「頑張る」は嫌いだ。

よく「頑張ってね。」などという言葉を聞き、見る。
この「頑張る」という言葉は筆者は嫌いだ。
「頑張る」というのはいかにも抽象的やしないかと思うのだ。頑張るというのはどういうことかを示してほしい。
隙あらば、「頑張れ」という言葉を使う人も多いが、頑張るって結構きついことだと思うのだ。頑張れ=地獄を見ろ、と言われている気がしてならない。もちろん、がんばったらそれ相応のリターンはあるのだろうが。
一番大きな問題は、既に頑張っている人に「頑張れ」といってしまうことだ。もっともっともーっと地獄に堕ちろ!といわれている気がする。
ちょっと、妄想がたくましすぎるのかもしれないが・・・。

ということで、筆者は「頑張る」という言葉は使わずに、「努力」と言っている。まあ、大した違いはないのかもしれないが、「頑張る」というのは他人目線で、「努力」というのは自分目線でありそうだと思っている。ああ、やっぱり今回もクソ記事になってしまった。

勉強というのも、強いて勉めると書くからそんなのいや。勉強って、本来は楽しいものじゃないか、と思う。勉学とか、学習とかそんな呼び方がいいのではなかろうかと思っている。完全なる言葉あそびであるが。

最後、「お疲れさま」について語りたい。「お疲れさま」という方もこれまた多いが、この言葉には、「もっと努力しておけばやれたのに・・・。満足感はいま一つ。」という意味があると思っている。実際、筆者は思いっきり遊んで楽しんだときに「疲れた」とは思わない。申し分がないほどに完璧であったからであろうか、と思っている。その人を労いたいときには、「お疲れさま」と言ってはいけないし、「頑張ったね」と言ってもいけない。
筆者は謎の世界で生きているのだ。

この記事が100号くらいまで書けたら、記事をまとめたエッセイ集にでもしようか、と野望を申し上げて筆を擱いてさっさと眠ろう。
読者さん、おやすみなさい。(読者なんていないのに・・・)

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