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鉄道の思い出「あさかぜ」

今年は鉄道開業150年!
特に鉄ちゃんというわけではないのですが、電車に乗るのは好きです。
車窓に過ぎていく景色が好き。

幼かった頃、母は子どもを連れて東京の実家によく帰省していました。
当時はまだ新幹線が通っておらず、博多から「あさかぜ」に乗って行きました。

夕方博多を出発。乗り物に酔いやすい私は、ずーっと、窓の外を眺めていました。夕暮れの工場地帯を過ぎ長いトンネルを通り抜けると山口県、本州に入ります。

日が暮れた後の山の端を眺めていると直ぐに暗闇になり、窓には自分の退屈そうな顔が映るだけ。駅が近づく度に、私の顔は消え、昼間とは違う表情の街が現れます。夜というだけで、何か秘密を覗いているような、息を潜めて知らない世界を探検しているような気分になります。

夜の駅は乗客がまばらなのに、割と長く停車しているように感じました。大阪では、分厚く丈夫そうな大きな袋にわんさか郵便を詰めて、小包は台車に積んでネットをかけて、次々乗せています。「この電車、お手紙も乗るんだ」 郵便ポストに入れた手紙も、こうやって誰かが夜中に電車に積んで運んでおばあちゃんに届くということに気づいたのもこの時でした。大阪を出るあたりで眠ってしまいます。

朝目覚めてカーテンを開けると、たいてい静岡あたりでした。茶畑が朝陽に輝いて続いています。まあるいかまぼこ状の木はお茶の木だと知りました。あさかぜからみた茶畑しか私は茶畑を知りません。朝陽に輝くお茶畑。後に地理で「静岡といえばお茶」を習いましたが、覚えなくても既に記憶の中にある常識でした。

大船の観音様が現れる頃、もうすぐおばあちゃんに会える!と急に元気が出てきます。10時頃東京駅に着くとおばあちゃんはいつもホームまで迎えに来てくれていました。駅からタクシーでおばあちゃんの家に行くのですが、途中東京タワーの横を通ります。「東京来たよ~~」って心の中でつぶやきます。

当時の東京では、鼻をかむとティッシュが黒くなりました。その頃は大気汚染が酷く、鼻の中が黒くなるのです。

少し大きくなると新幹線で、高校生の頃からは飛行機で。東京はぐっと近くなりました。でも子どもの頃に乗った「あさかぜ」で、もう一度東京に行きたいな。そして元気なおばあちゃんが迎えてくれたら。他界して30年以上経つけれど、ホームで待っていたおばあちゃんの嬉しそうな顔、忘れない。

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