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夏の鉄道乗りまわしの旅 第2部

前回に続き、中学2年のころに執筆した旅行記のデータを発掘したので、ひっそりと公開します。
約9年ぶりに見返すと修正したい点だらけですが、中学生の自分に敬意を表し、友人の名前を匿名に差し替えること以外は手をつけずに掲載しました。なお今回のみ、現時点での自分の倫理規範に反していると判断した箇所の削除を行っています。

第一日 

東大宮─小山─国定─高崎─万座鹿沢口─大前─高崎─大宮─東大宮

八月十五日。私は自転車を駆っていた。夜中に雨が降ったようで、路面が濡れている。
午前六時頃、自転車を慣れない東大宮駅の地下駐輪所に止めた私は、係のおじさんに見送られながら地上に上がった。結構早く来てしまったな、と思いながら改札へ行くと、既にK君は佇んでいた。
ついに青春18きっぷに捺印される。有人改札へ行くと、窓口氏が印を二人分押して「いっぱい乗ってね」と声をかけてくれた。思わずにやりとする。
ホームへ降りる前に、スタンプが目に付いたので押す。今まではなかったから最近設置されたものらしい。自分のスタンプ台で押していると、通りかかった初老の男性が「スタンプ集めてるの」と声をかけてきたので応対する。K君はそばで微笑をたたえている。中学生二人連れは興味の対象になりやすいようだ。
ホームに降りて、カメラのGPSを作動させたりしながらしばらく待つと、ようやく列車が入ってきた。石を投げれば当たるほどいるE231系だが、ファーストランナーなので記録する。六時十八分、東大宮発。

少し走っただけで、車窓がだんだんと田舎じみてくる。しかしまだこのあたりは東京への通勤圏内だから、駅の周りは住宅地だ。駅前に駐輪所がある駅が多い。
ここでK君に行程表の最終版を渡し、私は本を読み始めた。K君はネットで買ったというラジオを聞き始める。ちょうど時刻は六時半で、ラジオ体操をやっているところだった。宇都宮線の沿線は田んぼが少なく、主に畑からなっている印象だ。
長いような短いような時間を過ごし、七時一分小山着。
ここで少しばかり時間があるので、スタンプを押して水戸線のホームへ行く。
ちょうど列車が入ってきて、二本の415系が顔を揃えた。ドアからスーツ姿の人々が吐き出される。本数の割に沿線人口が多いのだろう。結構な乗車率だ。

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そうしているうちに結構な時間になってしまったので、早足で両毛線ホームへ向かう。
一度階段を下りて、天井の低い通路を進むと、両毛線のホームに出る。そこには湘南色の115系、通称「かぼちゃ」が止まっていた。
「やまどり」に間に合わせるならば、このもう一本後の列車でも間に合う。しかし、事前調べの結果その運用は107系だということがわかった。107系ということは、すなわち国電形のロングシートであるということだ。
これではたまらないので、クロスシートの115系で途中の国定まで行き、そこから107系に乗り換える。これなら存分クロスシートが楽しめる。
出発時刻が迫っているが、車内はかなり空いている。私たちはボックスを一つ確保することができた。

七時二十六分、小山発。列車は田園地帯を走る。私は持参した「日本鉄道旅行地図帳」を広げる。この地図は鉄道旅行に特化した地図で、地域ごとに分冊化して、持ち運びやすいようになっている。すかさずK君が手に取る。
田は黄緑色である。そのなかを、駅間が長い両毛線は快走する。動画を撮ろうと、私は窓を開けた。小さなテーブルに置いてあったしおりが吹き飛びそうになり、素早くK君が押さえる。
それからことあるごとに私は窓を開け、K君は盛んに閉めようとした。この情景は、最終日まで続く。
高架駅の栃木に着く。高架化されてからそれなりの年月がたっている。隣に東武の野岩線直通車両が止まっているが、あちらは人影が濃い。ここで乗客の多くが降りてしまった。
向かい側に107系が入線してきた。この列車は小山で折り返して、私たちが国定から乗る列車になるのだろう、とK君が推理する。

