芝生の上 漂う空気

小説を書きます。

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記事一覧

#35 今の僕ら

ところで、しっかりと紙の輪が空中で燃えるのを見た人物がいた。目撃者がいたのだ。 入院している友人を見舞いに来ていたその女性がハンドバックから車のキーを取り出そう…

#34 今の僕ら

父は起きていた。病院の廊下の壁紙よりも青白い顔をしていたが、僕たち三人が病室に入ると、僅かに上半身を起こそうとしてくれた。僕と妻とでベッドを上げると、「よく来た…

眠れない夜に

眠れずに寝返りをうっていたら、窓からクマが二匹入ってきた。ものすごい大きさで部屋の中をぐるぐる回っている。 熊は僕の匂いを少し嗅いで、部屋の中を泳ぐ鮭の群れを追…

甘雲

 大学が始まってしばらく経ったなんの変哲もない4月の水曜日に彼女を初めてみかけた。大学の最寄りの駅から乗り込んだバスの中で知り合ったばかりの知人に話しかけられ、…

#33 今の僕ら 出発

 眠る前に、妻が僕よりも先に起きた時の為に、寝室のドアの内側に『ショーが泊まりに来ています。ソファで寝ています。明日、病院へ一緒にいってくれるそうです』とメモを…

#32 今の僕ら ユリの場合⑦ スミレ

 病室に向かってくる母親達の気配を超特級の第六感で捉えて素早くミカのベッドから離れた者がいた。スミレである。彼女はミカと同い年の同じ宗派の信者の娘であったが、集…

#31 今の僕ら ユリの場合⑥

ユリはレジに戻り、待たせてしまったお客様に頭を下げて会計の続きをした。お客の女性は突如、持ち場を離れたユリに不快な様子を見せるどころか(彼女は耳がよかったし、勘…

#30 今の僕ら ユリの場合⑤

エリは賢い女性だけれど、どうにかしてやはり抜けているところがある。それは、例えば、自分の父親が母と離婚し飽きもせずにその後、結婚を繰り返していたことを知ってはい…

#29 今の僕ら ユリの場合④

娘のミカはお腹の子供の父親が誰なのかを私には話さなかった。ただ生理が来ない為に妊娠したと思うこと、産みたい意思を私に伝えそれからは貝のように黙り込んでしまったが…

メロゴールド

 バイトの神山くんとその友人の杉崎くんを家まで送り届けた店長は心臓をばくばくさせたまま家に帰った。妻と娘はもう寝ている時間だ。玄関のドアをそっと閉め、あまり音を…

#26 今の僕ら ユリの場合③

ユリがミカの出産後に出会った『あの人達』は結局のところユリを彼女たちの信じる宗教団体へ勧誘さえしてこなかった。保育園で知り合った奥さん連中に「ユリも『あの人達』…

#28 今の僕ら

僕ら三人が妹の力に連れられてショーが行った喫茶店に行き、化け物を見た二日後に叔母はその喫茶店の店長から連絡を受けた。勿論、叔母は最初、彼等の話すことの意味が全く…

#27 今の僕ら

僕の妹に何やら不思議な力があるのを僕はもう認めていたが、ショーはそれをまやかしだと言ってなかなか認めて居なかった。お祖母ちゃまの葬式で何かその思いに変化があった…

#25 今の僕ら ユリの場合②

 妻のユリが妙な女達と付き合い始めたことを夫は快く思っていなかったが、家で彼女達にたまに遭えば、お得意の営業スマイルを浮かべ、至らない夫婦を手助けしてくれている…

#24 今の僕ら ユリの場合①

 「調子にのっていた」  ユリが自分の若い時代を一言で言い表せと言われたならこう答える。運良く「悪い手」からすり抜ける者の方が多いのは分かっている。ユリも自分はそち…

#23 今の僕ら エリの場合

 弟が姉であるエリに「離婚するかもしれない」と相談ではなく、事後報告のような態度でいたことに対するエリの苛立ちは同じような立場にあったものにしかわからないであろう…

#35 今の僕ら

ところで、しっかりと紙の輪が空中で燃えるのを見た人物がいた。目撃者がいたのだ。
入院している友人を見舞いに来ていたその女性がハンドバックから車のキーを取り出そうと、片足を車のタイヤにかけて腿の上にバックを置くという些かお行儀の悪い格好をしていた時に強い風が吹いた。

