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夏の鉄道乗りまわしの旅 第1部

中学2年のころに執筆した旅行記のデータを発掘したので、ひっそりと全文公開します。
約9年ぶりに見返すと修正したい点だらけですが、中学生の自分に敬意を表し、友人の名前を匿名に差し替えること以外は手をつけずに掲載しました。もとが縦書きであったことから、日付といった数字が漢数字になっている点はご容赦ください。

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はじめに

鉄道の旅には体力など必要ないと、私は思っている。
一日中列車に乗っていたというと、さぞかし疲れただろうと心配されることがしばしばあるが、それは日頃から列車に「退屈だなぁ」と思って乗っている人の考えで、車窓を眺めて楽しんでいるならば、全く疲れないも同然だ。第一、大半の時間は座っていて、適度な頻度で乗り換えがやってきて体を伸ばせるのだから、最初から忍耐や体力など必要ないであろう。だから私は夜行列車など大歓迎である。時間も有効に使えるし、なにより異境の地で吸う朝の空気は格別である。
しかも、今回の旅行は夜行二連泊ときている。一回の旅行で夜行の楽しみが二度も味わえるなんて、まさに私向きではないか。
だが、今回ばかりはさすがの私でも、座席で二晩を過ごすというのはいささか心配ではある。三日目などはどうなっているのだろう、とも思う。
しかし、受験が迫る中学校生活において、思う存分列車を乗り回せる夏は今年が最後である。それならば広い範囲を効率よく乗り回したい。
そこで今回は、座席夜行で二晩を過ごすという、破天荒極まりない旅程を採用するに至った。これはこれで、実行すれば武勇伝として語れそうだ。

この旅行記は、時が経つに連れて色褪せて行くであろう旅の記憶を、天然色のまま保存しておくために書かれたものである。そのため、読者からすればどうでもいいような描写が多々含まれていると思うが、前述のような目的のためであるからご容赦いただきたい。
あと、この旅行記は私の一存で、私の記憶によって書かれたものである。そのため、旅行の同士二人が持つ記憶と少々矛盾する箇所があるかもしれないが、そのときは私に報告してもらえるとありがたい。だが、その都度改訂するのではきりがないから、大本のデータの修正に留まってしまうと思うが、その点も留意した上で読んで欲しい。
あと一つ。今回の旅行記に個人の力では地図を載せることができなかった。だから是非読者の方には時刻表なりの地図と併せて読んで欲しい。著者からのお願いである。

青春18きっぷの話

話が持ち込まれたのは、新年度が始まって間もない頃だったように思う。
ある日登校すると、友人のT君が
「入学祝いにいいものをもらった」
と言い寄ってきた。
私は最初に、なんで中学二年の春に入学祝いなんだ、と疑問に思ったが、聞いてみたところこういった経緯があったのだそうだ。
なんでも、ベイロ君の親戚の方々の中に、中学校の入学祝いを贈りたいという親切な方がおられたそうなのだが、会う機会が無く渡しそびれてしまった。そしてこの度その話が復活し、お祝いがいただけることになったそうだ。ちなみに「ベイロ君」というのはT君の愛称である。
そしてその入学祝いというのが、「青春18きっぷ」だった。私はずいぶん粋なお祝いだと思った。しかもベイロ君はその切符で、私をはじめとした鉄道仲間を旅行へ連れて行ってくれるというのだ。願っても見ない好機である。
もう春は終わろうとしていたから、旅行は次の「18きっぷ」シーズンである夏休みと決まった。

ちなみに「青春18きっぷ」というのはJRの企画乗車券の一つで、旅客鉄道会社全線を乗り回すことができる、知る人ぞ知る有名きっぷだ。五回分がセットになっているのが特徴で、一人で五日間の旅行はもちろん、五人での日帰り旅行も可能な、極めて自由なきっぷである。
もちろん制約もある。まず発売時期が決まっており、学生の春・夏・冬の休暇にあわせたシーズンのみ発売・使用可能だ。
このように様々な利点、欠点を挙げていけばきりが無いが、最大の特徴は、普通列車のみが乗車可能というところだろう。
普通列車というのは、快速列車も含む、乗車券のみで乗車可能な列車を指す。だから新幹線はもちろん、特急・急行列車も乗れない。普通の切符は特急券を別購入するのは乗客の勝手だが、18きっぷはそれが許されない異色の切符である。JRも特急列車で日本全国を巡られてはかなわないのだろう。だから北海道だって九州だって、普通列車のみを延々と乗り継いでいくことになる。
私たちは、かねがね乗りたいと思っていた身延線の旅を決行しようということで一致し、期待に胸を膨らませたのだった。

