欲しがりません勝つまでは!贅沢は敵!海外の違う日本の自粛

これは昨日ブログで書いたことです。【40代からの美しく挑戦する生き方】今の日本は戦後から、ほとんど変わってない。それは昨日の森会長の女性軽視発言を聞いても明らかなこと。こういう輩が日本のトップにいる限り、戦後のスローガンのような精神は変わらないであろう。


みんな我慢している「コロナが収束するまでは、ワクチンができるまでは」と。日本人は洗脳から解けていけない。同じコロナ禍にあってもヨーロッパ人とは随分違う。感染者が多くても、自粛をしていても、日本のような我慢を強いられているという感じがない。それは精神であり、心の在り方が違うのである。


私の知人のスウェーデン在住の女性がいて、コロナを軽く考えているわけではない。でも周りの人はみんなコロナにかかっているそうで、そこに差別も偏見もなければ、身を縮めてくらしているわけでもない。何が違うかといえば、自己犠牲的な精神の有無であろう。


これは戦争に行った人たちを賛美する精神から、東日本大震災のときの日本人の助け合いの精神、最後まで避難を呼びかけた女性が高潔で感動を呼んだことから、自己犠牲が”日本人の美徳”とされる見方ができる。


私たちの年代は戦争を学んで知るだけだけど、その名残りであるかのような
”スポ根”ドラマ、漫画世代だ。スポ根は「欲しがりません勝つまでは」の精神に繋がる。


贅沢に罪悪感を持つことが日本人にありがちなのも「贅沢は敵だ!」が
どこかに刷り込まれているね。良く言えば「質素、倹約」が美徳とされるのだ。「贅沢は素敵なことだ!」と呪縛から解放されないとならない。


ただ、ひたすら今がつらいのは我慢を強いられてるからです。でも国会議員のみなさんは好き放題やってるでしょ。それが現実です。











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