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B'zと私①

私が田舎の小学生だった頃。4年生か5年生の時。

私の実家は、日本の真ん中辺の山の中にある田舎にあり、私が地元の高校を卒業して家を出るまでは、父、母、私の3人で暮らしていた。

私は兄弟がいない「ひとりっ子」であるが、ひとりっ子の特権を特に感じることもなく、この歳まできている気がする。

特に、家が貧乏だったとか、何か特別に不自由を感じていた、というわけではない。

ただ、母親は、やや潔癖なところがあり、一人娘の私に対する躾が厳しかったように思う。

「ひとりっ子」って、何でもかんでも好きなものを買ってもらえそうなイメージがあるが、世の中にはそういうひとりっ子の方もいると思うが、私の家は違った。

当時、ファミコン、スーパーファミコンといったテレビゲームが流行っていて、私もゲームが欲しくて欲しくてたまらなかった。

でも、買ってもらえない。

それは、ゲームだけでなく、音楽に関してもそうだった。

当時は、音楽を聴く媒体としては、CDが主流だった。

レコードやカセットテープもあったが、周りがCDを買ったり聞いたりしている中、我が家はカセットテープを、しかも、父や母が聞いていたカセットテープを聞いていた。

覚えているのは、山口百恵やCHAGE&ASKA、あとはテレビで音楽番組を見て、それをカセットテープに録音するという、なんとも原始的な方法で音楽を聞いていた。

それが、ある日突然、パチンコから帰ってきた父が、CDラジカセを手に、帰宅したのだ。

はっきりと理由は覚えていないが、きっとパチンコで勝ったんだろうな、ということは、安易に想像できる。

CDラジカセと一緒に、父親が買ってきたCDは、岡村孝子と竹内まりや。

でも、CDが嬉しくて、夢中になって聞いていた覚えがある。

「あーなたーの夢をー諦めーないでー」

それから、何ヶ月か経過した頃、また、父親がCDを片手に仕事から帰宅した。

そのCDが、何を隠そう、

B'z 『WICKED BEAT』である。

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WICKED BEAT

1990年6月21日リリース、B'z2作目のミニアルバムである。

父親に聞くと、職場の人が買ったか何かで、でも、家にはもうこのアルバムがあったので、譲ってもらった、みたいなことを言っていたような気がする。

当時、このアルバムが新作だったのか、さっぱり記憶にないけど、CDを聴くと全部英語だし、当時の私の心境は、

「え、全部英語。外人なの?この人たち、なんなの?」

「え、4曲しか入ってない。なんなの?」

私とB'zとの初めての出会いは、「一体何者!?」という感じが強かった。

でも、なんだかかっこよくて、とにかく毎日、B'zを聴いた。

実家にある洋間で、ソファに座って、家の目の前を流れる川やその奥に見える山々を見ながらB'zを聴いていたら、いろんな感情が込み上げてきて、当時思いを寄せていた好きだった男の子のことを考えたり、漠然と憧れていた都会のいろんな情景を想像したり、ドラマみたいなのを想像したりもしていた。

これは、ひとりっ子特有の遊びかもしれない。

とにかく、一人でいろんなことを想像して遊ぶのが得意で、その遊びに、BGMがついて、一人でいろんな情景、景色、ドラマ、いろんなことを想像した。

そんな遊びをしていたら、B'zの音楽が自分の体の一部になっているような気がした。

カセットで聞いていた、百恵ちゃんも、チャゲアスも、テレビで見ていた工藤静香や中森明菜や光GENJI、父親が買ってきたCDの岡村孝子や竹内まりやは、たくさんある音楽の中の一つに過ぎなくて、私の世界は変わらなかったけれど、こんなに自分の体に染み付いたのは、B'zの音楽だった。

そして、小学5年生の時、自分のお小遣いで初めて、CDを買った。

それが、『ZERO』だった。

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1992年10月7日リリース。

ハードロック色の強い一曲で、間奏では珍しくラップも入っている。

ラップの部分、なんて言っているのか必死になって聞いたりした。

かっこいい一曲目の次、2nd beatでは、180度変わるくらいの、ポップな曲、ライブでは定番となり、振り付けのある『恋心(KOI-GOKORO)』

この2曲に、私はやられた。

ハードロックのバリバリのかっこいい曲からの、「松本に相談しようか、でも多分冷やかされるからやめとこう」なんて、田舎の男子でも同じこと思ってそうな、こんなポップな曲、同時に聴けるなんて、私はまんまと、B'z沼にハマり、抜け出せなくなった。


これが、私とB'zの出会い。




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