連作(その1)酢漬けのニシン

さき さなえ

彼女とはベルギーで出会った。
当時私は、ブリュッセルでの仕事が決まり、アパートが見つかるまで臨時にYWCAに滞在していた。
YWCAの近くのカフェのテラスに、すぐ日本人だと分かる若い女性が座っていた。それが彼女だった。先に話しかけたのがどちらだったか覚えていないが、私たちは話し始めた。
感じの良い明るい人だった。一人でヨーロッパを一カ月の予定で旅行中だと言った。
話がはずみ、私たちは意気投合して、いっしょにアムステルダムへ行きましょうということになった。
私は仕事が始まる迄まだ2週間以上自由だったし、ヨーロッパも来てまだ日が浅く、オランダへは行ったことがない。初めて会ったばかりだったが、この女性となら楽しい旅になりそうだと思った。
 
私たちはアムステルダムへ行き、観光名所をいろいろ訪れた。町なかに、酢漬けのニシンを売っている立食いの屋台がいくつか出ていた。
彼女は、ああ、食べたい、と言って私を引っ張ってそこへ連れてゆく。
正直、私は魚はそんなに好きではない。この時も別に食べたいと思わなかった。
でも彼女は、アムステルダムでこれを食べるのを楽しみにしていたのだと言う。日本を発つ前、人から聞いて屋台のことを知っていたのだと言う。
 
私は注文しなかったが彼女は注文し、屋台のお兄さんが、大きな酢漬けのニシンを小さく切り分けて彼女の前に置いてくれた。
これ、アムステルダムに来たら絶対食べようと思っていた、彼女は、またそう言って、喜色満面である。
ああ、おいしそう、と言うと、いきなり、真ん中の一番大きくてふっくらした一番おいしそうな切り身を私の口元へ持ってきた。さ、食べて。おいしいわよと言いながら。
 
遠慮せず、私は食べた……。とてもおいしかった。
 
彼女自身は、尻尾に近い部分の小さな切り身をおいしそうに食べていた。
 


連作(その2) 二粒のイチゴ


ブリュッセルでの生活は、町にも仕事にも慣れて、私は充実した日々を送っていた。
休みを利用して、私は男友達とアルザス地方へ旅に出た。中心都市のストラスブルグは観光客でかなり混雑していた。
通りをぶらぶら歩いた。子供が小さなかごにイチゴを入れて売り歩いている。別の子はかわいい矢車草の花束を売っていた。男友達はその花束を私に買ってくれた。
実は私は矢車草が大好きなのだ。嬉しかった。
 
私たちは、お互いに好意を抱いているだけの、まだそんな間柄だった。
お互いに物事に対する価値観が同じだったし、気が合った。
季節は初夏で、空は晴れ渡っている。そよ風。日常のこまごましたわずらわしさから解放され、私たちは、自由で、心も軽い旅の身を満喫していた。
観光客たちに混じってゆっくり歩き、写真もたくさん撮った。
 
彼はイチゴも買ってくれた。歩きながら、お互いにかごの中から一粒ずつ取り出して食べた。
この人のことを本気で好きになるかもしれない……ふとそんな予感がした。
 
小さなかごの中に、イチゴが最後に二粒残った。一つは大きくて、つやつやしていて新鮮そのもの、見るからにおいしそうなイチゴである。もうひとつは、とても小さく、色も悪く、新鮮な感じがしない。
 
彼はためらわず、迷うことなく、大きいほうのイチゴを指でさっとつまむと、ぽいと自分の口の中へ放り込んだ。そして私を見て、にこっと笑った。
 
この瞬間、私の心の中で、何かが急にしぼんでいった……。
私はこの先、この人を愛することは絶対にないだろう……そんな思いが胸いっぱいに広がっていった。
 
もちろん、私は残った小さなイチゴは食べなかった。
 

人の本質は、普段は見えない。分からない。その人の本質を見極めることは非常に難しい。自分自身の本質となると、もっとわからない。
思いがけないとき、何かの拍子に、とっさの行動に、その人の本質はふと、顔を出す。
 
大きいイチゴを食べた男友達は、たったこれだけのことで私の愛を失ってしまった。
狭量だと言って人は私を笑うかもしれない。私自身、自分は寛容さが足りないなあと苦笑する。
 
ただ立場を置き換えて考えてみるとよくわかる。もし私が彼だったら、この場合どうするだろう。断言できるのは、私は、絶対、大きいイチゴは食べないだろう、迷うことなく、相手にあげるだろう、ということ。
 
この男友達のイチゴは、ごく小さな例である。とは言え、「利己の精神」であって「利他の精神」ではないと思う。
 
おそるべしはイチゴなり「たかがイチゴ、されどイチゴ」である。
 
 
酢漬けニシンの女性とは、3年半後、私が日本へ帰国してからも、ずーっと長い間交流が続いた。
 
イチゴの男性とは、しばらく文通していたが、そのうち私の方から連絡を絶った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?