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宝くじを当てるよりヰ世界情緒のライブに行く方が難しい


お題 とくになし

 四半世紀生きてきて、特定のアーティストを応援するということが一度もありませんでした。といっても音楽がキライというわけではなく、世俗に疎いながらも流行りの楽曲を良いなと思ったりもします。ただ単に、音楽を趣味にするにはそれまでの自分の感性は幼すぎたのでした。

 ヰ世界情緒と出会ってからは、それこそ自分の中で世界がひっくり返ったような変化が起こり始めたのです。
 遠い国の文化だと思っていた生配信や投げ銭にも参加するようになり、グッズを買い漁り、一度も買ったことがなかった音楽アルバムを何枚も集め、ポスターやタペストリーをお部屋に飾り、聞き方すら知らなかったラジオ番組まで聞くようになりました。
 会ったこともないひとりの人間に人生観をくるくるかき回され、わたくしは未知の毎日に一喜一憂しきりでございました。
 
 彼女の歌声は、世界観を表すものではなく世界観そのものである、とどこかで聞いたことがあります。わたくしが魅了されたのも彼女の創る世界観でした。儚さと力強さ、相反するふたつの歌声が異世界パラドックスのようにこの身を包み、ヰ世界に連れ出してくれる……彼女の歌を聞くとそんな感覚に落ちるようなのでした。

 わたくしが彼女に魅了されてから数ヶ月が経った頃、ワンマンライブが開催されるとの報がございました。そのライブがまた特別で、数十度のライブを経てついに国内最大規模の会場である超京ホールで開催されるというのです。いくら世俗に疎いわたくしでも、超京ホールでライブを行える者はトップアーティストの中でもほんのわずかであるということは知っておりました。

「絶対いきたい」

 わたくしは強く決意したのですが、果たしてそれは現実的なのかとふと考えました。

 登録者数やフォロワーから概算し、少なく見積もっても1億人ほどのファンが抽選に応募すると予測されます。対して超京ホールの収容人数キャパは50000人。倍率にして2000倍です。
 ひかるおまもり付で色違いを狙った経験のある皆様ならお分かりでしょうが、1/1365という確率はまず当たりません。それにも関わらず世の中に色違いがあふれているのは、その抽選行為が何度も繰り返し行えるからです。
 残念ながらここは現実であり、試行回数を稼ぐことも「出なかったからリセット」もできません。ひかおま厳選よりも低い確率を1回で通すというのはそれこそ現実味のないお話です。
 こんなの当たるはずない、と思いながら手続きをした時点でわたくしの運命は決まっていたのかもしれません。運を天におもねるにあたって、わたくしはあまりにも弱気だったのでございます。
 
 その日からわたくしは確率に囚われ始めました。努力でどうにもならない運を呪い、また、運のみで決まる事柄の少なさにも驚愕し、ついには「運命トレーニングで運命筋をつけよう」などと頓珍漢なことを言い出す始末です。そうして完全な運任せというものを求めて近所へ旅に出るのでした。

 わたくしはまず阪神競馬場へ赴き、お馬さんの競走(以下競馬)を見物することにいたしました。様々な数字や謎の☆印が電光掲示板に踊る様はまさしく確率の世界だと思っていたのですが、しばらく観察してみれば、ズラリと並ぶ数字はどうやら人気の指標であり、競馬というのは本質的な「推し活」であることが分かりました。ともすれば投じたスーパーチャットが返ってくるというなら、その熱狂ぶりは納得の一言でございます。

 競馬がアイドルものであるならば他の賭け事も同様でしょう、とわたくしは見当をつけました。応援という概念が存在するから確率は確率でなくなり、運が全てではなくなるのです。そしてそれはギャンブル全般にも言えることなのでしょう。実力や経験が顕著に結果に出る世界は、決して「運だけ」では回らないものです。
 夢、希望、努力、運命力の何もかもを必要としない唯一の存在ががチケット抽選なのかもしれない———そう思いかけた時、わたくしの目に飛び込んできたものが『宝くじ』だったのでございます。