髪が乱れて、目に塵が入った。スカートがめくれて足に纏わり付いた。目をしばたたかせた彼女は何かの気配を感じて顔をあげた。強風に煽られて

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#34 今の僕ら

父は起きていた。病院の廊下の壁紙よりも青白い顔をしていたが、僕たち三人が病室に入ると、僅かに上半身を起こそうとしてくれた。僕と妻とでベッドを上げると、「よく来たね」と掠れてはいるが、父らしい良い声で言った。そして、僕らの後ろにいたレモン色のチューリップの花束を抱えたショーを見て「チビ!!」と大きな声を上げた。そして、腕を広げ、こっちへ来い、と顔を輝かせた。ショーがやや太めの大きな身体を屈めて父に近

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眠れない夜に

眠れずに寝返りをうっていたら、窓からクマが二匹入ってきた。ものすごい大きさで部屋の中をぐるぐる回っている。

熊は僕の匂いを少し嗅いで、部屋の中を泳ぐ鮭の群れを追いかけて下の階へ降りていった。

台所から、すごい音がして何かをバリバリ食べている音がした。戸棚をあける音もビールの缶をあける音もした。

それでも、僕は目を閉じてベッドの中でじっとしていた。

明日は大切な用事がある。僕は眠らなければな

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甘雲

 大学が始まってしばらく経ったなんの変哲もない4月の水曜日に彼女を初めてみかけた。大学の最寄りの駅から乗り込んだバスの中で知り合ったばかりの知人に話しかけられ、しょうがなく読んでいた本を閉じて、隣に腰掛けてきた彼の話を聞いていた。日曜の朝方にゆったりと鳴き出す優雅で控えめな年寄りの鳩の鳴き声を心地よい音量1とすると、彼は力の限り叫ぶ若いウジュケイのように元気一杯であって、僕の適当とするボリュームか

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#33 今の僕ら 出発

 眠る前に、妻が僕よりも先に起きた時の為に、寝室のドアの内側に『ショーが泊まりに来ています。ソファで寝ています。明日、病院へ一緒にいってくれるそうです』とメモを貼った。

目覚ましがなる前に僕は目覚め、隣に妻が寝ているのを確かめて、部屋を出た。ショーはソファに丸まって寝ていた。

僕は湯を沸かし、緑茶を入れて、米を五合洗い炊飯器にセットした。時刻は朝の四時過ぎだった。予定では六時前には家を出るつも

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#32 今の僕ら ユリの場合⑦ スミレ

 病室に向かってくる母親達の気配を超特級の第六感で捉えて素早くミカのベッドから離れた者がいた。スミレである。彼女はミカと同い年の同じ宗派の信者の娘であったが、集会でミカとあっても周りには会釈するだけの仲のように見せかけていた。これは、教育に熱心な母親が高額な塾に通わせている娘よりもミカの方が学力が高かったことに対する明後日の方向の嫉妬を捻じ曲げて、様々な理由をつけてミカとは親しくするなと高圧的に諭

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#31 今の僕ら ユリの場合⑥

ユリはレジに戻り、待たせてしまったお客様に頭を下げて会計の続きをした。お客の女性は突如、持ち場を離れたユリに不快な様子を見せるどころか(彼女は耳がよかったし、勘もよかった)「あなた、早く行きなさいな!」とわざわざ精肉売り場近くにいた店長を呼ぶことまでしてくれた。

ユリがバックヤードに戻り、手荷物をとって外へ出ると同じ協会に通う二人が軽自動車の助手席のドアを開けたまま待機していた。
「はやく!!は

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#30 今の僕ら ユリの場合⑤

エリは賢い女性だけれど、どうにかしてやはり抜けているところがある。それは、例えば、自分の父親が母と離婚し飽きもせずにその後、結婚を繰り返していたことを知ってはいたが、自分の家族もまた別の家族の別れの後に成り立っていたことには気が付いていなかったような甘さである。エリは自分の父親の最初の結婚は自分の母であると思っていたが、それは違う。エリがそう思い込んでいたのは、父親が元の家庭のことを匂わせもせず、