しかし、乗りに行くのは夏休みである。それまでの間に、このプランが変更になることは想像に容易かった。
案の定、それから間もないうちに、K君が「リニア・鉄道館」行きを提案した。
「リニア・鉄道館」は今年の三月に完成したばかりの、国内最大の鉄道博物館だ。埼玉には二〇〇七年に鉄道博物館ができたばかりだが、リニア鉄道館はそれを上回る車両を揃えており、展示面積も広いので期待されていた。また館内が明るいことが特徴で、私的にも好感が持てていた。
だが私の心を掴んだのは、片道に夜行列車の「ムーンライトながら」を使用するという行程であった。
「ムーンライトながら」というのは、東京と岐阜県の大垣を結ぶ夜行快速列車であり、快速であることから青春18きっぷで乗車できる。時間を有効に使えることから、中京、関西、遙々九州を目指す18きっぷ使用者に人気の列車だ。この列車は臨時扱いながら、18きっぷシーズンはほぼ毎日運転され、必ずといっていいほど指定席は満席となる。
しかし、この時点でN君が資金不足を理由にメンバーから離脱。これで四人になってしまった。

そしてこの時点では、私自身も行けるのか怪しい状況だった。井上家では関東圏外の旅行は高校生からと公式的に決まっており、夜行での外泊はもってのほかと、私は思った。
しかし、ベイロ君もK君もすでに承諾済みである。私は却下されるのも承知で両親に尋ねてみた。
結果はというと、こちらが拍子抜けするほどあっけなく承諾された。宿での外泊すら許可されそうな勢いだったが、そちらは学校のきまりで禁止されているから、さすがに無理だろう。
これで私はひとまず安心だが、W君もまた、許可がもらえるかわからない状況だった。そしてこちらはあっけなく却下されてしまった。W君は元来からの主力メンバーであり、同行できないのは大きな痛手だった。
私たちは何度となくW君を激励し、W君もあらゆる手段で説得を試みたが、いずれも空振りに終わった。
これでメンバーは三人になった。各家庭によって安全管理の仕方は大きく違うのだと、実感させられたときだった。

ところで、青春18きっぷは先ほど説明したとおり、五回一組のシステムだ。
それがここに来て、三人が二日旅行するというように決まった。そうとなれば必要な回数は、三人×二日であわせて六回分ということになる。そしてきっぷは必然的に二枚買うことになる。
しかし、これでは切符二枚分、併せて十回分のうち、六回分しか使わないことになる。
これではもったいないということで私たちの意見は一致した。そして成り行きから当然のように生まれたのが、夜行連泊プランであった。
前述の「ムーンライトながら」のように、「ムーンライト」の名を冠した列車は全部で三つある。一つ目は「ながら」で、二つ目は新宿と新潟を結ぶ「えちご」である。この二列車は、いわゆる多客時には毎日運転される、知る人ぞ知る有名列車である。
三つ目は新宿と大糸線の白馬を結ぶ「信州」で、ほかのに列車と比べると運転日が少なめで、若干影が薄い列車だ。
つまり、これらの列車をどれでも二つ組み合わせて、夜行連泊の日程を組もうというのだ。スーパーのお肉よりどり三点セールが頭に浮かぶ。
それならば高山本線に乗ろうということになり、「ムーンライト信州」で白馬へ行き、高山本線で南下し、「ながら」で上京する旅行の骨組みができた。
そしてその前後に身延線と吾妻線を加える基本プランが完成した。

