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喉の鍵を開ける


小さい頃、私には両親が全てだった。親にさえ愛されれば人生がうまくいくと、幸せになれると思っていた。違った。

幼いなりに母親は間違っているし、愚かだと思っていた。
敵だと思っていた。

いつも夫婦喧嘩が絶えず、その度に最後には父親を怒らせる言葉を言って叩かれる。わかっているのになんで同じことをしているのか訳が分からなかった。

困ったことがあれば父の影に隠れて他人にいい顔をし、不安になれば父の浮気対策として小学生だった私をスパイとして使う身勝手さ。父と仲良くすると私にまで嫉妬する。「母」と感じたことはなかった。

父も小心なのに、言葉で母に負けるから最後は力で母をねじ伏せる。二人ともなんて低級なゲームをしているのだろうといつもいつも思っていた。

弟は本音を言うから、父は憎かったのだ。暴力で押さえつけ、それはいつも繰り返された。

2才から6才頃、私の意識はすでに大人で、私には子どもの頃がなかった。他の同年代の子どもが無邪気なことではしゃいでいることについていけず、疎外感を感じた。

反抗を繰り返した弟は大学時代に統合失調症になり入院、退院後は嫌がる弟を無理矢理大企業に入れて、その結果28才という若さで亡くなった。

実家から離れていた私に両親は電話で、弟は研修中に「会社で高いところから落ちて亡くなった」と言うだけで、自死なのか事故なのか一度も聞いたことはない。本当のことは話されず、私も聞かなかった。

すべては世間体ばかり気にして、子どもを駒のように使った親のせいだと思った。
あれからずっと私は両親を責める気持ちや自分の無力さに対する怒りがいつも心にあった。

・・・・・   ・・・・・   ・・・・・

アロマセラピストのTさんはある時、弟の波動をとって「弟さんは自殺じゃなくて、これ以上魂に傷がつかないよう呼ばれたのよ。」と言った。

この言葉を聞いて初めて納得できた。弟は死のうとは思ってなかったんだ。ただ彼を守ろうとする何かに呼ばれたんだ。そうに違いないと思い、心が安らいだ。

あの頃、弟のように本音を言う勇気は私にはなかった。両親に従いながら、内心軽蔑しながら、うまくやったつもりだったが違った。
ほんとは言えばよかった、本音を。でも、当時は選択肢もなかった。

それは、私が自分自身でも止められない激しい気性があることを知っていたから。「自分で自分を全力で食い止めたんでしょ」とTさんが言った。そうだった。私は大人しいふりをしていただけだ。全力で誰にも本音を言わないようにしたんだ。


この2年、時々苦しいくらい咳が続いて止まらなかったり、喉の奥が粘膜で一杯になり、うがいしても治らない不調が続いている。死んでしまうかもと思うこともあった。

「原因は、本音を言うことを堰き止めていたから」と指摘された。
本当のことは言わないと決めていたから。

わかった。
今からでも取り返す。

小さい頃に戻って、あの頃言えなかった本音を口にしよう。私の思いがなくなるまで、空になるまで私の本音を言おう。ひとりごとで吐き出そう。

「もう我慢しなくていいよ」と、味方もなく孤独だった小さい自分に伝えたい。私自身も避けてきた小さい私。今から全部私が言うから。

小さい頃に自分で喉にかけた鍵を今から私が開ける。

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