のロジャーと一緒に海辺や森を探検した経験をもとに書かれている。

テーマは、
「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」について。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかけるなら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

ちゃんと一人でいるにはこれだよなあ、知ってるよ〜という感じだけど、この本が特別、読んでグッとくるのは、レイチェルがもうすぐ亡くなってしまうときに書いた本だからだ。

『沈黙の春』の執筆中から癌を患っていた彼女は、自分の死を予感していたはず。

5歳のとき母親を失ったロジャーを引き取り、今度は自分が今度は死んでしまうかもしれない、というとき
自分が生きてる間に子どもへ残せるもの
自分が死んだ後、子どもを守ってくれるもの

のことを、よーくよーく知っていたはずだ。

このようにして、毎年、毎年、幼い心に焼き付けられてゆくすばらしい光景の記憶は、彼が失った睡眠時間をおぎなってあまりあるはるかにたいせつな影響を、彼の人間性に、あたえているはずだとわたしたちは感じていました。
それが正しかったことを、去年の夏、ここでむかえた満月の夜に、ロジャーは自分の言葉で伝えてくれました。わたしのひざの上にだっこされて、じっと静かに月や海面、そして夜空をながめながら、ロジャーはそっとささやいたのです。「ここにきてよかった」

実際、訳者がロジャーに会いに行くと、レイチェルについて、「小さかったのであまり覚えていない」と語ったらしい。
レイチェルは、そのことも予測していたんじゃないかな?隣にいた人のことを忘れてしまっても、身体に残る思い出のこと。自分の感覚で思い出すこと。ちゃんと素晴らしいギフトを仕込んでくれている。

視覚だけでなく、その他の感覚も発見とよろこびへ通ずる道になることは、においや音がわすれられない思い出として心にきざみこまれることからもわかります。
…やがてロジャーが大人になり、長いあいだ海からはなれていてひさしぶりに海辺に帰ってくるようなことがあったなら、海のにおいを大きく吸い込んだとたんに、楽しかった思い出がほとばしるようによみがえってくるのではないでしょうか。かつてわたしがそうだったように。

ロジャーのこととは別に、レイチェル自身は、
自分自身の死について、好奇心と精神力を持って迎えにいっていたようだ。

海洋学者の言葉をひいている。
「死に臨んだとき、わたしの最期の瞬間を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね」

かっこいい。

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