神秘家エクリチュール

・神はあるにも関わらず、仏教的な無もある

・このブリッジに困惑していたのだが、両者を繋くところに、マイスター・エックハルトがあった

・大方解決したといえる

・マイスター・エックハルトはすでに読んでいたが、再び見直すと発見できた

・曰く、無になることで、神の子として受肉する、という仏教的な無からのキリスト者としての神の到来を言っている

・無に至ったあとに、どうするのだ、というのが、困惑だった/無には何度か至ったが、それでどうなる、というのがあった
(ちなみに、それは概念的な、または、観念的なそれではなく、明確に、第三意識状態での神秘体験としての無の直接体験のことである/座禅などで体験する類である)

・だが、エックハルトによると、その際に、神が流入し、魂の根底に書き込みを行う、というわけである/神の子の誕生

・エックハルトは三位一体や、像のある神をさえ否定する/それはもはや、神の否定であり、神性=無とする発想である

・無になった際に、自我に書き込まれている被造物としての様々な情報が、初期化されるのは理解している/その際に、唯一の有である神が、書き込みを行うわけである/受肉

・たとえば、黒板(自我)のうえにいくらでも書き込むことはできるが、そのうえからさらに書き込むことはできない(大脳皮質の限界)/だが、それを無に至ることで消し去り、唯一意味のある神による書き込みが行われるというわけである

・あらゆる書き込みのなかでも、被造物による雑多な書き込みではなく、神の書き込みは最良である

・しかして、無に至った後に、神による書き込みによって誕生した神の子として、遥か最上の自らを創造され、生きる、ということが可能になる、という塩梅である

・ときたま、そういうことは感覚していたが、なるほど、と理解できた

・仏教的な無に到達した後には、そこで、神が無になった自我に最良の書き込みを行う/最良の振る舞いに自らが到達し、生きることが可能になるというわけである

・それは、被造物にもはや煩わされることのない、神との魂の根底における本質の一致であり、この思想性と実践が、しっくりくる

・やっと、無、を受け入れられた/そこに、神の最良の目的が果たされるからである


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