人の心はどこにあるのだろうか(野良セラピストみーこ)

野良セラピストみーこ
@miko_momimomi

みーこさんのことは面識のあるセラピストから
その実力と世界観の凄さはよく聞いていた

お会いしたこともなく施術も受けたことがないのに
偉そうに語るのは大変おこがましいかと思うのだが
僕はみーこさんの文章を読んだり施術の感覚的方法論を読んだりすると
僕は表現の欲求を鼓舞される
僕は僕の言葉で何かを書きたくなるのだ
遠隔的に刺激を受けているのかもしれない
まあこれも単なる独りよがりなのかもしれないが・・

みーこさんの施術の方法論を読んでいると
いつも僕はあることをイメージする

「サイコダイバー」だ

「サイコダイバー」とは夢枕獏の小説『魔獣狩り』に出てくる九門鳳介の職業だ
もちろん小説なのでそんな職業は現実には存在しない
サイココンバーターという装置を使用して人の精神に潜り込んでいくという設定だ
小説は1984年刊行でもう40年前にもなる
エロスとバイオレンス満載の小説なので女性の方々はあまり好むタイプの内容ではないかもしれない
映画になった『陰陽師』の作者といったほうが認知されやすいかもしれない
たまらなく狂おしい咆哮と叫びとどうしようもない人間のリビドーを描いた作品が多い

九門鳳介は飄々としていて掴み所のない男
超A級のもぐり(無免許)のサイコダイバー
自分の興味ある仕事しか請けない
大自然と呼吸を合わせることができる
どんなに窮地に追いやられても、場違いなほどの呑気さを忘れない図太い性格の持ち主という設定

人の精神に潜り込み(ダイブし)、対象の持つ記憶情報を入手すること、対象の隠されたトラウマを発見すること、
人の表層意識をくぐって深層心理の中に潜っていく
人の哀しみ・寂しさ・怒り・怯え・欲望を探って情報を入手したり
時には精神治療的なきっかけを掴んでくることもある
対象となる人の意識の中であらゆる感情をあくまでイメージとして食べたり触れたり感じたりして
その対象人物の意識を侵食しないように潜っていく

みーこさんの施術に関する話を聞いたり読んだりすると
僕はこんなイメージを勝手に抱いている
もちろんみーこさんからしたら
「なんと独りよがりで勝手なイメージなの!全然違う」とお𠮟りを受けるかもしれないが
それだけ何かを喚起させる施術であり言葉であるからだ
肉体的なメンテナンスの知識や技術も高度なものを持っているのだろうが
僕には一人の表現者に見えるのだ

専門的な技術のことは僕はよくわからない
僕はリラクゼーションも整体ももみほぐしに行ったことはなく
メンズエステを楽しんできただけなので
技術的なことは全くわからない
ましてやお会いしたこともないのに
みーこさんのことを偉そうに語る資格はない

いろんな人に施術をして
自分を見つける旅人のようにも見える

強制的に修正を促すわけでもなく
きっかけや気づきを提供する
いや提供ではなく
そっと添える程度なのかもしれない

そして自分も何かに気づくのではないか

かといって求道者のような堅苦しさを感じるわけでもない不思議な存在の人なのだ


人の心はどこにあるのだろうか
脳の中だけなのだろうか
皮膚・筋肉・内臓・血管・細胞にも心はあるのだろうか
肌を通して
指・手のひら・太もも・ふくらはぎ等全身で何かを感じるのであれば
何かが伝わるのであれば
血液が血管を通して全身を循環するように
心の何かも全身を巡っているのかもしれない
そんなことを感じさせてくれる

人は体格も体質も患う病気もみんな違う

人は考えや感じ方もみんな違う

それを許容して
抱擁して
包容する

強要ではなく
共有しつつ
共感しつつ
距離を保つ

自分を内観するためには
自分の中に潜っていく必要があるが
他人を通してでしか自分を確認することはできないのだ

人間は肉体的にも精神的にも
別の個体であることには違いなく
一つとして同じ個体はない

違いがあるからこそ繋がることができるとも言える

みーこさんの施術を受けたら
感覚や感じたことを
嘘や取り繕うことを
見抜かれる怖さがあるかもしれない
でも自分の卑しい心を受け止めてもらえて
許容してもらえて
認めてもらえるのであれば
それが『癒し』なのかもしれない

あくまでも勝手な想像でしかないが
みーこさんの施術は
無理に見ようともせず
無理に探そうともせず

ただ感じようとしている
そして感じ取ろうとしている
それも
そっとだ

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