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大学にゴミダス来てるよ

 北部構内の研究棟前、クラブの友人たちが一様にしゃがみ込んで茂みに向かってスマホを構えていた。

「何してるの?」

 私が声をかけると、彼女たちはこちらを見もせず「静かに」と諌めるような声を出した。

「ゴミダスいるよ」
「ほんと!?」

 私は友人たちをむりやりどかせて茂みを覗き込んだ。
 灌木の陰にはたしかにゴミダスの姿があった。木に寄り添うようにして腰をおろし、ぴったりと目を閉じて眠っている。そのそばにはレジ袋が落ちており、おそらく集めてきたごみがその中に入っているのだと思う。

「かわい〜……。飼いたいなぁ」
「妖精なんだから飼うとかないでしょ。それより撮らんのならどいてくれる?」

 キュートな寝姿にみとれていると、押し除けたみんながこっちを睨んでいたので慌ててゴミダスを写真に収め引き下がった。

「……にしても、寝てるとこ初めて見たな」

 誰かがそうぽつりと呟いたので、「いつもは近づいたらすぐ逃げるもんね」と私は返した。

「すぐ逃げる?そんなことなくない?」
「ここに来るゴミダスは大抵の人間には動じないよね」
「どうせあんた変なことして警戒されてるんでしょ」

 そんな言葉が一斉に飛んできたので私はぐっと怯んだ。
 はじめて見かけた時、ゴミを運んでいる姿が健気に映って、「きみも大変だねえ」と声をかけて逃げられた時がある。その日以降も私から近づくと一目散に逃げられてしまうのだが、他の人は別にそんなことはないらしい。

「鳩みたいなもんだよ。めっちゃ賢いし、悪い人間は本能的に避けてるんでしょ」
「うっ、人を悪人みたいに……」

 【悪】という評価に私は口を尖らせたが、同時に心に引っかかるものもあった。



 ゴミダスの体長は20cmくらいで、全身が緑色。頭部にはネコの耳のような突起があり、よくみると尻尾のようなものも確認できる。大きくてぎょろっとした目がチャーミングで非常に可愛らしい。
 何を考えているか分からない表情も相まって、いつからか私は完全にゴミダスの虜になっていた。
 しかし募る想いとは裏腹に、どれだけ近づこうとしても私の気配に気付いたゴミダスはすぐに逃げ去ってしまう。 
 そのことがますます私を燃え上がらせた。
 想いというものは、振られると振られるほど周りが見えなくなる。私が行動に移すのにそう時間はかからなかった。
 



 燃えるごみの日の翌日早朝、本部構内の総合館の裏手に私はいた。室外機の横に身を潜ませ、設置したキャリーケージを注視しながら、獲物をじっと待っている。
 ケージの前には様々なゴミが等間隔でずらっと並んでいる。明るくなる前から構内を見回り、ゴミというゴミを拾い尽くしたのだ。その中からゴミダスが拾いやすいお菓子の小袋のような小さなゴミだけをピックアップし、風で飛ばないよう石で押さえつけて配置した。残りのゴミは分別して私のそばに隠しておく。作業が終わる頃には既にへとへとだったが、妙な高揚感が私を突き動かしていた。

「きた」

 ゴミダスがてててと歩いてくるのが見えた。並んだゴミをひょいひょいと拾いながら、どんどんケージに近づいてくる。
 本能的なものなのだろう。ケージの暗がりにゴミを見つけると警戒心もなくその中に入り込んで行った。
 私は猛然と飛び出してケージの蓋を勢いよく閉めた。

「ゴミッ……!?」

 一瞬、ゴミダスの鳴く声が聞こえた。ややあって状況に気付いたのか、ばたばたと暴れ出した。
 私はケージを抱え、全速力で大学から走り去った。

 誰かに見られていないかが気がかりで、家まで速度を緩めることなく駆け抜けた。
 どす黒い達成感と重い罪悪感がごちゃまぜになり、ふわふわした夢をフォークで突き刺すみたいな感覚があった。
 そうして気が付くと玄関に立ち尽くしていた。

