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訪朝記 序(渡航以前)

 北朝鮮という国については、幼少の頃から断片的な情報が耳に入るだけであった。時おりテレビで放映される軍事パレードの様子、ミサイル発射の一場面、平壌市内にもタクシーが走り始めたといったニュースがその国のすべてであった。謎めいており、危険な香りのする、不思議の国であった。

 ところがある友人が物好きであったおかげで、自分はその不思議の国が意外にも渡航はおろか、観光が可能である国であることを知ってしまった。中学生活も末期の頃であろうか、以来自分はネットの海に漕ぎ出でては彼の国を訪れた先達の記録を読み漁り、当てどもなく知識を蓄積した。受験も真っただ中の高校3年の冬には短波ラジオを買って、彼の国からやってくる日本語放送に耳を傾けることもした。

 浪人を経て入った大学において、自分はともすれば訪朝に充てうる一定の時間と財力を得つつも、目先の生活を追うことに精を尽くしていた。かようにして3年目を迎えようとした今年3月、卒業し就職する先輩は「失うものがないうちに北朝鮮に行ったほうがいい」と言い残し大学を去っていった。そこには得るものを得て社会に出る人の痛切な後悔があった。自分もまた苦心の末に内定を得るようなことがあれば、向こうしばらくの訪朝は叶わないやもしれない。念願を念願のままにしておくのはよそうと思った。ここしかないと思い、3年目の夏、借財をしてでも訪朝するという決意を固めた。(そして実際に友人から借財した)

 誤解している読者諸兄姉がいるかもしれないが、北朝鮮には然るべき旅行社に依頼することで渡航・観光することができる。もっともそれは「可能」であるという話で、国交が結ばれず(したがって本邦の大使館も置かれず)、いわんや明確に渡航の自粛要請が発令されている国へと渡るのは全く褒められたことではない。拘束の憂き目にでも遭った暁には完全な自業自得である。よしんば無事に帰還したとしても、経済制裁の課された国に外貨を落としてきたという後ろ暗い事実は変わらない。全方位から見て、北朝鮮とは胸を張って行ける国ではない。
 それでも本邦には、北朝鮮に渡らんとする者たちのための旅行者が複数存在する。これら日系の旅行社が催すツアーに参加すれば、現地において日本語話者のガイドがあてがわれるという利点がある。これは実に魅力的である一方で、ツアー料金は押しなべて割高である。安くとも4日間で15万円は下らないうえ、発着地が瀋陽や丹東といった遠隔地であったりする。

 そこで自分は一計を案じ、北京に居を構える英国系旅行社Koryo Toursのツアーに参加することにした。これであれば北京発着の4日間で799ユーロ(1ユーロ=120円換算で95,880円)、往路を鉄道利用から航空利用に変更しても1,064ユーロ(127,680円)と比較的安価である。もっともここの主要顧客は欧米人であり、一切のガイドは英語となる。日本語ガイドが受けられないのは残念であるし、英語の自信などからきしであるが、行くことが重要と割り切ることにした。
 高校同期であり、大学で北朝鮮政治を研究している秋君(本名)を道連れとして、2019年9月の訪朝が決定した。

 次回からは数度にわたって、自分が北朝鮮で見たものについて書き記していく所存である。普段は旅行の記録など書き記さないのであるが、彼の国には人に物語りさせたくする何かがあるらしい。
 それともう一つ、自分が体験を書き起こすのは先達への敬意があってのことでもある。インターネットに散らばる旅行者の生の声は、訪朝を企図する者にとって貴重な情報となってきたに違いない。自分自身がその好例である。
 繰り返し訪朝しディープな体験を楽しむリピーターも散見される昨今、平壌・開城にて通り一遍のことをしたに過ぎない自らがことさらに貴重な情報を提供できるとは思っていない。それでもかつての自らのように、ただいつの日か北朝鮮の地を踏みたいと焦がれる者にとっては幾分かの価値を有するものになろうと思い、今ここで先達に続かんとするのである。以降数回、お付き合いいただければ幸いである。

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