しばらくすると、私たちが座っている進行方向右側が山がちになってきた。両毛線は山に沿って走るが、山の中には入らない。水戸線と共に関東平野の縁を走っているのだ。
人工的に削られた岩山が見えてくる頃に、雲が減って晴れてきた。この旅行は幸先がいい。
私が両毛線に乗るのはこれで三度目となる。最後に乗ったのは小学校低学年の頃であるが、この岩山は印象に残っている。久しぶりの再開(原文まま)だ。
ラーメンで有名な佐野を過ぎ、八時十三分、足利に着く。ここで五分少々停車する。この駅は名駅舎で有名だ。向かい側にまたもや107系が来たので、撮影する。
東武鉄道と接続する桐生を過ぎ、十分車窓を楽しんだ後、八時四十一分、国定着。

この駅舎は一つ手前の岩宿駅とともに、木造駅舎を誇る。ネットでこの駅を見つけたときには、これは穴場だな、とにんまりした。ホームに松などが植えられていて、雰囲気がよい。松は私が最も好む樹木である。

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跨線橋に上ると、前橋方面から211系が来た。高崎線内の遅れが両毛線にも響いているらしい。ベイロ君のことが頭を過ぎる。
一通り駅舎を撮影した後、心配になってベイロ君に電話する。K君が持ってきた携帯を使うも、つながらなかった。
その後K君は家に電話し、妹君に頼んで高崎線の運行情報を調べてもらってみたが、依然遅れているそうだ。

まだ時間があるので、駅舎内を散策する。すると「駅ノート」が目に留まった。
「駅ノート」とは、全国の有名な駅に設置されていることが多く、ほとんどが駅に感動を受けた旅人が置いていったか、その駅の手作りである。私はこれが初めての出会いであったので、もちろん書き込む。18きっぷで来た旨もしっかり書いた。国定のノート最初の書き込みであった。
ホームの端には、大谷石らしき石でできた倉庫があった。そうか地元か、と納得する。しかし冷静に考えれば、ここはもう群馬だった。

我々が乗る列車も、五分程度遅れて入線してきた。単線だからすぐに遅れが波及する。
107系は国鉄形だが、末期の登場だから内装は211系と同程度で、比較的新しい。しかし足回りは急行形のお古だから、大いにうなりを上げて走る。車内は、ロングシートがそこそこ埋まるくらいの乗車率だ。
群馬の県庁所在地である前橋に着く。高架駅であるが人はまばらだ。
どうもベイロ君のことが頭から離れない。時間通りに家を出て、遅れの影響をもろに食らったらどうしようなどと思う。
K君が、「もしベイロ君が来なかったらどうする」と尋ねてきた。私は今までこの話題から目をそらしていただけに、答えに詰まった。
本当は待つべきなのだろう。しかし、せっかくの「やまどり」乗車のチャンスを逃すのはあまりにも惜しい。
結局、「ベイロ君を信じる」などという、答えになっていない結論で落ち着いた。ようするに、考えることから逃げたのだ。
駒形から複線になる。両毛線はここから前橋までの二駅間と、岩舟から佐野の一駅間のみ複線化されている。このような細切れの手法は経費の割に効果が上がるようで、ほかに幾つかの地方線区でも採用されている。この区間で出来るだけ列車をすれ違わせるようにしている。
そのまま遅れて、九時五十一分頃、高崎に着いた。

素早く先頭を写真に納めると、跨線橋を渡りC61のもとへ急ぐ。
C61は今年の春に復活したばかりの蒸気である。従って私は初対面となる。
例によって、機関車の周りには人があふれている。私たちもナンバープレートをカメラに納めようと、必死に接近を試みる。機関士と機関助士が誇らしそうに立っていた。
何とか撮影し、発車シーンを撮るべくホームの端へと向かう。
もちろん、こちらもすごい人混みである。私たちが尻込みしていると肩をぽんとたたかれたので振り返る。ベイロ君であった。手にはご自慢のカメラを持っている。私とK君はひとまず安心し、私は撮影を試みようと人混みへ体を割り込ませた。
盛大な汽笛とともに、黒煙を上げてC61はゆっくり発車していった。この汽笛は心を震わせる力を持っていると思う。青い12系客車に貼られた「がんばろう日本」の赤色のステッカーが目に付く。
同じホームで、我々が乗る「リゾートやまどり」の入線を待つ。ベイロ君とK君はもうカメラを構えている。
遠くから前照灯の光が見え、これまたゆっくりと入線してきた。六両で短いので、慌ててホームの中央へと向かう。もう発車まで時間がない。私たちは手前の車両から列車に乗り込んだ。