行程の話

後日私たちはベイロ家に集まり、初の本格的な話し合いが行われた。
K君の帰着時間の制約から、一日目に吾妻線を楽しみ、その後一旦帰宅して入浴・食事を済ませる。夜行列車の時間まで都心をうろつくのでは補導されかねないし、とても時間を潰せないからだ。
そして東大宮に再集合した後、新宿から「信州」で白馬へ移動、大糸線で糸魚川に出て北陸路を下り、高山本線を堪能する。
そして大垣から「ながら」で東京へ戻り、甲府から身延線で富士へ抜けるという日程となった。
この日の話し合いでは、吾妻線で大前まで行く途中どこで下車するかといったところや、高山本線と身延線での観光なども子細に渡って検討がなされた。もっとも、高山本線といえば下呂と高山と決まったものである。少なくとも私はそう思っていた。

それ以外の吾妻線と身延線では、名の知れた観光地は思い当たらない。我々はベイロ家のパソコンを操って観光地の掘り出しにかかった。
吾妻線といえば草津温泉や川原湯温泉があるだろうと思う人もいるかもしれない。しかしこれらの温泉は駅からかなり離れたところにある。
例えば、草津温泉の最寄り駅である「長野原草津口」の駅前にはバス停しかない。特急列車を降りた乗客はみな、草津温泉行きのJRバスに吸い込まれ、温泉街のバスターミナルへと運ばれるのだ。吾妻線の開業当初、この駅はただの「長野原」だった。
私などはあまり知られていない穴場を探して喜ぶ性格だから、小野上温泉駅の近くに「岩井洞」という怪しげな観音堂を見つけたときは、思わずにやりとした。なんでも「懸崖造り」という、崖にへばりつくような建築方法を採用しているそうで、いかにも怪しげな洞窟の中には地蔵がごろごろとしていた。あとは私の希望により、川原で昼食をということになった。

身延線では、最近流行の「秘境駅写真集」に影響されてか、ベイロ君が秘境駅訪問を提案した。
早速ネットで駅を見つけに掛かり、幾つかそれらしい駅を選んだ。「芝川」という駅を見つけたときには、これだ、と一同が思ったが、清流を楽しむのは吾妻線で十分だとして、再び観光名所を探しに掛かった。

ところで、最近私は日本の伝統建築に興味を持っていて、七月も福井県小浜の寺社を見てきたばかりだった。
というわけで、私は密かに、今回の旅行でもそのような建築に出会えないかと期待していたのである。そんな中、パソコンに向かっていた私の目にとまったのが、身延山久遠寺であった。しかも意外なことに、この寺はかの有名な日蓮宗の総本山だという。確かにそういわれてみれば、門などは荘厳な佇まいである。
私は山奥にこんな寺を見つけたことで嬉しくなってしまい、久遠寺への参拝を決めた。もっとも、この時点では誰も「くおんじ」と読むことなど知らず、平然と「きゅうおんじ」などと呼んでいたのだが。

この日の会議は食事の調達などにまで及んだ。
「食事なんて、その都度調達すればいいのでは」と思う人も多いと思う。しかしそれは普通の旅行に限ってのことで、夜行列車を二回も使う今回の旅行ではそうはいかない。
今回使う夜行列車が朝到着するのは、いずれも五時台と早くなっている。これでは開いている店を見つけることができず、朝食が調達できないという事態もあり得るのだ。断食はご免である。
そういう場合は夜行列車の乗車前に買っておけばよいのだが、今回は幸いにも調達の目途が立った。
そのほかにも、高山では散策の時間を利用して、名物として名高い「高山ラーメン」を食べようと言うことになった。これは某軽井沢の作家が書いた本に影響を受けた、私の提案である。また身延線においても、接続の関係で食事の調達が困難と言うことも想定し、どこで駅弁を買うかを検討した。
その場で即席の行程表も作り、この日の集まりを終えた。

