謝罪会見で見る人それぞれ

こんなことで謝罪するの?という場面をよく見かけるし、謝罪しないといけない公的な人がしないのはおかしいとも思う。謝罪会見でその人ととなりが見えてくるが、自分のことを考えている場合は「世間様」に詫びている。でも自分のことなんか何にも関心がなかったり、むしろアンチに対して詫びる必要なんかないよね。


だから「自分のことを考えている人」=「他人の目を気にする人」=「みんなに好かれようとする人」なんでしょうね。本当は自分が迷惑をかけた人、応援をしてくれてる人だけに謝罪すればいいだけのこと。だから会見でもまず、それを伝えればいいのであって、マスコミに謝る必要もない。でも「悪く書かれたらどうしよう」という不安がそうさせるのだろう。


そういう意味でも謝罪会見はしなくても、してもどっちでもいい。したければ上手にするべきだが、あの場で緊張せずに謝罪できる人は相当な💛の持ち主だ。他人の憂さ晴らしの道具にされて、ましてやその人に謝る必要はこれっぽちもないのにね。これも本人の自由。自由な世の中であるのに、自由でいなければどうするの?中国みたいになったらおしまいだよ。

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