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車内には強い新車特有のにおいが漂う。指定の座席まで行く途中、畳敷きの休憩スペースがあった。
座席に着いた私たちは思わず目を見張った。事前に写真で見ているとは言え、シートがあまりにも豪華なのだ。N700系新幹線のグリーン車を優に超えている足下の空間。焦げ茶色に鮮やかな緑の蔦が這ったような柄がよい。私たちは席に腰を下ろした。
列車は三列シートである。左側の窓側に私、その隣の通路側にベイロ君、そして通路を挟んだ一人席にK君が座る。ちなみにこの席位置は、あらかじめ抽選で決めておいた。この旅行全体で見ると、K君が一番の当たりくじである。
私たちは最前列だから前に席がない。ただでさえ広い座席間隔よりももう一段と広い。私は思いきり足を伸ばしたが、前の壁には届きさえしなかった。
定刻通りの十時十二分、高崎発車。
私は録音機を構えて放送を待つ。スピーカーが真上だから簡単だ。
放送が大音量で流れ始める。何度も間違ったりつっかえたりするから、新米なのだな、と思う。

十分と走らずに、新前橋に着く。ここまではK君とさっき通った道だ。
ところが、高崎線の遅れはここまでも響いた。高崎線の接続待ちで、二十分も停車することになったという。
私たちは堪忍(原文まま)し、この間に交代で車内の探検へと向かう。まずは私が留守番で、ベイロ君とK君が出発する。この車両は前述の休憩スペースなど、見所が多い。
戻ってきたので、次は私が向かう。
隣の先頭車両には展望スペースがあって、流れゆく景色を楽しめる。もっとも、今は車両基地が見えるだけだが。
ほかの乗客も盛んに歩き回っている。ジョイフルトレインに乗ったのだから、車内の隅から隅まで楽しまなくてはしょうがない。

二十二分遅れて、列車は新前橋を発車した。
検札がやってきたので、指定券を差し出す。青いインクが鮮やかな「やまどり」のイラストスタンプが押される。そういえば同じ高崎支社のD51の時もイラスト入りだった。
ここで再び車内放送が入る。音量が大きく大いに耳障りだ。
車内設備が案内される。畳敷きの部屋は、「ミーティングスペース 和」というのだそうだ。一号車のトイレが故障中とは、新車なのになさけない。
車両の案内もされる。この車両が「群馬デスティネーションキャンペーン」に合わせてできたということや、景色を楽しむために窓と座席の間隔を合わせたことなどを紹介する。それにしても「失礼しました」を連発していて、思わず顔をしかめる。
「東北新幹線はやぶさ号や、国際線のファーストクラス並みの座席間隔」という部分にベイロ君が反応した。「はやぶさ号」のところが気になったそうだ。グランクラスのことではないか、という私の見解を伝える。

また少し走って渋川に着く。ここで二十分ほど停車するSLを追い抜く。こちらの列車も相当な注目度だ。ここで新潟へ向かう上越線と分かれ、有名温泉地を数多く従える吾妻線に入る。
上越新幹線の下をくぐると、車窓が緑に染まっていく。動画撮影をするも、窓が開かないからレンズが映り込んでしまう。
吾妻線はその名の通り、吾妻川と並行している。時折列車が川をまたぐから、そのたびに私はカメラの電源を入れる。
中之条、川原湯温泉と停車する。いずれも下車する客は少ない。

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ここでK君お待ちかねの八ッ場ダムが見えてくる。ダムといっても、あの騒動のせいで橋しかできていない。ダムができたら、今走っている線路もダム湖に沈む。鉄道までもが迷走する中央政権に翻弄されている。もっとも鉄道は古来から、「我田引鉄」に象徴されるように、しばしば政治に絡まれてきた過去を持つ。

車窓が一段落したので、「ミーティングスペース 和」に行く。ベイロ君とK君に座ってもらって写真を撮ろうとするが、シャッターを切ろうとするとトンネルに入ってしまう。
遅れを引きずったまま長野原草津口着。途中交換で手間取ったが、遅れは幾分縮んだ。ここで結構な数の人が降りていく。
次は終点の万座・鹿沢口である。名残惜しく思い、降りる前にもう一度展望スペースに行く。トンネルから万緑への脱出が爽快だ。

