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『THE FIRST SLAM DUNK』"THE FIRST"が持つ意味を考える。

どうも、日高 虎太郎@映画人です。
大学で映画を学び、卒業後、2年間ほど映画の助監督をやっていました。
現在は脚本を書いたり、自主映画を制作中です。

今更感もありますが、『THE FIRST SLAM DUNK』を2週間ほど前に観てきました!

原作の"SLAM DUNK"は小6〜中1くらいに初めて読み、僕にとって、漫画の持つパワーを肌で感じた最初の作品であり、これまでに何度も読み返してきた大切な作品です。

特に漫画の終盤で描かれるインターハイ2回戦目、主人公、桜木花道が所属する湘北高校とインターハイの絶対王者である山王高校との闘いは”漫画”の臨界点を1つ突破したと僕は思います。


そんな山王戦。
"SLAM DUNK"はテレビアニメも存在しますが、テレビアニメではインターハイ前までしか描かれていなかったため、山王戦が映像化されたのは今回の映画が初めてです。

とても思い入れのある作品なだけに期待とともに不安もあり、ここまで観るのが遅れました。

それでは、『THE FIRST SLAM DUNK』を観て、感じたことを雑録的に書き綴っていきたいと思います。



※これから観る人ではなく、観た方向けです!


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"THE FIRST"が持つ意味を考える。

大分、出遅れて観に行ったため、今回の作品のキーポイントでもある"宮城リョータ"視点の映画であるというのは知った状態で観て参りました。

"THE FIRST"の意味について、既にネットで調べると、宮城リョータのポジションがポイントガードであり、バスケットボールはポジションを番号で呼ぶことがあるのですが、ポイントガードは1番。なので、1番="THE FIRST"とのことです。
タイトルで、既に宮城リョータを軸にした映画であることを表明しているわけですね。
恐らくこの意味合いが大きく占めるのでしょうが、さらに少し掘り下げていってみます。

"THE FIRST""最初の"と訳すと、"最初のスラムダンク"といったタイトルになります。

僕は、この"THE FIRST SLUM DUNK"は原作ファン、原作未読の観客、双方が楽しめる内容になっていると思います。

しかし、この映画のスタートは原作漫画だと、終盤も終盤、バトル漫画でいう、ラスボス戦から始まるのです。 

では、なぜ原作ファンのみならず、原作未読の観客も楽しめる内容となったのでしょう。

そして、漫画のラスト部分を描いた映画に対して"THE FIRST SLUM DUNK"というタイトルも、前述した宮城リョータのポジション番号の話を聞くと腑に落ちますが、純粋に捉えるとラストなのにファースト?と、少し違和感のあるタイトルではないでしょうか。

しかし、この映画、宮城リョータを主人公にしたことによって、ラスト部分を描いた作品にもかかわらず、"THE FIRST"が成立したと僕は考えています。

本作では、"湘北VS山王の試合パート"と"宮城リョータの回想パート"(少年期〜現在に至るまで)を交互に繰り返すという構成を取っています。

そして、この宮城リョータの回想パートで描かれる宮城リョータの過去について、原作では全くと言っていいほど描かれていません。

実は原作ファンにとって、宮城リョータは他の湘北スタメンに比べて、キャラクターとしての解像度が低いのです。

原作で、桜木や三井、赤木は過去について、描写されますが、宮城リョータに関しては、三井がバスケ部に再入部する話のついでに三井絡みで回想が少し入るのみで、今回の映画で描かれた、兄や母親のことなど背景は一切、描かれていません。

つまり、今回の映画で、原作ファン、そして、もちろん原作未読の観客、どちらも宮城リョータをゼロベースから知っていくことになります。

そして、これだけ回想で宮城リョータを掘り下げるため、観客は自然と試合パートで宮城リョータの視点で映画を観進めていくことになります。

そう、ここが凄い。
この映画、試合の途中に宮城リョータの回想が挟まっていくのですが、試合内容そのものの展開、描写は原作から大きく変わっていません。(宮城リョータをフューチャーするために桜木や赤木の名場面など削られてはいますが)

つまり、回想に試合が引っ張られてないのです。

回想は回想
として、試合は試合として、独立して存在している印象を僕は受けました。 
試合の合間に回想パートが挟まれ、試合の流れを途中で切られるわけですが、あれだけ重たい過去に対して、それを引きずらず、試合は原作の描かれ方に近い形で表現され、あとは観客が映画内で宮城リョータの回想を観たことによって、自然と宮城リョータに視点がいくようになっています。もちろん演出も宮城リョータに視点が向くように前述した桜木、赤木の名場面が引き算はされているのですが、試合内容は原作から改変されていないのです。

そして、原作未読の観客がこの映画を楽しめるのも宮城リョータの回想がある故で、もしも、この映画が試合パートのみで構成されていた場合、原作での1巻から続く不良高校生、桜木花道がバスケと出会い、成長していくストーリーを既に知っている、原作ファンのみが乗れる作品になっていたかと思います。

原作未読の観客と原作ファン、双方に対して同じ土俵でゼロから語れる宮城リョータを本作の主人公として、選択し、そんな語り直しの要素から”THE FIRST”と題がつけられたのでは、などと僕は解釈しました。

ここで、もう1つ言及したいのが、手書きのアニメーションではなくCGでのアニメーションを選択したということです。

公開前には、手書きではなく、CGであることに対するネガティブな意見も至るところで散見されましたが、公開して、一気にその意見もひっくり返った印象があります。

やはり、このCGも語り直しとして、一新された要素と僕は捉えました。

なにより、バスケの動きをここまで、アニメーションで表現できることに驚きました。

試合パートと回想パートがそれぞれ独立していると僕が感じたのも、バスケの動きを捉えるということに特化したCGによって、より純粋に試合パートをバスケの試合として観ることが出来たからだと思います。

特に試合ラスト数秒間の表現に関しては、実際の人間が演じる映画では、不可能な領域だと感じています。

キャラクター自体のスピード感を落とすことなく、あの僅かな時間を描くのは、本当に凄いです。
人間が演じる映画だと、あれだけの僅かな時間を表現する場合、ハイスピードで、コマ数を増やして、映像としては、人物のスピードを落とすことによって僅かな時間を実際よりも大きく引き伸ばすという表現をするぐらいにしか手段がないかと思います。

原作を読んでいて、結果なんて知っているのにも関わらず、最後の一点が決まるまで心臓がバクバクと鳴っていました。

映画館にいる観客が一体となって、固唾を飲んでいる感覚があり、やはり、いつだってスラムダンクは僕たちを熱狂させてくれるんだと、興奮さめやらぬまま、その日、僕は映画館を後にしました。

スライムダンク最高!!!!



というわけで、皆さま、ここまで読んでいただきありがとうございました。


それでは、またの機会に。


もうちょっと投稿頻度を増やせるように頑張ります!





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