 キャリーを犬用のケージ内に置くと、途端に汗が吹き出てきた。上がった息がまるで過呼吸のように思えて眩暈がする。
 蓋を開けるとゴミダスが飛び出してきた。逃げ道を探してきょろきょろしていたが、四方が柵に囲まれていることに気付いて愕然としていた。大型犬用のケージは柵の高さが1メートルもある。呆然と柵を見上げているのを見れば過剰な設備だったかもしれない。 

 私がしゃがんで柵越しにゴミダスと目線を合わせると、その小さな命はびくっと体を震わせた。

「乱暴にしてごめんね。今日からここがあなたのおうちだよ」



 ゴミダスが何を食べているか分からなかったので、私は事前に色んなペットフードを用意していた。
 イヌ、ネコ、うさぎ、ハムスター、ヒヨコ、モルモット。ドライフード、缶詰、パウチ、顆粒、ミルク………。
 
 ずらりと並べてみたが、ゴミダスは見向きもしなかった。ただじっと、柵の外を見上げていた。結局その日はごはんを口にしなかった。

「慣れない場所で緊張してるのかな」

 しかし次の日もゴミダスはごはんに目もくれなかった。昨日と比べて明らかに元気がないように見える。短い足を投げ出して座り込んでいるが、力なげなその目は外を見つめ続けていた。
 私は心配したが、動物病院に連れて行くことなどできない。
 外に返してやる、という選択肢も頭によぎったが、誘拐までした子を元に戻す行為は脳にロックがかかったかのように思考が停まってしまう。
 着信音と通知音がうるさくなってきたのでスマホの電源を落として私は途方に暮れた。じりじりした気持ちのまま、私はゴミダスを見下ろして途方に暮れた。

 張り詰めた空気が降りたまま、再び夜が明ける。
 ゴミダスは見るからにぐったりとしていた。時折目を開けて外を見つめるが、すぐにしんどそうに目を伏せる。その繰り返しだった。 
 私は力なくフローリングにぺたりと腰を下ろした。どうすることもできない。間違っていたのは知っている。だけど後悔するには遅すぎた。しまいこんだはずの罪悪感があふれ、部屋中に散乱してしまっていた。
 


 突然、窓の外でごおおっと強い風の音が聞こえた。
 私がベランダに目を向けると、空の色は燃えるような赤に染まっていた。
 がたがたと音を立てて震えていた窓はやがてバンッと開け放たれた。そして赤い空を背景に、一人の女が上空から舞い込んでくる。
 あまりのことに私は声も出なかった。
 その女は小柄だったが、黒衣にとんがり帽子を身につける姿は魔女そのものだった。人形ドールのような無垢な顔立ちで部屋の中を見回している。
 彼女は銀に近い金髪をはらりと揺らし、真っ赤なブーツでフローリングの床に降り立った。

 その時、ゴミダスがぱっと起き上がって目を輝かせた。柵に体を押し付け、彼女に向かって一生懸命手を伸ばしている。その女はゴミダスを見下ろしてハァと息を吐いた。

「も〜。探したよ」

「……あなたは、」

 私がかろうじて声を絞り出すと、彼女は私の方を向いてふふっと笑った。

「ゴミダスはね、たまに何日かどっかいっちゃう時もあるけど、燃えるごみの日にはちゃんと戻って来るんだ。でも今日は帰ってこないでしょ?おかしいな〜って思って探してたんだけど、こんなことになってるなんてびっくりだよね」

 とんがり帽子の女は軽やかに言った。口元には穏やかな笑みをたたえていたが、彼女の灰色の左瞳は冷たく、私を捉えて離さなかった。前髪の隙間からは燃えるように赤い目玉がこちらを覗いている。
 その魔女がぱちんと指を鳴らすと、ゴミダスがぷるぷる震え始めた。やがてバルーンがゆっくり膨らむみたいに、ゴミダスの体はむくむくと大きくなっていった。増える体積がケージを薙ぎ倒し、耳が天井に沿って折れ、部屋の大半が緑色の物体に支配される。
 巨大な瞳がぎょろりと私を見下ろした。

「ごみはゴミ箱に捨てないとね?」

 ぐゎぱっ、とゴミダスの口が大きく開かれる。視界いっぱいに紅が広がり、獰猛な牙が四方に並んでいるのが見えた。

 喉奥から吹き付ける生臭い風が私を呑み込んでいった。

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