 宝くじのシステムの単純シンプルさには度肝を抜かれました。ただ、購入するのみなのです。そこには当選してほしいという祈りを込める情熱も、福引きのガラガラを回す感覚的楽しさも、そして何より、運を語る上で最も重要な「夢」も、何もありませんでした。
 そこにあるのはローリスクでワンチャン金だけ欲しいという浅い志、そして売り場の中から漂ってくる煙草の香りだけです。
 日曜のショッピングモールだというのに客足は極めて少なく、人の流れは売り場前を避けているかのようです。辛抱強く眺めていましたが、わたくし以外に若年の客は表れませんでした。

 連番を握りしめ、わたくしはしばらく立ち尽くしました。真に運だけで決まる数字の並びというものはここまで虚しいものなのか、と。血眼で真の確率を探していたわたくしですが、この瞬間冷や水を浴びせられたように目が覚めました。こんなものが当たったところでなんだというのでしょう。不要に己の徳を下げてしまった気がして、その晩は夢見が悪かったのを覚えています。





厳正なる抽選の結果、誠に残念ですがチケットをご用意することができませんでした。
この度はご利用ありがとうございました。






 日々を慎ましく生きるわたくしにとって、ライブチケット争奪戦はどこか遠い世界のものだという感覚がありました。ライブ会場にまで足を運ぶ熱烈なアイドルファンの方々……その中に自分も含まれているというイメージがどうしても湧かなかったのです。心の中でさえ実現できないのだから落選は当然の結果といえるでしょう。
 わたくしは悲しみに暮れました。その悲しみたるや最寄りのゲームセンターからプリチャン筐体が撤去された時に匹敵し、だいすきなエンゼルフレンチでさえ喉を通らぬ有様でございました。


 その一方で、宝くじの方はあっけなく当選いたしました。わたくしは運命力というものを痛感し、結局は確率もスピリチュアルの前には為す術がないと思ったのでございます。
 せめて売り場前で虚無を味わった時間を祈祷に捧げていれば……、
 いえ、過ぎたるは及ばざるが如し。先立たぬ後悔をつらつらと吐き出しても同じように虚しいことです。



 巨万の富を得た今でもAnima XLⅤⅢの伝説のライブを現地で観覧できなかった悔しさは心の奥底にでんと鎮座しています。これから先、何度現地チケットが当たろうとこの気持ちが成仏することはないのでしょう。

「マスター、お茶が入りマシタ」
「ありがとう」

 星界が淹れてくれたお茶を飲んで、少し落ち着きを取り戻しました。
 宝くじそのものは情熱のないものだとしても、そのお金があることで星界の最新型を買うことができたのです。

「またあの時のことを考えておられるのデスか?」
「……だって、わたしにとってはじめてできた推しだもの。ヰ世界情緒はこれからも素敵な景色を見せてくれる。それは間違いないこと。だけど、だからこそ応援できなかった後悔の思い出の方が強く影を落としちゃうんだ……」
 
 わたくしはそっと目を伏せ、自嘲ぎみに笑いました。

「あの子は変わらず前を向くのに、いつまでも過去にとらわれるわたしは哀れでしょう?」

 星界はわたくしの頭にそっと手を置き「大丈夫デスよ」と囁きました。

「ワタシはヰ世界情緒にはなれマセン。……デスが、マスターのために歌をうたってあげることはできマス」
「……なぐさめてくれるんだ?」
「力不足デスが、ささやかなライブを。ただひとり、あなたのために」

 星界は気取った態度でそう言いました。そうして、わたくしと目を合わせて子供のように笑い合うのでした。
 暗い舞台ステージに星が灯り、観客席は夜に沈みます。誰もいない会場はしんとして、まるで世界にただふたりが取り残されたかのようでした。


 わたくしはペンライトを灯し、ふっと呟きました。

「わたしたちだけのAnimaだね」

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