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On My Own と オンマイオウン 中西アルノの歌唱から

中西アルノのOn My Own、打ちのめされました。
思うことが多くあり、書き殴っておこうと思いました。
彼女にとってのレミゼラブルの原体験がまず映画版にあり、そこからの発展、リスペクトからこの曲を歌いたかったと。
素晴らしさを超越して、自分の中の、自分にとってのレミゼラブルとは何か?について図らずも考えさせられる機会となりました。

当然、オンマイオウンとして歌う選択肢がまず最初にあったのだろうと思います。実際、のちに知ることになるのですが、やはり当初はオンマイオウンとして準備が進行していたところ、かなり直前になってOn My Ownになったと。黒沢さんも少し心配したと語っていました。
(オンマイオウンを歌う人はそれなりにいて、それこそ佐藤雄大さんのアレンジでは三村妃乃が歌ってたり。)

直前にどうして選択が変わったかについて、番組の中では「オリジナルリスペクト」と短くしか語られていないんだけど、この判断に関わる機微が、それこそが、今回のアルノさんの歌唱その素晴らしさの肝だったのではないかと思う。

Penthouseのギター、矢野慎太郎氏がご自分のポストで「”会いたい”の歌唱を併せて見てほしい」と述べてるんだけど、ほんとは本編歌唱部分だけではなくて、放送終了後に配信される特典映像中のコメントのなかに彼女の音楽への関わり方が見えていて、本番2時間前に突然の事情から会いたいを歌うことになって、「そんな短時間の付け焼刃で歌えるような曲じゃないことはわかっている」と少し怒りや悔しさを交えたような言葉を残していて、ここに、中西アルノという人が曲(音楽)に対してきちんと畏れを抱ける人であることがあらわれている。
きっと、この曲歌ってくださいと言われればなんだって歌えるくらいの人だとは思うんだけど、自分の中で一線を引いている部分、一歩下がっている部分があるのだろうと。それが畏敬であり、「オリジナルリスペクトです」と短く答えた部分には、自分の中の最初の衝動に忠実であろうとしたことと、ほんとにこの作品への畏敬の念があったのだと思う。遠慮も、畏れも抱きながら、でもこの作品世界に挑んでみたい好奇心もある。これがほんとによかった。

On My Ownをオンマイオンとして歌う時に、整理が少しつきにくい部分、感情が整理しにくい部分もあるような気がする。よく言われているのは”愛してる”の歌詞はI love youに結びつきやすいけれど、この曲がI love himとなっている理由を考えた時に、愛してるという歌詞にそのニュアンスを移しきれるのかということ。Without himとWithout meが係っているところの乗せ方や、The riverがa riverに変化するのは何故か?そうした細かい部分を日本語に込めて歌うこと表現することの困難さや混乱に誰しもぶち当たるのだと思うし、何より英語の発音がアルノさんの強みであることに自覚があったのだと思う。番組でアルノさんを知った人には驚きであったかもしれないけれど、僕らはこれまでの彼女の歌唱の中でそれを既に知っている。
On My Ownとして歌うことはその意味でもほんとによかった。

そして、あらためて岩谷時子訳のオンマイオウンに思いを巡らし、その素晴らしさ、奥深さに二重の感動を覚えることとなる。この週末にオンマイオウンを歌う(収録済)乃木坂46の先輩、生田絵梨花はその岩谷時子賞・奨励賞の2017年受賞者でもある。5期生の活躍に対して、”継承”という言葉がよく使われているけれど、継承を踏まえつつ、さらにひとつ進んだ段階にきていることをアルノさんのOn My Ownは教えてくれている。

奥田コゼット、中西エポニーヌ、生田ファンテーヌという未来があるか?というところまでは思っていないしそこまでの期待はしていないけれど、もしかしたらそういうことがあっても不思議ではないかもしれない。そういう及びもつかないようなことを乃木坂はこれまでも成してきた。

話しはかわるけど、それぞれにとってレミゼの原体験っていつですか?どの作品ですか?レミゼの魅力ってなんですか?どうしてですか?