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#29 今の僕ら ユリの場合④

娘のミカはお腹の子供の父親が誰なのかを私には話さなかった。ただ生理が来ない為に妊娠したと思うこと、産みたい意思を私に伝えそれからは貝のように黙り込んでしまったが気丈にもその後も学校には通っていた。「今年」は受験はしない、お金が無駄になってしまうから、と手紙で私に伝えてきた。

今、思えば既にミカはその時にはこの家を出ることを決めていたに違いなかった。

そう思ってユリは自分を笑った。妊娠し、結婚す

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メロゴールド

 バイトの神山くんとその友人の杉崎くんを家まで送り届けた店長は心臓をばくばくさせたまま家に帰った。妻と娘はもう寝ている時間だ。玄関のドアをそっと閉め、あまり音を立てないようにリビングを抜けキッチンのシンクの前に立った。帰ってくる夫の為に灯された間接照明は、いつもなら心地よい温かみを感じさせてくれる癒やしの明かりであったのだが、今夜に限っては暗すぎた。店長は、周りの照明を付けてまわり、逆にその白すぎ

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#26 今の僕ら ユリの場合③

ユリがミカの出産後に出会った『あの人達』は結局のところユリを彼女たちの信じる宗教団体へ勧誘さえしてこなかった。保育園で知り合った奥さん連中に「ユリも『あの人達』と同じ宗教の方なのか?」ということをかなり遠回しに聞かれた時に、やっと(ああ、彼女たちは只の近所の仲良し三人組という訳ではないのだな、と)理解した程だ。

ユリと偶然、公園で出会った三人は、カヨ、シゲ、タミさんといい男の子ばかりをそれぞれ四

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#28 今の僕ら

僕ら三人が妹の力に連れられてショーが行った喫茶店に行き、化け物を見た二日後に叔母はその喫茶店の店長から連絡を受けた。勿論、叔母は最初、彼等の話すことの意味が全く理解出来なかった。

まず、店長を名乗る男性は、ショーの母親の家に何度も連絡をしているが、誰もつかまらないこと。それで、箱をショーの家に送るように連絡をくれた貴女の家に電話しているのですが、貴女とショーの母親は知り合いであるのか?と叔母は聞

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#27 今の僕ら

僕の妹に何やら不思議な力があるのを僕はもう認めていたが、ショーはそれをまやかしだと言ってなかなか認めて居なかった。お祖母ちゃまの葬式で何かその思いに変化があったようだけれど、それを決定づけたのはその翌週に叔母の家で妹が叔母さんと叔父さんに録音して貰ったテープを聴いていた時だった。叔父と叔母は隣の祖父母の家に来たお客さんの相手をしにいってしまっていて家には僕ら三人だけだった。隣からは賑やかな音楽と笑

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#25 今の僕ら ユリの場合②

 妻のユリが妙な女達と付き合い始めたことを夫は快く思っていなかったが、家で彼女達にたまに遭えば、お得意の営業スマイルを浮かべ、至らない夫婦を手助けしてくれている事へ感謝を述べ、忙しく家を空けがちな自分としては心強い旨を述べていたが、内心では、自分達の親よりも年嵩な女達を鬱陶しいと思っていた。妻のユリは昔から年上を転がすのが上手かった。あのおばさん達も上手いことユリの猫かぶりに騙されているのだろう、

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#24 今の僕ら ユリの場合①

 「調子にのっていた」

 ユリが自分の若い時代を一言で言い表せと言われたならこう答える。運良く「悪い手」からすり抜ける者の方が多いのは分かっている。ユリも自分はそちら側にいるのだと思っていた。でも、ユリは調子に乗っていた。下手を打って穴に墜ちた。そちら側からこちら側への転落は早く、その穴の中で自分に主導権はなかった。

 美貌とスタイルに恵まれたユリは幼少期からちやほやされることに慣れていた。美

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#23 今の僕ら エリの場合

 弟が姉であるエリに「離婚するかもしれない」と相談ではなく、事後報告のような態度でいたことに対するエリの苛立ちは同じような立場にあったものにしかわからないであろう。

 離婚の理由は妻であるユリのある宗教への傾倒であるらしいが、エリの調べではその宗教団体に特に目立った問題はなかった。エリからすれば、問題を孕んでいるのは弟のほうであったが、これは今言い出してもキリのないことで、ただただ、姉としてはど

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