文化祭の話(サラリーマンの備忘録)

芸術的なセンスがない。小学校の頃から全く。絵にしても工作的なものにしても。小学1年生の頃、さつま芋掘りの絵を描き、市内だったか地区内だったか、何らかの賞をもらったが、それがピークであった。先日見返してみたが、子供らしい元気一杯の絵であった。決して技術が評価されたわけではない。

芸術センスが足りていない、もはや子供らしさではカバーできない、ということにすでに気づいていた小学4年生の頃、近所に高速道路の建設が始まった。その工事の際、出てきた粘土質の土が焼き物に適用できそうだ、ということで毎年11月に行われる文化祭に、その土でつくった焼き物を展示することが決まった。気は乗らないが、子供の作る焼き物であれば、絵よりも出来にも差は出ないだろうし、幾分安堵した記憶がある。

子供に作れるものといったら、概ね皿かコップ程度が相場で、私もコップを作成することにした。図工の授業で一生懸命に作成したが、我ながら無難で面白みのないコップが出来上がった。側面に絵や名前等を書いて個性を出す友人もいたが、余計なことはしないに限る。今思うと割と実用性に優れた作品だったようにも思う。

各位が作り上げた焼き物は、業者の窯で焼き上げるのではなく、学校のグラウンド脇にある草むらで火にかけることになった。たしか外部の力を借りず、学校区内の設備や材料で極力仕上げましょう、というのがコンセプトであったためだと思う。文化祭を目前に控えた日曜日、朝から晩まで保護者が交替で火の番をしつつ、我々の作品は焼き上げられ、その日の夜に保護者に連れられ作品の回収に向かった。

釉薬なんかも塗られておらず、正式な窯でもない野焼きで出来上がった我々の作品は、一見すると縄文土器のようであった。陶芸作品のような仕上がりを期待した我々は、その出来に正直落胆したが、それでも各自自分の作品を回収すると、夜に友人と会える非日常感もあり、テンションはMAXの状態であった。花火も用意されていて、我々の気分の高揚にさらに拍車をかけていた。

友人たちが花火を楽しむ頃、私は数日前に仕上げた面白みのないコップを探していた。周辺をくまなく探すも、それらしきものが一向に見つからない。これ以上のモタつきは、周囲に異変が露見して話が大事になる恐れがある。目立つのは嫌いだし、大した出来でもない作品を皆に探索されるのは避けたい。

焦る気持ちを抑え、必死に探した結果、私の作ったコップの底の部分ではないか⁇、という土器が出土した。というか、もはやそれ以外に出土したものがなかった。時間的にも周囲は一時のハイテンション状態を過ぎ、そろそろ帰宅する人も出始めている。何らか文化祭に展示する作品を用意する必要もあり、もはやコップの底を作品とするしかなかった。

後日、出土した土器に名前をつけることとなった。文化祭に展示される際のタイトルになるのである。それぞれお茶碗とかサラダボウルとか、思い思いのタイトルをつけている中、私は悩んでいた。元々はコップであったのだが、底だけとなった土器では水は1cm程度しか入らないであろう。コップと言うには無理がある。作品にタイトルをつけるだけなので10分もあれば終わる作業で、そろそろ授業も次の課題へ移る雰囲気だ。早々に何らかの対応が求められる。

結果、コップの底は灰皿という名で文化祭に展示された。我ながらまずまずのリカバリーだったように思うが、息子の展示作品を見た両親は、芸術センスの欠如に驚愕したらしい。芸術センスの問題というか、不運だっただけなのだが、センスがないのは事実なのでそう思われても致し方ない。文化祭の終了後、そのコップ改め灰皿は、長らく家の庭に放置されていた。中学、高校と年を重ねても、時々庭で目にしては微妙な気持ちになっていた。

さて32歳を迎えた今年、灰皿が見当たらなくなったと母親から連絡があった。どうやら土に還ったようである。長い間お疲れ様でした。

#文化祭 #小学校 #サラリーマンの備忘録  

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