僕は小学校1年生の時、学校に巡回劇団?の人たちがやってきて、体育館で「銀の燭台」という題の劇を体操座りで観たのが最初のレミゼラブルです。小学1年生ですから「銀の食パン」と思っていて、ずっと食パンがでてこないのでいったい何の話しだったのかよくわかりませんでした。主役の人が何回も、「上から読んでもジャン・バル・ジャン、下から読んでもジャン・バル・ジャン」というセリフで生徒を笑わせていたことだけよく覚えてます。燭台というのがロウソクの台であることはずいぶんと後になってから知ります。
ちょっと飛ばして、高校3年の時、関学の学祭に行ったときに英語劇のサークルの発表を観にいって(好きだった先輩がいたのでそれ目当て)、そこで15分ほどのダイジェスト劇として演じられていたのがレミゼの曲に触れたのはここが最初。まだ日本で公演化される前のかなり早い段階でした。(今思うと、関学の英語劇サークルすごい)
会社員になってからはレミゼを含めてかなりの勢いでミュージカルを観ることになるのですがそれはいいとして。

レミゼをいまでもずっと好きなのはなぜなんだろう?

たぶん一生わからない。
枕詞というか、必ず引用されるビクトル・ユゴーの名言で

この世に無知と貧困がある限り、この種の物語は、必要であろう

ビクトル・ユゴー

というのがあるけれどこの切り取りには少し違和感もあってその前段の言葉を踏まえるとちょっとこの枕詞のニュアンスってそこまで風呂敷が大きくないような気もしてる。ただ、世界中数十か国でここまで永く演じられているのはそこに人間の確たる普遍的なテーマがあるからだと思う。自由と平等を求めて立ち上がる人々に共感する心、同時にそういう人たちをいとも簡単に見捨てるような薄情さも持ち合わせる自分たちのこと。ミュージカルの中ではそれほど描かれてないけど決して聖人一辺倒ではないバルジャン、真人間になろうと決心した瞬間から少年の銀貨をあれしようとしたり、法廷に行って無実の男を救おうとするんだけど自分が捕まったら工場の労働者が路頭に迷うから行かなくても許してくれるよねと、いったん自分を正当化するバルジャン、下水道でマリウス背負ってがんばるけれどまだマリウスを本気で認めていない実は嫉妬深いバルジャン。ほんとは人間はゆらゆらしてる。

ある時貴族だった人が時代の流れで物乞いになったり、その逆だったり、そしてまたそれがひっくり帰ったり、世の中の価値観が目まぐるしく変わる中で信念を持つことの難しさ、その脆さ、信じる価値と人としての正しさ、なぜジャベールは自死しなければならなかったのか?そのあまりの切なさにジャベールが歌いあげるstarsを僕は涙なしに聴いたことがない。テナルディエでさえ、だれも悪人ではない。悪人かもしれないけどその前に善人も悪人も人間なのではないか。どこまでも人を人として肯定する慈愛、(宗教観を含めた)人間に対する賛歌なのかなと。

魅力は多くあるけれど、織りなす人間模様と演劇、舞台装置、音楽、場、空間としてミュージカルとしてのレ・ミゼラブルがいちばん好き。
アルノさんのOn My Ownは自分の中のいろんな感情を掻き乱していって、そして明日をまた生きてく元気をもらえたような気がした。
そのことにちょっとだけお礼を言いたかった。
アルノちゃん素晴らしかったよ、ありがとう、と。

                      (だいせんせ)

追記:
生田絵梨花が乃木坂のオーディションで歌った曲は「夢やぶれて」であるがオリジナルのI dreamed a drean の中にでてくるTigerという歌詞は”狼”に変換されている。このオリジナルの性質を損なうことなくニュアンスを届けること、日本語への返還作業、あらためて岩谷時子訳の偉大さに思いをあらたにする。このあたり森久美子氏もすごく熱心に語られていたのを思い出す。

余談:①
上白石萌音がテレビで歌った斉藤ネコさんアレンジのOn My Ownもまたあまりに素晴らしい。

放送(収録)2回目からアルノちゃんのマイクがワイヤードに変わっている。ちなみに乃木坂スター誕生の中でワイヤードで歌ったゲストは辛島美登里とゴスペラーズだけ(のはず。

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