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一元論と非二元論の考察

インド哲学的「一元論」と大乗仏教的「非二元論」を
イメージ化してみました

以前から「非」二元論って意味が
いまいちホワッとしていたのですが
先日「エッセンシャル仏教」
なる海外の人の書いた本を読んで
やっと納得できたので絵にしました

どちらも「私」というものは
どこか?何か?といったような
ものを論じている最たるものなのですが

その問いに対し一元論は
「自分の感情も、容姿も、その他、感じ取れるもの全て私ではない」
という立場をとっています

つまり、玉ねぎのように全てのまわりを剥がしていって
一番中心にあるのが「私」であると

つまりつまり、中心にある
「核」となる「何か」を「私」ととらえている
それが一元論です

この「私」の概念をユング
心理学的な言葉で当てはめると
「私=自己」
という事になると思います

しかし、逆に非二元論は
「あれも、これも、それも全て私である」
という立場をとっています

そして、中心には「空(くう)」を
置いているという点が大きい

イメージとしては、
新宿とかを歩いていたら外国人に
「東京はどこですか?」
「えっ?東京駅のことですか?」
「いえ、駅ではなくて、東京の事です」
と聞かれるようなものです

そして、中沢新一さんがアースダイバーの中で
書いていましたが

「東京」は、中心に皇居がある
円形の作りになっているんですね

皇居は、東京の何か?という
「空(くう」なんです
何もかも詰まっているけれど
何もない

そんな空が中心にあるという
世界観が非二元論なんです

これを象徴するような
ユングのエピソードがありまして

ユングは講義中に「あなたの言っている自己とは、結局なんなのですか?」
と生徒に問われた時に

「ここにある全てです」
と答えたそうです

ユングは、自己とは自分が認識できる世界の全てをもって
構成されていると考えていたのだと思います

しかし、面白い事に
後に河合隼雄さんがユング研究所
の卒業試験で、その時の担当
教官に「ユングが言う自己とは?」
という質問に対し

「全てです」と答えると
教官は激高し「じゃあ、この椅子も自己なのですか?!」
と大喧嘩に発展してしまい
卒業を危ぶまれたようです

一言で「自己(セルフ)」といっても、
ユングも生前中に取り扱いが変化していたようですし

その後のユング研究所もその過程で変化しつづけて
いても不思議ではありません。

それにしても玉ねぎをむいていって最後に残るのは
「一つの有る以外何もない」
とする一元論と

「何もないを中心にして全てが有る」
とする非二元論

どちらも面白いと思います。

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