見出し画像

梅田駅と缶チューハイ 鬱とヘミングウェイ 

10月を迎えて、空気が変化して、季節と一年が終わるらしい。
自宅の新聞には、正月のおせち料理や毎度のカニの広告、コンビニエンスストアでは、おでんがレジスペースに用意されたいる。
ついさっきまで、燕がひらひらと、舞っていたのだが、立派な巣だけをのこして、立ち去ってしまった。

つい、2日くらい前、所用のため、帰りに阪急梅田駅を何年かぶりに使用した、25年くらい前であろうか、構内にある売店を居酒屋のように使用していたのを思い出した。その頃の記憶も秋へと階段を登り始める頃だったような。  



当時、サラリーマン時代の30代後半に休日があると、ワイシャツのクリーニング、溜まった衣類の洗濯、それから簡単な食事を済ませると、崇禅寺駅から、梅田駅を経由して大阪の街を散策していた。当時、会社でも、そろそろ20代の社員が中心とした体制になって、30代のグループと明暗が分かれていった頃だった。

その辺りから、酒の飲み方も段々とおかしくなっていった。駅から、マンションまでの間に自動販売機で缶チューハイを買い、スーパーで酒の肴と又、酒を(この時はビールだった)買って独りで晩酌をすることが、日課になっていった。例えば筋トレなどの習慣化したいスキルは途中で途切れたが、飲酒の習慣だけは30年程度積上げられた。

前回のnoteにも少し書いたが、その後会社を辞めて失業時代に突入するが、その頃すでに、人生の岐路がさし迫っていたのだろう。
散策していた大阪の街には、自分とは異なった家族連れの人達や、若くて活気が溢れている群衆、落ち着いたご老人連中、孤独を求めていたはずなのに疎外感にむしばまれていた。


失業時代は半年間続いた。春が過ぎて、もう秋だった。
大阪市の図書館を渡り歩いて、それまで出来なかった本を読んだり、図書館が収蔵しているVHSのビデオテープで小津安二郎や成瀬巳喜男、溝口健二などの映画を14インチのブラウン管テレビで観ていた。
小説は読みやすさと文章が短いのが、好みにあって、ヘミングウェイを読んでみた。

あの頃から梅田駅の石床の売店で、缶チューハイを飲みながら、道行く人達をただ、ひたすらに眺めていた。ヘッドホンで音楽を聴きながら眺める風景はキンクスの「ウオータールー サンセット」だった。
今、断酒して3年と9ヶ月、あの時期は軽い酒鬱だったと判断できる。
飲酒にはマイルドに希死願望が含まれている。

当時、飲酒を必要とする背景があったのか、それは解らないし確かめることもできない。ただ、今は断酒を通じて人生の内容を理解したい


最近になって、ヘミングウェイを読み返すと、小説全体に充満している希死願望に圧倒される、当時、私自身も読解力が無かったのも含めて、作品の真意が掴めていなかった部分も多数ある。私自身の年齢もヘミングウェイが猟銃自殺した、61歳に残すところあと一年を数えた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?