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5/24 ここ数日の総括

5/15 読書会 Faulkner "A Rose for Emily" 1回目

マルガリさんとフォークナー「エミリーに薔薇を」を読む(原文)会をした。「エミリーに薔薇を」は、フォークナーのエッセンスが凝縮されたような短編で、アメリカ人も学校の授業で読んだりするらしい。(ソース: https://www.youtube.com/watch?v=PM4SHvHjXZAのコメントに、「授業で読んだ」というコメントがいくつかある)

『響きと怒り』や『アブサロム、アブサロム!』のような重層的な語りの構造などはないが、フォークナーの問題意識の根幹がこの短編によく表れている。在りし日の南部とともに死ぬエミリーの姿を見つめる、作家フォークナーの視線はもうそんな風に死ぬことのできる時代ではないのだという諦観に満ちている。

5/17 ナポリタン + 夜4時間ほど配信

この日ぐらいからベター・コール・ソウルを見直し始めてしまった。おそらく3周目くらい。重要なシーンは見直すので回数にムラがある。ベター・コール・ソウルおよびブレイキング・バッドは面白すぎる上にそういえばあのシーンは、となって結局可処分時間をドカ食いするので最悪で最高のコンテンツ。Netflixで観てね。

夜はナポリタンを作って食った後配信した。

5/18 朝配信 + 読書会 Faulkner "A Rose for Emily" 2回目

この日は書くことが多い。朝から7時間くらい配信をしたが、ブラジルの人が来てくれて、勉強し始めのスペイン語(ポルトガル語圏の人にはスペイン語が一定通じるらしい)が伝わって嬉しかった。Twitchは日本人よりも外国人(しかも日本に興味のある外国人)が多く、そういう意味では語学のモチベーションをくれてとてもいい。

こっちは読書会のほうのアーカイブ。

マルガリさんが座間で起きた猟奇殺人事件が脳裏にちらついてエミリーに生理的嫌悪感を抱いてしまうと言っていたのが面白かった。面白いというか、この短編がよく文学の授業に用いられる理由が、文学作品に対して、現実に対してするような価値判断をただちにすべきでない、ということを教えることができるから、というのがあると思うのだが(この場合は、この短編を理解するためには、エミリーを単なる殺人者として裁くこと/読者に裁かせることを語り手は拒否しているということを、「エミリーは殺人者である」という事実と混乱することなく読み取らなければならない)、まさにマルガリさんはそこに引っかかっているようで、よかった。

文学は現実の劣化コピーではない。文学の中でまで現実を生きる必要はないのである。

読書会の後にマルガリさんに話したことをメモ。「ヴィンランド・サガ」と「異世界転生系」の対照について。「ヴィンランド・サガ」の主人公トルフィンは、若いうちはひたすらに無力で、父を死なせる原因になってしまったり、父の敵に対する復讐も果たせないし、彼の死のときもいっさい何もできない。とにかくトルフィンは無力感に包まれている。ここで「ヴィンランド・サガ」のテーマの1つは「(もっとも自分が重要だと感じている)目の前の現実に対する無力感」と仮にする。

さて、「異世界転生系」フィクションは全く逆で、主人公は目の前の現実が抱えている問題を自らの力でどんどん解決していく。もちろんこれは雑な理解に過ぎないが、読者がそれらを読む動機の1つとして、そうした(現実ではめったに味わえない)万能感や達成感を疑似体験したいから、というのがあると言えるだろう。

ここで、両者に共通する問題意識として、「目の前の現実に対してコミットメントしたい」という強い動機がある。フォークナーは、どちらかというと歴史やかつてあったものに対するコミットメントという感じ。より広い視野でみると、こういったところに「ヴィンランド・サガ」と「異世界転生系」の同時代性が見いだせるかもしれない。

5/21 「感想」を書くことについて

引用元が鍵アカにしてしまったので元ツイートを見ていただけないのが残念。このツイートは「無理して気の利いた感想を言おうとしなくていいんじゃない? そういうのキツいわ」的なツイートに対してのもの。

私は素晴らしい作品の感想を書くのはある種の義務というか、捧げものに対する感謝みたいなものだと思っている。ある意味自己完結的な行為であることは認めるが、一方で、作品を愛した人が創作者の無償の愛に応えないのなら、いったいだれが創作者に報いることができるだろう。

上記はいくぶん美化した表現だが、創作者の孤独について少しは知っているつもりだし、あらゆる感想が創作者の次なる創作の糧となりうることも理解しているつもりだ。それに、私たちは何が面白いとか、何が美しいとか、どうしてそう思うのかとか、そういうことを本当に理解しているだろうか? 私たちは、自分のことも、理解したい誰かや何かのことも、全然理解できていないということを理解する必要がある。

5/22 久しぶりに酒@中目黒

午後から中目黒で暴飲暴食した。

チャイを飲んだ。

コーヒーを飲みながらひよこ豆のマリネとかポテトサラダを食べた。

その次に行ったここは、行った時には私たちしか客がいなかったが、すごくよかった。また行きたい。ホットドッグを食べ、バドワイザーを飲み、ほかにもコールスローとかNAOKI揚げというやつ(ミョウガと豆腐と卵の天ぷらに手羽先のタレのような甘辛いタレがかかっていた)などを食べて酒を3杯くらい飲んだ。気分が良くなって「今日いまから来れる?」と中央線沿いに住む友人2人を呼んだ。

とてもおいしかった

最後に、ジャンカデリックという、テクス=メクス料理(メキシコ料理をアメリカ人が彼らごのみにアレンジしたもの)の店へ行った。実はここに来るために中目黒へ来ていたのだが、予約していなかったので空席ができるまでさっきの店で待っていたのだった。

ここでさっき呼んだ2人を待ち、フローズンマルガリータを飲み、チキンケサディーヤを食い、ファヒータとかフライドポテトになんかいろいろかけたやつ(名称不明)などを食った。もうこの時点でめちゃくちゃに満腹だったので、あまり食べられなかったのが残念だが、呼んだ2人が空腹でいっぱい食べてくれたのでよかった。

どう見てもうまい

いい感じに酔い、楽しかった。中目黒にはいい感じの店がまだまだいっぱいありそうだったので、また行きたい。

5/24 AVを買った Better Call Saul 6-7視聴

買いました。みなさんもぜひ。

ベター・コール・ソウルの最終シーズン前半の最終話を観た。あまりにも衝撃的な内容なのに、it is writtenという感じの説得力がある。すべてはこのときのために準備されてきたことだったんだという感覚になった。ネタバレは避けるが、この回を見るためだけにブレイキング・バッドから全話を見てきたとしても損はしないと思うくらいのすごい回だった。

この総括を書き始めるときはいつも「今週は書くことないな」とか思うのだが、書いてみると書くべきことは多く、いままでどれだけのことを忘却してきたのだろうと思うと悲しくなる。

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