二十五分遅れて、十二時三分に万座・鹿沢口着。ホームの隣に大きな緑の壁がある。とても奇妙な光景だ。後で知ったことだが、この壁は土砂崩れ防止のコンクリート壁を緑化したものらしい。
列車は今にも回送されそうなので、頼んで記念写真を撮ってもらう。
発車を見送り、改札へ行く。「指定券も見せて」と言われたので何事かと思うと、キャベツのイラスト入りスタンプを押してくれた。
駅のスタンプを押し、入場券を買っていよいよ出発。「ようこそ農業と観光の町へ」という大きな立て看板が目に付く。

少し歩いて、昼食を調達すべくセブンイレブンに入る。車も多く、なかなか盛況だ。
ここで各々おにぎりを買う。私とベイロ君はつまみも買った。それに加えて、私は旅行用としてガムを買う。あえて「歯みがきガム」を買ったのは、夜行列車に備えるという意味と、テレビCMが好きだからだ。
ビニール袋を持って、ここから大前までいよいよウォーキングだ。距離にすると約三キロで、グーグルで計算したところ所要時間は四十六分と出た。
私はてっきり川沿いの快適なウォーキングだとばかり思っていた。しかしその期待は裏切られた形となった。
まず、意外に交通量が多いこと。ひっきりなしに自動車が行き来する。実はこの道、軽井沢から上田方面に抜ける幹線道路のようで、東京方面からも車が来るようだ。
次に、日差しがあって意外に暑いこと。私は標高が高い草津の隣だから、夏でも涼しいとばかり思っていた。確かに埼玉よりは涼しいかもしれないが、しばらく歩いていると暑くなる。
列車が遅れたせいで時間が押している。緩やかな坂道を、食事場所を探しつつ私たちは行軍していった。
この道は吾妻川に沿っている。食事は川原でということになっていたから、川が見えるたびに場所を探すが見つからない。
隣に吾妻線が平行してきた。するとすぐにトンネルに潜る。吾妻線の長野原以西の開通は昭和四十六年と新しいから、トンネルが多い。
とうとう嬬恋村役場が見えてきて、ちょうど一時頃に大前駅付近に着いた。
するとどうだろう、駅の真ん前を吾妻川が流れていて、いくらでも食事できそうになっているではないか。最後の最後でこれ以上ない場所を見つけた。一行の顔が明るくなる。

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私たちは川原へ降り、手頃な岩に腰掛けた。
するとK君が靴下を脱いで川に入っていったので、私とベイロ君もそれに従う。冷たい川の水に足をさらして食べるおにぎりの味は格別であった。この旅行はいいぞ、と思う。ペットボトルも水に浸して冷却する。
大前駅に列車が来たので、靴を履いて引き上げる。ちなみに私の今日の靴は、水陸両用サンダルであるが、乾きが遅いから本領発揮は先送りとした。
途中水にティッシュペーパーを落とすも回収し、大前駅へと向かった。流水の冷却効果はいまひとつであった。

大前駅は吾妻線の終点だが、特急列車は全て手前の万座・鹿沢口止まりとなっている。それ故、大前駅まで来る列車は一日三往復と少ない。それが逆に鉄道ファン受けして、皮肉なことに有名駅となっている。
しかしいくら有名だとしても、ホームに人があふれているとはどういうことか。K君も事前調べと違うと、しきりに首を傾げている。

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K君とベイロ君は飲み物を買って、列車の先頭を写すと、すぐさま席を探しに掛かった。
幸いボックス席を確保し、ひとまず安心する。例によって私が窓を開けると、隣に座っていた男性が「寒いから、窓は開けちゃだめだよね」などとつぶやいている。独り言かと思って見れば、男性は座席に小さな女の子を寝かせていた。体調が悪そうだ。
私はこれを見て納得し、窓を閉めたが、K君はどうもすっきりしない様子だ。確かに、その場でぼやいてことを片付けようとするのは、いささかおかしい気もする。面と向かって言えばよいのだ。そして今度は、そんなぼやきにすんなり応じてしまう、自分のお人好しさに腹が立ってきた。
私はむしゃくしゃし、もう一度窓を開けてしまおうかとも考えたが、女の子が気の毒なのでやめた。悪いのは父親であって、女の子ではない。
ホームの地蔵に見送られ、十三時四十分大前発。
車内は一つのボックスに一人か二人ほどといった乗車率。明らかに鉄道ファンだと思われる人が多い。
ちなみに、この115系は車内がグレードアップされた車両で、座席の枕の部分などが豪華になっている。ちなみに今朝の両毛線は、非グレードアップの一般型だった。もっとも、同じグレードアップでも、西日本の115系とは天と地下十階。東も気合いを入れるべきだ。