この行程表を基に、それから何度か小さな変更が加えられた。
そしてそれらの提案するのは、およそK君と決まっていた。まったくK君は隙あるごとに旅行のことを調べているらしく、様々な提案を持ち込んできた。
最初は、吾妻線の旅程の大幅な変更である。
これはK君が手に入れたパンフレットに「リゾートやまどり」の案内があったのがきっかけで、彼はこのパンフレットを手に何度も我々の元を訪れた。
「リゾートやまどり」とは、今年の春にデビューしたばかりの観光列車で、「ぐぐっと群馬 デスティネーションキャンペーン」に合わせて登場した。お座敷列車の編成を改造して生まれたという、異色の経歴を持つ。
この列車、特急列車の、それもグリーン車に匹敵するような車内を持ち合わせているにも関わらず、快速列車扱いで運転されている。つまり、乗車券に指定席券を足すだけで乗車可能ということだ。もちろん快速列車だから、青春18きっぷでも胸を張って乗れる。
これにはジョイフルトレイン好きの私も賛成し、ベイロ君はそれに引っ張られる形で賛成した。このために吾妻線に乗り回す行程を全壊させ、単純に大前まで行って戻ってくることになった。時間調整のために高崎まで両毛線経由で行くことになったのも、このときである。
これほど大きな変更ではないが、中央線で甲府から身延線に入るわけだったのを、東海道線の富士から入るように改めた。これも、東京発五時二十五分発の列車が特急形である373系で運転されると知った、K君の提案である。
このようにお得な車両に出会えるのも、鉄道の旅の醍醐味だと私は思う。

また、こんなこともあった。
この旅行の目玉は、なんといっても夜行連泊だろう。しかし、これを楽しみにする一方で、少なからず不安があったのも確かだ。私などは「若気の至りだ」などとその不安をあしらっていたのだが、家族の考えなどで全員がそうできたわけではなかった。
K君の周囲でも、この挑戦を心配する声はあったようで、その心配はK君本人にも伝染した。そしてそれが、夜行連泊を抜きにした、全く新しいプランの提案につながった。
おそらくK君はこのとき、本当に心配していたのだろうと思うが、勢いづいていた私とベイロ君は相手にもしなかった。今思えば、申し訳なかった気もする。

そしてなにより、一番我々を引っ張り回したのが、名古屋での自由行動であった。
高山本線で中京圏に下ってきた我々は、ムーンライトながらの出発まで時間を潰さなければならない。しかし名古屋に着くのは既に日没後。故に景色が見えなくても楽しめることでないといけない。そうなると必然的に車両等を楽しむことになり、我々は名鉄特急などに適当に乗ろうということにしていた。
ところがK君は満足していなかった。毎晩のようにパソコンに向かい、名古屋市営地下鉄各種、リニモ、愛知環状鉄道、はたまた名古屋ガイドウェイバスに乗るプランを作り上げた。このプランは車両を楽しむという趣旨に十分合致している。
ただし、この行程では効率的に乗り回すために、高山本線を鵜沼で下車することになっていた。これは、高山本線の全線完乗を目論む私にとっては死活問題である。そんなことを目論んでおらずとも、富山から終点岐阜を目前にして、鵜沼で降りてしまうなんて考えられないと思うのだが。微妙な価値観の違いからであろうか、K君は何とも思っていないようで、ガイドウェイバスの話で盛り上がっている。
結局双方譲らず、K君が提案した自由行動制を採ることにした。つまり、高山本線を岐阜まで乗り通して名鉄で時間を潰す班と、同じ列車を鵜沼で下車して地下鉄等を乗りまわす班とで分かれるというのだ。
もっとも、旅行するのは三人である。ベイロ君がK班に入ることが決定し、私は一人で時間を潰すこととなった。多少は「さびしいな」などと思ったかもしれないが、私はこのときほとんど不安は感じなかった。一人で広島などへ行ってしまっているから、感覚が麻痺しているのだと思う。

だが、この決定はいささか勢いによるものだったような気もする。どちらかというと旅情派のベイロ君が、本当に鵜沼で降りてしまうのだろうか、と私は思い返した。
そこで私は一計を講じ、七月十日、ベイロ君との私鉄撮影旅行の帰りに大宮駅でその考えを打ち明けた。高山本線を終点まで乗らないのはもったいないという点や、日没後にガイドウェイバスなどを急ぎ足で乗ってもしょうがないという点などを、私はありのままに伝えた。
すると少し考えた挙げ句、案の定ベイロ君は私と一緒に行動するのを決めた。なんだか抜け駆けをしたようでK君には少々申し訳なく感じたが、ベイロ君の意向なのだから仕方が無かろう。

