実家

この家が大好き。この建物が大好き。
階段の2つある、部屋が10はある、至る所に絵と私の作品と賞状たちがかざってあるこの家が大好き。
大好きな庭は2年前更地になった。手入れが面倒になったのだと。
大好きな1.5mの水槽は最後のポリプテルスが死んだって、撤去された。林の絵と水槽の音を数万の玄関マットに寝転んで享受するのが私の癒しだった。
マットと絵は幸いまだあるけれど、大切なものが、ない。

家族は好きかと聞かれると
今は好きだ。あくまで今は。
昨日も母親に聞きたくない話をされたあと、何も殺さず生きられないという歌詞のある曲を聴いて心を落ち着かせた。自分を殺さずには生きられないのだ。今は家族が好きと言えるのは、私が努力したから。私が成長したから。私が耐えているから。私が上手くなったから。そう思わないとやってられないから。
母もだいぶ変わったと思う。確かに年月はかかった。8年、か。「お母さんは変わらないよ」とスクールカウンセラーに言われてから、8年。
8年かかって、あなたを宇宙人と思うねと言われて、それでいいと返した。我々はわかり合えないのだと。
それでいい。
彼らは正直慣れてしまっていた。私が具合の悪いこと、鬱だということ、精神状態の良くないということに。あーあまたか、どうせいつものことだ、と。
ここ1、2年で私の体調は一気に改善していった。
あえて回復とは言わない。人生で元気だった時期なんてない。よかった幼少期の思い出なんてない。今が一番良いから、改善。
ひとえに主治医のお陰、と言いたいところだが、先生は私が頑張ったと言ってくれる人だ。
私だって、正直すごく頑張った。頑張ったと自分に言えるように先生はしてくれた。私は俯瞰が上手いと褒めてくれた。
人は真面目だねと言って育てると真面目に育つという。自己暗示、プラシーボの効果は実際凄まじいものがある。
家族とうまくやっていけるように自信をつけさせてもらった。
今の私は自分で自分を制御できる自信がある。
だけど。大好きだった庭や水槽は戻ってこない。
寂しいな。ここに帰ってきても、いくら待っても、
もう無いものは無いんだ。帰らないものは還らない、戻らない幸せがあることは十歳のときから知っている。お前たちまでいかないでくれ。
もう何も失いたくないよ。
この建物は私が死ぬときまで待ってくれるかな。

誕生日前夜


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