どこだかの駅で五分停車。私はのどが渇いてしまって、新しい飲み物を調達できないかとホームの自販機を探すが、見つからなかった。
ところで、先ほどからベイロ君が何度も本を落としている。「フロスト警部」であるが、どんどんぼろぼろになっていくので心配していると、ついにお茶と一緒に鞄へ入れたせいでしわくちゃになってしまった。当人のベイロ君はしまったという顔をしながらも、平然と乾燥させている。
しばらく乗っていると、一度通った道と言うことで、車窓を撮ることもなく退屈になってきた。私とベイロ君は基本的に本を読んでいるのだが、K君はただ座っている。
そんな状況で「カメラ戦争」は勃発した。ボックスシートだから、相手の顔を撮るのは容易い。
まずベイロ君が攻撃。K君がそれに応戦し、私は翻弄される。
席の位置的にはベイロ君と私は仲間なのだが、ベイロ君はたびたび寝返るので気が抜けない。
そのうち高速連写合戦へと発展し、私もソニー製の両親のカメラで参戦する、というかさせられる。渋川から乗ってきた女子中学生団体がこちらの様子を窺っているが、ベイロ君はお構いなしだ。列車は上越線へと戻り、田園地帯を疾走している。何本もの道路に跨がれ、遠くに工場らしき白い建物が幾つも見える。
激動の戦争も幕を閉じ、十五時三十六分、高崎着。

高崎線のホームには、既に列車が横付けされていた。211系のロングシートだ。幻滅だが各々陣取る。K君に荷物を上げないのかと尋ねると、「前に忘れたことがあるから」と返ってきた。
ふと外を見ると、赤と白の見慣れぬ車両が止まっている。検測車両の「イーストアイ」だった。私たちは荷物をそのままにして走り出した。

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全力疾走で近くまで寄る。今回見たのは二本あるうちの、電車方式の編成だった。私はディーゼル方式の編成しか遭遇したことがなかったので、何枚も撮る。間にレーザー試験用の客車を挟んでいた。小さな窓のようなレーザーを照射する部分がいくつもあり、印象的だ。
置いてきた荷物を心配しながら席に戻ると、幸いそのまま置いてあった。日本は治安の良い国だな、と改めて思う。
十五時五十一分、高崎発。高崎線は皆何度も乗っているから、私とベイロ君は本を読み始める。
途中の籠原で、後ろに空の車両を五両つなぐという旨の放送が入った。もしかしたらボックスシートかもしれぬ。ロングシートに満足していない私たちは、もしボックスシートだったら乗り移ろうということで一致した。
籠原に列車が進入していくとき、留置線に車両が止まっているのに気付く。ベイロ君がこれから連結する車両ではないかというが、ヘッドライトが付いていないから私は違うと思った。案の定、その先に今にも発車しそうな編成が止まっていた。それ見たことか、ボックスシートではないか。
それを確認した上で、私たちは籠原で一旦下車した。
まもなくして、211系が接近してくる。やはり先ほどのボックスシート編成であった。それにしても、先日京急の連結作業を見てきた私とベイロ君の目には、JRの連結がひどくのんびりしているように映る。

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早速ボックスを確保する。五両全てがボックス席なので珍しいなと思えば、なるほど1000番台のトップナンバー編成であった。
ベイロ君が万座のセブンで買ったつまみを開ける。辛みイカだった。私も頻繁に手を伸ばす。お茶がどんどん減っていく。
K君がうとうとしてきた頃、大宮に到着。すぐに宇都宮線へと乗り換える。ベイロ君は大和田から乗ってきたようだが、同行する。
列車は五分ほど遅れていた。十七時三十七分頃、東大宮着。
K君とベイロ君は歩きだから、自転車の私はここでお別れだ。K君に入り口を教えてもらい、私は地下駐輪所から脱出した。(第3部へ続く)

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