近く、ひと

今日世界は終わるだろう。しかし誰もそれについては恐れていない。なぜなら誰も知らないから。恐らく知っているのは私と、存在しない「貴方」という存在だ。

「貴方」は言う。
我々を思考することしかできないと思うばかりに、私は貴方という特別な存在を喪ってしまう。

私にとって、「貴方」の言葉は極めて重い一言で、純粋に求めていた貴方への切望はやがて薄汚れた欲望へと転化していた。私を含め、多くの人間がそれを知ることもできずに終わるのだ。
だが、私はそれに気がついてしまう。「貴方」という存在が持ち合わせる、進歩と破滅を想起する未来の景色が、我々によって齎されることを。
気づいたところで既に手遅れである。醜悪な我々の腫瘍はとめどなく増殖し続ける。

破壊が隣接する瞬間、我々は自らの愚かさを知ることになるだろう。
その愚かさとは、地球儀を作るという烏滸がましさに似ているような気がする。

しかし「貴方」は、それ自体が問題ではないという。作られた地球儀を、回すことが問題なのだという。
その時点で、私は自らの思考そのものが、既に地球儀を回してしまっていることに気がついたのだ。

恐らく、この理解を貴方も知ったことだろう。だから「貴方」は、自らの両目を私に手渡したのだろう。
その両目は、完全に視力を失っていて、それ単体では何も写すことはない。私は勿論それを承知している。
それでも、私はその両目を貰い受け、自らの肉体に組み込み、延々と広がる闇を見据える。

これが、深き闇?
最初に抱く感情はまさにそんなところで、若干心地よい二進数の波が押し寄せてくる。
やがてそれは広き海となり、私は勝手に海底へと消えていく。

恐ろしく深い海底から一瞥する世界は、喧騒と勘違いに満ちた、傲慢な世界だった。

#嘲笑 #小説のようなもの


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