さて、私たちは後日再び学校で集まり、僕とベイロ君は自由行動の件をK君に伝えた。するとなんと、K君までが岐阜まで行くと言い出した。さびしくなったのかな、と思って尋ねるとあっさり肯定されたので、ははぁん、と思った。
結局物議を醸し出した自由行動は、K君が折れたことによって幻となった。

日程調整の話

そうこうしているうちに夏休みも近づき、ついに旅行も現実味を帯びてきた。
私の家庭では夏休みの旅行が恒例となっている。その予約を取るに当たって、この鉄道旅行の日程を決めなければ具合が悪くなってきた。
ということで、まず私はK君に部活の予定を教えるように言った。水泳部のK君が一番忙しいのではと思ったからだ。ベイロ君はいつでも大丈夫、と即答していた。
だが、いざ予定が出てみると、実際は忙しいどころではなく、大会等の目白押しであることがわかった。大会では休もうにも休めない。そこにK君の塾の日程を重ね合わせると、三日間続けて取れる休みは一つに絞り込まれてしまった。不幸中の幸いか、私が通う塾の夏期講習は重ならずに済んだ。
ところが、いざ決定した日程をベイロ君に報告すると、なんと北海道旅行と重なるという答えが返ってきたではないか。
私は全く無責任だと憤慨したが、頭に血を上らせていても事態は進まないから、再びK君と掛け合うことになった。
泣きたいような気持ちで日程を確認していると、幸いにももう一回三日間の休みが見つかった。
今回はベイロ君も大丈夫だという。これでついに日程が決定した。
この決定により、ベイロ君は北海道旅行の翌日に出発することになった。これには威勢の良いベイロ君も慎重になり、早朝に出発して両毛線を経由する私たちに対して、ベイロ君は高崎線で直行することになった。

ところが後日、K君から衝撃的な発表があった。
なんと、予定していた八月十五日は、ムーンライト信州の運転日から外れているのだそうだ。
三列車ある「ムーンライト」だが、多客時はほぼ毎日運転される「ながら」と「えちご」に対して、「信州」は運転日に少々穴が開いていた。しかし乗車日の十五日はお盆まっただ中。運転するとばかり思っていた。
私は心底がっかりした。なぜなら、「信州」では僕の大好きな「夜のストレンジャー」という車内チャイムが流れる可能性があったからだ。
しかしこうなっては背に腹はかえられない。私は直ぐさま「えちご」への変更を決断した。すると、K君の調べによってその後の行程に全く支障がないことがわかった。
当初の予定では、白馬から大糸線で糸魚川へ行き、信越本線で富山を目指すわけだったのだが、新潟から信越本線で直江津へ行くと、そこから糸魚川から乗るはずだった列車に乗れるのだそうだ。これなら富山には予定通り到着し、もちろん高山本線も予定通り乗れる。
私はこれで安心し、ついに最終版の行程表を作ることができた。

しかし、指定席を購入しようというところで、またもや問題が発覚した。
通常指定席の発売日時というのは、乗車日からちょうど一ヶ月前の午前十時と決まっていたが、「やまどり」と「えちご」に乗車する日の一ヶ月前、すなわち七月十五日は金曜日。平日である。もちろん義務教育制度の中、学業を放り出して指定席を購入しに行くことなどできない。これらの列車が果たしてどれくらいの人気があるのかはわからないが、お盆まっただ中ということで非常に不安であった。オンライン指定席予約サイト「えきねっと」も臨時列車の予約はできず、発売日購入はあきらめざるを得ないということになりつつあった。
だが、踏ん切りが付かなかった男が一人いた。もちろん私である。ものは試し、一応ということで、往生際悪く「えきねっと」を見てみた私は目を見張った。「ムーンライト」ばかりでなく、なんと「やまどり」までがえきねっとで手配できるというのだ。特定の列車のみ臨時列車の手配ができることと、何事も過度に潔いのも問題であるということを、私はこのとき初めて知った。
すぐさま私はこの旨を仲間に伝え、迷いなく予約に踏み切った。

そして七月十五日と十六日に、手配完了のメールが続けて届いた。

集中豪雨の話

季節はついに夏。学校も夏期休業に入り、私たちのいわゆる「夏休み」が始まった。
私は結局、家族旅行と鉄道旅行を合わせて八日間も旅行することになり、宿題に追われていた。
そして七月の末、新潟県で集中豪雨が起きた。只見線は橋梁が流失し、磐越西線も被害を受けた。しかしその時点では、この豪雨が私たちをも翻弄するとは、思いもよらなかった。

八月五日から、私は沖縄へと旅立った。
五日間の旅行を終え、帰ってきた私を出迎えたのが、またもやK君から衝撃的な発表であった。まったく、K君の情報収集のおかげで、我々は大いに助けられ、そして寿命を縮めている。
その知らせとは、七月の集中豪雨に関するものだった。私はすぐにはピンとこなかった。今回私たちが乗車するルートで被害を受けた線区はないはずだったからである。
しかし、上越本線を通る長距離列車が運休しているのを、迂闊にも私たちは見落としていたのだ。それとはすなはち、「えちご」のことである。一日目に新潟まで移動できなければ、高山本線に乗車することができず、二日目の日程の全面的な見直しが迫られる。
私たちはすぐにその作業に取りかかった。もっとも、ベイロ君は北海道で休養中である。私は宿題に追われながらもK君と集まった。
「えちご」が使えないということは、すなわち夜行連泊ができないことを指す。今からでは「ながら」の指定席が購入できるわけがない。そのほのかな期待も、えきねっとでの空席照会で打ち砕かれた。
とうとう我々は夜行をあきらめ、二日目の朝に再出発するルートの検討を始めた。

そして長い検討の末、浮上したのが「天竜浜名湖鉄道」だった。
「天竜浜名湖鉄道」とは、東海道本線の掛川から分岐するローカル線である。地元の住民からは短く「天浜線」と呼ばれているそうだ。東海道本線がおよそ海沿いの道をたどるのに対して、天浜線は掛川から分岐した後に大きく山側へ回り、新所原で再び東海道本線と合流している。
これではどう見てもただの遠回りである。呉線は沿線に軍港都市の呉を抱えているからわかるが、天浜線はそんなこともない。
この遠回りは、天浜線のルーツである国鉄二俣線が、東海道本線の浜名湖橋梁が砲撃されたときに備えて建設されたという経緯から生まれたものだ。遠回りとはすなわち、浜名湖の迂回であったのである。
結局浜名湖橋梁が砲撃されることもなく終戦を迎え、国鉄分割民営化を目前に控えた昭和六十二年三月十五日に、第三セクター方式の天竜浜名湖鉄道に生まれ変わった。
そんな天浜線であるが、鉄道ファンからは沿線に木造駅舎が多く残ることで有名だ。もちろん我々の目的はそれで、充実したホームページに驚きながら下車駅を絞り込んで行程を組んだ。これなら高山本線乗車の行程に負けずとも劣らない。
宿題に頭を抱えながらも急ごしらえで行程表を作り、この日の集まりを終えた。

しかしもう時間がない。翌日の午前中に再集合し、家付近のバス停からバスで大和田駅へと向かう。もちろん切符を受け取るためだ。
野田線で大宮へ。青春18きっぷは指定席券売機で購入できるのが売りなのだが、豪雨での運休状況を確かめたいから、窓口へと並ぶ。
するとすぐさま駅員が寄ってきて、「何の切符をお求めですか」と尋ねる。
私が正直に「青春18きっぷです」と答えると、案の定指定席券売機に案内された。
私はこの券売機など手慣れたものであるが、その駅員は親切に操作までしてくれた。いざ発券するところで、すかさずK君が「ムーンライトえちごはいつ運転再開しますか」と尋ねる。すると幸いにも、「十二日から再開いたします」との返答。私たちは胸をなで下ろした。
無事18きっぷも購入でき、「親切な対応だったね」などと感想を述べる。まさか後日、同じJR東日本の駅員にあんまりな対応をされるとは、知る由もなかった。
このあと大宮のブックオフに寄り、旅行中に読む本を調達した。もちろん軽井沢の某作家の本である。これらの本こそ、直にあんまりな駅員の対応を受けることになるのである。
これで準備は完了した。あとは、旅行で疲れたベイロ君と、高崎で無事に合流できるかというところだけが不安材料であった。(第2部に続く)

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